休日の昼下がり。
エルライン伯爵夫人からの外出禁止令により、イザベルは暇を持て余していた。
当日はごまかせたが、貴族の令嬢が城下町で起こした騒ぎは、すでに社交界にも広まっているらしい。オリヴィル公爵家とエルライン伯爵家の圧力でイザベルの名は伏せられているが、噂が下火になるまでは許可なく外出することを禁じられた。
リシャールが取りなしてくれたらしく、母親からの説教は免れたが、ここ数日は家庭の事情のため学園も休んでいる。
自室にいる間も、定期的にお茶のお代わりと称して巡回してくるメイドたちを見る限り、イザベルの信用も底辺だといえる。
そして、今。
応接室では、様子を見に来たジークフリートがティーカップを傾けている。
イザベルとしては、形だけの婚約者より、フローリアとの親睦を深めてほしい。なんて言ったって、ゲームのエンディングがかかってるのだから。
(あ、でも……誘拐事件があったのだし、もしかしたら攻略ルートが変更になったとか? ああでも、やっぱりフローリア様に会って確かめてからでないと判断できないわ。……そういえば、別れ際のフローリア様は泣きそうな顔をしていたわね)
犯人にお灸を据えるために別行動を選んだのだが、後ろ髪を引かれる思いをした。
学園での立場の違いから、今も自由に会うことすらできない。こういうとき、伯爵令嬢という身分がひどく重く感じる。
「……フローリア様はお元気なのでしょうか」
「昨日様子を見に行ったが、すこぶる元気だったぞ。数日休んでいた分を取り返すべく、奮闘しているようだ」
「ふふ、その様子が目に浮かぶようです」
容易に想像できる姿に、思わず笑みをこぼす。
普通の女の子ならとっくに心が折れているだろうが、彼女はこのゲームのヒロインだ。逆境に負けない不屈の精神は、ヒロイン補正かもしれない。
イザベルは感傷に浸りそうになるのを耐え、ずっと気にかかっていた点を口にした。
「ところで、犯人が誰かに頼まれて犯行をした、という可能性はないのでしょうか」
「それは、裏で誰かが手引きをしていると?」
「いえ、あくまで可能性の話ですが……。彼女は女生徒から反感を持たれていたようですから、もしかしたらと思いまして」
ナタリアの取り巻きが背後にいたのではないか。そう思って口にした問いは、すぐさま否定された。
「その心配は杞憂だろう」
「……というと?」
「気になったので、事情聴取の記録は僕も見せてもらった。彼らの動機は単純な逆恨みで、背後に誰かがいた様子はない。無計画だったのがいい証拠だ」
「そこまで調べていらっしゃったとは、さすがですね」
感嘆の吐息をもらすと、ジークフリートは首肯して腕を組む。
「当然だ。学園の生徒が誘拐されるなど、前代未聞の事件だからな。星祭りが終わるまで、フローリアの登下校の身辺警護に公爵家の使用人をつけている」
「まあ……そこまで」
ゲームにはなかった展開だ。そもそも、婚約者でもない男爵令嬢の警護を、公爵家がする必要はない。
だがここは、乙女ゲームの世界。
好きな人の身を守るためという大義名分が発動し、通常ならありえない事態もスルーされる。というより、誰も疑問に思わない。当然、異議を唱える人もいない。
(やっぱり、ジークは……それほどまでにフローリア様が大事なのね)
胸が締めつけられたような苦しさを抱えながら、淑女の笑みを保つ。対するジークフリートは眉を少しつり上げたが、無言で冷めたアップルティーを飲み干す。
その行動が、自分に関心がないことを如実に語られたようで、気持ちが沈んでいくのを感じた。
*
週明けから登校の許可が出たため、イザベルは早速、ある人物を呼び出した。
そのために朝早くに登校し、呼び出しの手紙を彼女の下駄箱に入れた。サロンで昼食を手早く終えてから、待ち合わせ場所でひとり待つ。
旧校舎の雑草は夏休みの間にたくましく育ち、膝下まで伸びていた。生命力あふれる草の上を通ったあとが、くっきりと残っている。
待ちぼうけから数分もしないうちに、ぱたぱたと走る足音が聞こえてきた。やがて、待っていた人物が姿を見せたので、イザベルは前に進み出る。
「星祭り実行委員で忙しいところ、呼び出しちゃって悪いわね」
謝罪すると、フローリアは手を左右にぶんぶんと振った。
「いえ、放課後は忙しいですが……お昼は時間もありますし、大丈夫ですよ」
