そう彼は本当は女なのではないか。
つまりFTMではないか。
だけど、そんな事聞く勇気はありません。
違ったとしても本当だとしても失礼に値すると思ったから。
モヤモヤしながら集まりに行ったりということが増えてきたそんな中、旦那とは離婚したいという気持ちが増していきました。
ただ暴力的な人だったため何を言っても聞いてくれず、最終的には「お前は遊びに行くな」という結論に至りました。
俺はいいけどお前はだめ。
ジャイアンかよ。ってくらい物凄く自分勝手な縛りでした。
家に帰るのも嫌になり仕事終わりは2時間くらい駐車場でぼーっとしてました。
一緒の布団に寝るのも苦痛なので別で寝るようになりました。
そんなある日……
眞生さんと観たい映画が被り観に行くことになりました。
準備に間に合わずギリギリに着いたのに、初めて行くとこで映画館の場所も分からずさまよってました(笑)
眞生さんが表まで迎えに来てくれて「もー、なんしよっと!?」って一言(笑)
急いでチケットを買いに行こうかした時、スッと紙切れを渡されました。
よく見てみると映画のチケットでした。
「遅かったけん買っといた」って……
え、紳士かよww
と
その見た目で本当は優しいんかよ!!
ってなりました(笑)
ポップコーンもジュースも買っててくれてその日私は甘えてばかりの1日でした。
そもそも緊張しすぎてポップコーンも食べれず映画にも集中出来てなかったので、内容なんて全然覚えてませんが……
その時から私は眞生さんのことを好きになりました。
既婚者の私が恋をしてはいけないことは充分承知だったので隠して集まりに行っていました。
そうやって頑張って生活をしていた時眞生さんが酔っ払って連絡してきて、ちょっと暇やけ話したいけん来て欲しいと言われ会いに行くことに。
その日本当に酔っ払っていた眞生さん。
しごとでなにかあったんかな?とか思って話をずっと聞いてた時、ふいに眞生さんが近寄ってきて雰囲気が……
とっさに(やばい!)って思って
「うち既婚者だし!付き合ってもないし!そんな事はしない!」と突き放すと「なら付き合おう」と……
なんと軽い人なんだ…
やっぱり私はダメンズを好きになるのは今も昔も変わらないんだなーと実感。
ふいにぎゅっと抱きしめた時……私は気付いてしまいました。
背中にあるフックに…
私は何となく、なんとなーく分かりはしたものの少しだけ違うかもと思い
「ねぇ、このフックなんなん?」って聞いてしまいました。
眞生さんの鼻をすする音がして、泣かせてしまったと察しました。
それと同時に、あっ、やっぱりそうなんかな。って頭によぎりました。
「薄々女って分かっとったやろ?」
その言葉で確信に変わりました。
「嫌なら関わらんでくれていい」
と言われた瞬間、私は「ごめん。嫌な思いさせてしまった。ごめん。」と謝りながら背中をさすることしか出来ませんでした。
そして、運命が変わる日。
どうしても、旦那の暴力と愛犬への態度が許せない私は離婚したいと親に打ち明けました。
毒親である母は私の話には一切耳を傾けず「どーせあんたが悪いっちゃろ」「あんたが我儘言いよっちゃろ」の一点張り。
あ、私の味方は眞生さんしか居ないんだ…と思い知らされた瞬間でした。
それから私は生きてる意味も分からなくなり死んでやろう。死んだら旦那も毒親である母もきっと分かるんだろう。そう思い私は睡眠薬の過剰摂取をしました。
長文で自分の気持ちを伝えて眞生さんにありがとうと送ったことにより勘づいたのか、家の場所なんて知らないのに大体ここだろうと探し回ってくれて家を見つけて生死の狭間に居た私を救い出してくれたのは眞生さんでした。
親でも兄弟でも友達でもなく眞生さんでした。
その後旦那が眞生さんの車に気付き急いで家に帰ってきて2人で話したと私はあとから聞きました。
私は意識が朦朧としててその時の事は何も覚えてません。記憶もほぼないし、何がどうなったかも覚えてません。
微かに覚えているのは歩いてる感覚がなく、吐き気が凄かった、意識が朦朧としてて目の前が揺れているってことだけ。
そんな状況になっても毒親である母は味方にはなってくれませんでした。
