ふと、何かに呼ばれるように目を開けた。

今は何時だろう。そう思ってベッドサイドにある時計を見ようとして体を起こした。

「あれ?」

そこにあるはずの時計も無ければ、目に入る全てのものが違うことに気が付いた。

辺りを見渡す。
見知らぬ部屋。
ここはどこ?そう思った瞬間、蘇ってきた記憶に私は息を呑んだ。

「なん…で…?」

物が少ないシンプルな部屋。
その中でもやけに多い本は、自分が現実逃避をするためだけに買ったもの。

知っている。
私はこの部屋を知っている。

「ど…して…?」

声が震えた。
手が震えた。
体が震えた。

混乱する私の視界の端に、ふとスマホが目に入ってそちらに視線を向ける。
震える手で電源をつければ、映し出されたそれに目を見開いた。

2××9年5月28日

「…なん…で…。」

「おかえりなさい。おねーさん。」

聞こえてきた声に胸が大きく脈打った。
ゆっくりと目を向ければ、そこには見覚えのある少女が笑みを浮かべて立っていた。

「さ…ち…。なんで…。なんで私…」

「無事に変われたから。だから戻ってきたんだよ。」

弾んだ彼女の声が、やけに大きく鼓膜に響いて震える。

「疲れたでしょ?よく眠れた?」

ニコッと笑ってそんな質問をしてくる彼女が、怖くて仕方なかった。

震える手を握りしめて、私はサチに向き合う。

「…過去は…?あの日から…今日までは…?どうなるの…?」

どくんどくんと胸が嫌な音を立てて鳴る。
じんわりと汗が滲んできて、何故か体は冷えていくような感覚がした。

「どうって…」

笑っていたサチの顔から笑みが消えて、真剣な眼差しが私を見据えていた。

嫌な予感が胸を過る。
目の前に立つサチが怖いのに、目を反らせない。

何かを発しようとするサチの口許が、まるでスローモーションのようにゆっくりと開かれるのを、私は呆然と見つめていた。

「元通りだよ。全部。今までと同じ。」

「……。」

まるで世界から音が消えたかのように、何も聞こえなくなった。

さっきまで聞こえていた冷蔵庫の音も、隣から聞こえてくる生活音も、歩み寄ってくるサチの足音も、私の心臓の音も。

何も聞こえなくなった。

呆然とする私の手にひんやりとした小さな手のひらが乗っかって我に返る。

見下ろせば、サチはどこか切なげに私を見上げていて。

目頭が熱くなった。
視界がぼやけていく。

「…全部、元通り。おねーさんが過ごしてきた今さっきまでの出来事は、全部なかったことになってる…。」

聞こえてきた声に、頬に涙が伝っていくのを感じた。

ふつふつと何かがわき上がってくる。
全身が熱くなって、先程の震えとは違う震えが体を襲う。

全部…ないの…?
西川くんは?優奈は?聡美は?
田中くん、河村くんは?
全部…なかったの…?

「なん…で…。だって…過去を変えられるって」

「私そんなこと一言も言ってない。」

遮られた言葉が、酷く胸に突き刺さった。

涙が止めどなく流れていく。

「私は過去に戻せるとは言ったけど、過去を変えられるなんて言ってない。」

もう一度告げられた言葉に、頭に血が昇るのを覚えた。
涙を流しながら、サチを睨み付けるように見つめる。

「じゃあなんで戻したの?!意味なんてない!全部無駄だったのに…。何も…なにひとつ変わってないのに…。私の今までは…なんだったの…?」

聡美と仲良くなれた。優奈と友達になれた。西川くんと付き合えた。田中くんと河村くんとだって仲良くなれたのに…。
なんで?どうして?
だったら過去に戻る必要なんてなかった。

「それでも…おねーさんは変われたよ。」

顔を上げれば、サチは優しく笑っていた。

「無駄じゃない。おねーさんは自分を変える力を持った。だから今からだって変われるよ。」

すんっと、突然血の気が引くのを感じた。
サチの言葉が聞こえているのに、理解が出来なかった。

「大丈夫だから。おねーさんが」

「もういいよ。」

遮るように、そう口にした。

「もういい…。ごめんね…、怒鳴って…。全部私の夢だった…。それでいい。」

もう何も考えたくない。

ぼんやりと、歪んだ視界で布団を見つめた。
いくつも溢れた涙のあとが、染みになっている。

「…おねーさんが作った縁は消えないから…。」

すっと、サチの気配がなくなったのが分かった。
けれど私は顔も上げずに、ただただ目の前で染みていく涙のあとを見つめるだけだった。