「退院してから自分で調べたが、食が受け付けなくなったのは、精神的なものが原因らしい。
 悲しい出来事や心身に辛い体験を繰り返したことによって、心が麻痺したとか」

 父の死と北部での極限状態が、オルキデアを追い詰めてしまったらしい。
 軍では珍しくないようで、似た症状の者やオルキデアよりも酷い状態の者もいるので、周囲に支えられて立ち直れた分、まだ良い方だった。

「今はなんともないんですか?」
「……とりあえずは。だが、やはり北部で死にかけたのは、そうとう身体に堪えたらしい。寒さや雪ならまだいいが、北部基地に行くと、あの日々を思い出して、身体が不調を訴えてくる」

 療養が明けて軍に復帰してから、一度だけ北部基地に行った事がある。
 現場検証という名目で、北部基地で遭ったあの冬の日々を再現して欲しいと言われて、調査団に同行させられたのだ。
 しかし、北部基地に入った途端に、具合が悪くなった。
 心臓の動悸が激しくなり、次いで猛烈な吐き気に襲われた。
 もう、あの日と同じように、通路に死体も無ければ、食糧を奪い合って、仲間を殺し合う兵たちもいないというに。

 結局、北部基地の医務室で横になっただけで、現場検証の役には立てなかった。
 ベッドの上で聞き取りだけ行われて、調査団と共に撤収して、この件に関しては完全に調査が終了したのだった。

「ただ、あれ以来、北部基地にはほとんど行っていないから、今行ったらどうなるかわからない。
 中将が気を遣って、俺が北部での戦闘に参加しなくていいように配慮してくれているのだろうな。……きっと」

 それからも、上官からの命令で何度か北部での戦闘に参加した。
 それでも北部基地内には長時間滞在出来ず、泊まり込む際には野営用のテントで凌いだ。
 プロキオンの元に所属してからは、北部基地の戦闘には参加していない。
 恐らく、オルキデアが行かなくてもいいように、上官が配慮しているような気がしてならなかった。

「やっぱり、優しい上官さんです。オルキデア様の周りには優しい皆さんが沢山いて羨ましいです。
 クシャースラ様にセシリアさん、マルテさんとメイソンさん。アルフェラッツさんやラカイユさんも。
 みんな、オルキデア様のことを大切に想っているんですね……」

 菫色の瞳をそっと細めて笑うアリーシャに、どこか寂しさを覚える。

「この屋敷に来た時も、クシャースラ様やセシリアさん、マルテさんがとても心配していました」

 この屋敷に来た日、帰宅するセシリアから、オルキデアについてアリーシャが頼まれていたのを思い出す。
 セシリアが面と向かってアリーシャに頼んでおり、恥ずかしい反面、これまであった様々な出来事を思い返すと言われても仕方ないかと思って、我慢して聞いていた。

「セシリアだけじゃなくて、クシャースラやマルテも心配していたのか……」

 溜め息を吐くと、「いいじゃないですか」とやはりどこか寂しそうにアリーシャは笑う。

「心配してくれる人がいるというのは良いものです。私にはいないので羨ましいです……」
「アリーシャ?」

 オルキデアが聞き返すと、「あっ、私ったら、つい……」とアリーシャは慌て出す。

「と、とにかく、オルキデア様にはオルキデア様を大切に想っている人たちが沢山いるんです。そんな人たちの為にも、しっかり生きないとですね!」

「テーブルのカップ片付けますね」と、話題を逸らして、テーブルを片付け出したアリーシャにそっと近づく。

「アリーシャ」
「はい!」

 首だけ振り返ったアリーシャの後ろに膝をつくと、両腕を伸ばす。
 振り返った菫色の瞳が大きく見開かれる中。
 その華奢な背中を抱きしめたのだった。