「――――兎月……?」


 幾つかの部屋のドアが見える廊下を見渡す。そして彼女を驚かせないように、さっきより少し控えめな声で呼び掛けた。

 やはり返事は無い。

 ――――嫌な予感。

 全身の毛がざあっと逆立つような不安が体に走る。慌てて一番近くの扉を開けたが、兎月の姿は無かった。

 次の扉も――――いない。

 その次も――――いない。

 その次も――――いない……

 とうとう廊下の一番最後の扉。心臓が、痛いくらいドキドキしている。汗で濡れた手をドアノブに掛け、ゆっくりと扉を開けた。


「兎月……?」


 この部屋だけは家具の埃避けの布が取り払われていた。窓辺にあるベッドのシーツには使用した痕跡の皺が寄っていて。兎月はきっと、この部屋で寝ていたんだと分かる。

 しかし、彼女の姿は無かった。

 部屋へ入りベッドに触れてみたが、長い時間使われていないらしく、ひやりと冷たくなっていた。

 兎月は、もうこの洋館を去ってしまったんだろうか……

 窓の外にはもう、少し膨らんだ三日月が山の上に昇っている。それを眺めながら俺は、兎月の笑顔を思い出していた。