「……ごめんね、もう一度言ってくれる?」

 クラウドは困惑した表情で聞き返す。
 彼を屋上に呼び出したイザベルは、ゆっくりと言葉を繰り返した。

「真犯人は、わたくしの専属執事でもあるリシャールが仕組んだことだったの。だけど安心して、もう彼がフローリア様に危害を加えることはないわ」

 裏付け確認も済んでいる。イザベルの懸念事項は一つ消えたと言っていい。
 満足げなイザベルとは対照的に、クラウドの表情は硬い。

「そう断言するってことは、何か根拠があるの?」

 まだ疑いは完全に晴れていないらしい。
 クラウドの不安を払拭するべく、イザベルは言い切る。

「ええ。取り引きしたの。嫌がらせがぴたりとなくなったことは、フローリア様本人にも確認済みよ」
「……わかった、信じるよ。他でもない、イザベルが言うことなら」
「ありがとう」

 やっと信じてもらえたとホッとしたのも束の間、鋭い質問が飛んできた。

「でも、よくわかったね? 君の執事がそう簡単にバレるような真似、するとは思えないけれど」

 中等部では、リシャールは授業中を除いて、常に後ろに付き従っていた。主人であるイザベルの世話をしていたため、当然クラウドとの面識もある。
 したがって、有能な執事ぶりは語るまでもない。だからこその疑問だろう。
 ここで下手な嘘をついたところで、いい方向に話が転ぶとは思えない。そう判断したイザベルは、事実をありのままに伝えることにした。

「それは、時の運が味方してくれたからですわ!」
「……なるほどね。イザベルなら、予想の斜め上のことをしてもおかしくない。それで偶然、知ってしまったわけだね」

 身もふたもない言い方だが、おおむね当たっている。反論の余地はない。

「ざっくりまとめると、そんな感じです……」

 うなだれながら肯定すると、クラウドは眼鏡を一旦外し、ポケットから眼鏡拭きを取り出した。
 緩慢な動作で眼鏡を拭きながら、雑談の延長のように淡々と言う。

「実はナタリア派が実行犯であることまではつかんでいたんだ」
「え! そうだったの?」
「うん。ジェシカにちょっと協力してもらって、網を張ってたんだ」
「なんてこと……盲点でしたわ。初めからジェシカに頼ればよかったのね」

 ジェシカは学園一の情報通だ。彼女に協力を仰げば、もっと早く情報が手に入っていただろう。そのぶん、情報料は高くつきそうだけど。
 ふと、ピカピカに磨かれた黒縁眼鏡をかけ直したクラウドと目が合う。
 藍色の瞳は、夜の海のような深い色で、そのまま吸い込まれそうな錯覚に陥る。
 クラウドは言葉を選ぶように逡巡し、やがて口を開く。

「直接の証拠も押さえてある。ただ、実行犯に命令している人が割り出せなくて困っていたんだよね」
「……ごめんなさい。それがうちの執事みたいで……」

 正確には執事見習いだけれども。いや、今はそんなこと関係ないか。

「イザベルが謝ることじゃないよ。本当に、君が彼の仲間でないのなら」
「違うわ! わたくしにだって、フローリア様は大事な友人だもの! 今後は手を出さないように、リシャールにもちゃんと釘を刺したわ」
「それを聞いて安心したよ」

 笑顔を向けられ、なぜかイザベルは背筋が冷たくなった。

(何だかこれ、見覚えがあるわね……。あ、リシャールの「限りなくブラックのピュアを装った笑顔」と同じなんだわ……!)

 まさか、試されていたのか。本当に裏切り者ではないか否かを。
 血の気が引くイザベルに、笑顔をキープしたままのクラウドが優しく問いかける。

「ところで、取り引きって言っていたけど。一体、何の取り引きをしたの?」
「あ……それは、その」

 彼の目的は単なる嫌がらせではない。イザベルの評判を落とし、ジークフリートから婚約破棄させることだった。
 フローリアを助けるため、イザベルはフェアな勝負を挑んだ。おかげで無用な対立をする羽目になってしまったのだが。
 どう説明すればいいのか困っていると、クラウドが助け舟を出す。

「俺としては、フローリアが無事で、イザベルも問題ないならそれでいいんだけど。ただ……何か困ったら、ちゃんと言うんだよ?」

 労わるような視線を向けられ、イザベルは感動に浸る。
 今まで築き上げてきた絆がもたらす友情とは、なんと素晴らしいのだろう。

(クラウドの友人枠は死守できたはず。残る問題は……リシャールの目的を暴くことだけど、これは一筋縄ではいかないだろうし。どうしようかしら)