今はお昼休みだが、悠長にできる時間はない。用事を早く済ませなければ、次の授業の予鈴――タイムリミットが来てしまう。
「そういえば、準備は順調?」
「はい! ジークフリート様が人員を補充したほうがいいと進言してくださって、ボランティアを募ったら四名も協力してくれることになって! 今は、遅れていた分を皆で力を合わせて準備しています」
「……そう、ジークフリート様が……」
誘拐事件でクラウドが活躍したことから、白薔薇ルートから紅薔薇ルートに変更されたのではと勘ぐっていたが、どうやら違うらしい。
(白薔薇ルートのままなら、当初の予定通り、あとで婚約破棄イベントが控えているってことね)
まだイザベルの出番はあるようだ。安心していいのかどうかは、微妙な線ではあるが。
「ラミカさんは? だいぶ落ち込んでいたみたいだったけど、元気そう?」
「……私が誘拐されたことで、責任を感じているみたいですね。気にしなくていいって何度も言っているんですが。イザベル様の手をわずらわせたことも気にしているみたいです」
「わたくし?」
聞き返すと、フローリアは深刻な悩みを打ち明けるような顔で答える。
「最終的に、イザベル様がその……犯人に罰を与えてくれたんですよね。本来なら無関係のはずなのに、準備を手伝わせただけでなく、そんな大役まで引き受けてくれてもらって申し訳がないと……」
両手を合わせて恐縮する様子を見て、イザベルは眉根を寄せる。
「フローリア様もだけど、ラミカさんだって被害者でしょう。あなたたちが気に病む必要はないわ。わたくしが協力したのだって、その場に居合わせたからだもの」
「そうなんですけど……私たちにとってイザベル様の存在は大きいですから」
「……そういうもの?」
「はい」
まるで雲の上の人のような扱いだ。
自分たちの関係は友達ではなかったのか。そう言いたくなる衝動をこらえ、イザベルは努めて優しく告げた。
「また何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね。だって、わたくしたちは友達なのですから」
「は、はい! もちろんです」
フローリアは頬を紅潮させ、こくこくと頷いた。
エルライン伯爵夫人からの外出禁止令により、イザベルは暇を持て余していた。
当日はごまかせたが、貴族の令嬢が城下町で起こした騒ぎは、すでに社交界にも広まっているらしい。オリヴィル公爵家とエルライン伯爵家の圧力でイザベルの名は伏せられているが、噂が下火になるまでは許可なく外出することを禁じられた。
リシャールが取りなしてくれたらしく、母親からの説教は免れたが、ここ数日は家庭の事情のため学園も休んでいる。
自室にいる間も、定期的にお茶のお代わりと称して巡回してくるメイドたちを見る限り、イザベルの信用も底辺だといえる。
そして、今。
応接室では、様子を見に来たジークフリートがティーカップを傾けている。
イザベルとしては、形だけの婚約者より、フローリアとの親睦を深めてほしい。なんて言ったって、ゲームのエンディングがかかってるのだから。
(あ、でも……誘拐事件があったのだし、もしかしたら攻略ルートが変更になったとか? ああでも、やっぱりフローリア様に会って確かめてからでないと判断できないわ。……そういえば、別れ際のフローリア様は泣きそうな顔をしていたわね)
犯人にお灸を据えるために別行動を選んだのだが、後ろ髪を引かれる思いをした。
学園での立場の違いから、今も自由に会うことすらできない。こういうとき、伯爵令嬢という身分がひどく重く感じる。
「……フローリア様はお元気なのでしょうか」
「昨日様子を見に行ったが、すこぶる元気だったぞ。数日休んでいた分を取り返すべく、奮闘しているようだ」
「ふふ、その様子が目に浮かぶようです」
容易に想像できる姿に、思わず笑みをこぼす。
普通の女の子ならとっくに心が折れているだろうが、彼女はこのゲームのヒロインだ。逆境に負けない不屈の精神は、ヒロイン補正かもしれない。
イザベルは感傷に浸りそうになるのを耐え、ずっと気にかかっていた点を口にした。
「ところで、犯人が誰かに頼まれて犯行をした、という可能性はないのでしょうか」
「それは、裏で誰かが手引きをしていると?」