父は私の事をいつも一番に考えて味方になってくれるのですが、結局母に勝てる訳もなく私をなだめて「もうちょっと頑張ってみろ」と言うだけでした。
親戚で唯一味方になってくれる叔母に助けを求めて、母を説得してもらいました。
私は母と話したくない顔も見たくない関わりたくもないと拒絶していて2ヶ月程音信不通だったのでその時の母の様子は後から父や叔母に聞きました。
やっと母と面と向かって話をした時、母は泣いたんです。
「私は暴力振るわれてる事はまだ自分が我慢すればいいから頑張れる。けど、愛犬を虐待されるのは我慢が出来ん。虐待した時から私はあいつを許せないし、好きでもない。そして、もう1つ許せないのは…私の病気を知ってるのに周りに子供ができない事を誤魔化すとこ。はっきり言ってくれた方がまだましだった。あいつの親も頑張れば出来る!って簡単に言うけど、私は自分の体にリスク負わせてまで子供が欲しいとか思わない。愛犬がいればそれでいい。だから、私はあいつともあいつの家族とも意志も意見も合わない。自分が我慢ばっかするのは意味がわからん。」
と思いの丈をぶつけました。
だからなのか母は
「私が丈夫な体に産んであげなかったから、貴女の人生を踏みにじってしまった。お母さんのせいで女としての役目を果たせないって辛さを与えてしまってごめんなさい」
と言ったんです。
そう、もう皆さんお気付きですよね。
私の持病である多嚢胞性卵巣症候群は人それぞれではありますが、私の場合はほぼ妊娠できません。
自然排卵も無く薬で生理を起こしてる状況で、自律神経も弱く、薬生活を10年近く続けてたおかげで子宮頸がんにもなり妊娠するにしても治療が必要だと診断されてました。
これといって不便なんてないんですが、声が低いのも毛深いのも肥満体型にあるのも多嚢胞性卵巣症候群の症状の1つみたいです。
強いて言うなら
この病気を知った途端男はみんなやりたい放題。
「どーせ妊娠せんやん!やらせて!」
「お前本当便利だよな」
「誰とでもやれんじゃん!」
「女として終わってんな!!」
そう言われ続ける人生でした。
同性からは
「可哀想。大丈夫?」
「子供欲しいよね」
と言われる日常。
可哀想ってなに?
女として終わってるってなに?
酷い話私は誰かしらの「流産しました」「妊娠しました」「出産しました」そういうツイートには内心
妊娠出来るだけましじゃね?
流産したってまた妊娠出来るんやろ?
うちとか妊娠すらせんのやけど。わら
って思っちゃってたし
おめでとう!とは言うものの、みんなが言う普通の幸せが私にはないんやけど。と悔しい気持ちになる事ばかりでした。
色々と面倒な事もありようやく離婚が出来たとき、眞生さんと堂々と付き合えるようになりました。
毒親である母には内緒で眞生さんと同棲することも決まっていたのでさっさと実家を出てアパート住まい。
虐待されてた愛犬は1匹だけあいつに奪われてしまい無念で、本当に申し訳なくて助けられない自分に腹が立ちました。
それで毎日泣く私に眞生さんは優しくハグをしてくれるんです。
そして、半年近く経った頃眞生さんがヨーキーを飼ってくれました。
「これでもう寂しくないやろ?だけん、もう泣くな」
って……
私は彼と暮らす中で家事がしっかり出来るようになり、ご飯も「美味しい」と言ってくれるのが嬉しくてどんどんレパートリーも増えていきました。
トリマーの仕事も充実。
離婚してよかった!最高!って日々が続きました。
ただやっぱり毎日一緒にいると嫌な所も見えてくるし、駄目なとこも直してほしいとこも沢山出てきました。
私が好きになる=ダメンズであることはもう分かりきっていたので、何となく想像はしていましたが……
今までの男より遥かましではありますが…少し難あり……(笑)
俺はいいけどお前はだめ。
他の男は一切見るな!絡むな!
約束は守らない。
俺もこれしたいから、お前もいいよ。
短気で1回も謝った事がない。
これして!って言っても動かない。
とまぁ、今まで実家暮らしだったからか全く言うことも聞かない我儘ボーイ。
本性表しやがったか!とまぁこんな感じでした。