「いえ、あくまで可能性の話ですが……。彼女は女生徒から反感を持たれていたようですから、もしかしたらと思いまして」
ナタリアの取り巻きが背後にいたのではないか。そう思って口にした問いは、すぐさま否定された。
「その心配は杞憂だろう」
「……というと?」
「気になったので、事情聴取の記録は僕も見せてもらった。彼らの動機は単純な逆恨みで、背後に誰かがいた様子はない。無計画だったのがいい証拠だ」
「そこまで調べていらっしゃったとは、さすがですね」
感嘆の吐息をもらすと、ジークフリートは首肯して腕を組む。
「当然だ。学園の生徒が誘拐されるなど、前代未聞の事件だからな。星祭りが終わるまで、フローリアの登下校の身辺警護に公爵家の使用人をつけている」
「まあ……そこまで」
ゲームにはなかった展開だ。そもそも、婚約者でもない男爵令嬢の警護を、公爵家がする必要はない。
だがここは、乙女ゲームの世界。
好きな人の身を守るためという大義名分が発動し、通常ならありえない事態もスルーされる。というより、誰も疑問に思わない。当然、異議を唱える人もいない。
(やっぱり、ジークは……それほどまでにフローリア様が大事なのね)
胸が締めつけられたような苦しさを抱えながら、淑女の笑みを保つ。対するジークフリートは眉を少しつり上げたが、無言で冷めたアップルティーを飲み干す。
その行動が、自分に関心がないことを如実に語られたようで、気持ちが沈んでいくのを感じた。
*
週明けから登校の許可が出たため、イザベルは早速、ある人物を呼び出した。
そのために朝早くに登校し、呼び出しの手紙を彼女の下駄箱に入れた。サロンで昼食を手早く終えてから、待ち合わせ場所でひとり待つ。
旧校舎の雑草は夏休みの間にたくましく育ち、膝下まで伸びていた。生命力あふれる草の上を通ったあとが、くっきりと残っている。
待ちぼうけから数分もしないうちに、ぱたぱたと走る足音が聞こえてきた。やがて、待っていた人物が姿を見せたので、イザベルは前に進み出る。
「星祭り実行委員で忙しいところ、呼び出しちゃって悪いわね」
謝罪すると、フローリアは手を左右にぶんぶんと振った。
「いえ、放課後は忙しいですが……お昼は時間もありますし、大丈夫ですよ」
今はお昼休みだが、悠長にできる時間はない。用事を早く済ませなければ、次の授業の予鈴――タイムリミットが来てしまう。
「そういえば、準備は順調?」
「はい! ジークフリート様が人員を補充したほうがいいと進言してくださって、ボランティアを募ったら四名も協力してくれることになって! 今は、遅れていた分を皆で力を合わせて準備しています」
「……そう、ジークフリート様が……」
誘拐事件でクラウドが活躍したことから、白薔薇ルートから紅薔薇ルートに変更されたのではと勘ぐっていたが、どうやら違うらしい。
(白薔薇ルートのままなら、当初の予定通り、あとで婚約破棄イベントが控えているってことね)
まだイザベルの出番はあるようだ。安心していいのかどうかは、微妙な線ではあるが。
「ラミカさんは? だいぶ落ち込んでいたみたいだったけど、元気そう?」
「……私が誘拐されたことで、責任を感じているみたいですね。気にしなくていいって何度も言っているんですが。イザベル様の手をわずらわせたことも気にしているみたいです」
「わたくし?」
聞き返すと、フローリアは深刻な悩みを打ち明けるような顔で答える。
「最終的に、イザベル様がその……犯人に罰を与えてくれたんですよね。本来なら無関係のはずなのに、準備を手伝わせただけでなく、そんな大役まで引き受けてくれてもらって申し訳がないと……」
両手を合わせて恐縮する様子を見て、イザベルは眉根を寄せる。
「フローリア様もだけど、ラミカさんだって被害者でしょう。あなたたちが気に病む必要はないわ。わたくしが協力したのだって、その場に居合わせたからだもの」
「そうなんですけど……私たちにとってイザベル様の存在は大きいですから」
「……そういうもの?」
「はい」
まるで雲の上の人のような扱いだ。
自分たちの関係は友達ではなかったのか。そう言いたくなる衝動をこらえ、イザベルは努めて優しく告げた。
「また何か困ったことがあったら、遠慮なく言ってね。だって、わたくしたちは友達なのですから」
「は、はい! もちろんです」
フローリアは頬を紅潮させ、こくこくと頷いた。