午前中の河村くんの手伝いを終えた私は、購買でホットドッグを買った後教室へ戻った。

聡美からお昼は教室で食べるという連絡を受け、私は初めて優奈とお昼を共にしていた。

「ついに明日だね、文化祭。」

お弁当を頬張る優奈に笑みを溢して、そうだねと呟く。

「優奈の絵も見るのが楽しみ。」

「ほんと?展示は土曜日だから、絶対見てね。」

ふふっと笑う優奈に、そういえばと私は声を上げる。

「彼氏さんも来るんだっけ?」

「あ…うん。土曜日、わざわざ部活休んで来てくれるって…。そこまでしなくていいのに。」

そう言いながらも彼女は嬉しそうに頬を緩ませていて、こちらまで笑みが溢れてしまう。

「久々に会えるんでしょ?良かったね。」

「うん…。」

照れくさそうにお弁当を頬張る優奈は可愛くて、羨ましいなと密かに思いながらホットドッグを口に運んだ。

「楽しそうだなぁ沢村。」

ふと聞こえた声に顔を上げようとしたが、それよりも前に、目の前にふっと河村くんがしゃがみこんで来た。

「河村くん…。どうしたの?」

そう言うと、彼は持っていた袋から1つお菓子を取り出すと、それを差し出した。

「ほい、差し入れ。」

「え、ありがとう…。」

それを受けとれば、彼はすぐにもう1つ取り出してそれを優奈に渡した。

「河村くん、皆に配ってるの?」

「あー…まぁ。皆頑張ってるし、差し入れだな…。」

優奈の言葉に、河村くんは少し苦い笑みを浮かべて言った。

そんな彼が一番頑張っているのに。と、心の中で悪態をつきながら、そういえばと思って鞄からチョコレートを取り出す。

「良かったら…どうぞ。」

「え…いいの?」

あからさまに喜ぶ彼にそれを差し出せば、彼は1粒それを手に取った。

「うわ!うまっ!」

「あ!それ幸乃のお気に入りチョコ!美味しいよね。」

そう言う優奈にも差し出せば、彼女は嬉しそうに1粒取って口に入れた。

「これキャラメル入ってるよな。俺、キャラメルチョコとか初めて食った。うまい!」

「喜んでくれたなら良かった…。購買にも売ってるし…。」

「購買に売ってんのか!買ってみよ。まじでうまい。俺もお気に入りになったわ。」

楽しそうに笑う河村くんに、私も思わず笑みが溢れる。

「ありがとな!んじゃ、俺はお菓子配り行ってくるわ。」

そう言って行ってしまった彼の背中をぼんやりと見つめていれば、隣の優奈が声をあげた。

「河村くんって、結構気遣うんだね。」

大変そうと呟く彼女に、私は深く頷いた。

「結構…1人で抱え込んでる感じだから、ちょっと心配になるんだよね…。」

午前中、荷物を運び終えた河村くんはやっぱりバタバタしていて大変そうだった。

「文化祭、楽しめると良いね。」

そう口にした優奈に、私はそうだねと苦笑した。



「とりあえず終わったー!」

6時間目の終わりを知らせるチャイムが鳴り響いたのと同時に、河村くんはそう叫んだ。

ぐるっと辺りを見渡せば、全体の装飾も終わり、文化祭らしい教室へと変わっていた。

「じゃあ、明日は怪我のないように。最高に楽しめよ。以上。」

山本先生の言葉の後、最後は河村くんの号令でHRは終了した。

部活の集まりがあると言った優奈を見送って、私も帰ろうと鞄を肩に掛けた。

「沢村。」

目の前にきた人影に顔を上げれば、そこには河村くんが立っていた。

「明日よろしくな。明後日もだけど…。俺らトップバッターだからさ。」

「うん。こちらこそ。」

「にしても、みんな早く帰んねーかなー。」

辺りを見渡しながら、河村くんは深いため息をついてそう言った。

「河村くんは帰らないの?」

「あー…うん。俺施錠係だからさ。後、各出し物の個数とか、最終確認しないとだからちょっと残る。」

今日は教室を施錠すると、先程の先生の言葉を思い出す。

「みんな…中々帰らないね…。」

辺りをもう一度見渡せば、みんな身支度を終えているのにも関わらず、話をしている生徒が多かった。

「まぁ…明日文化祭だから浮かれんのも分かるけど、教室でやんないでほしいわ…。俺の帰る時間が遅くなる…。」

また深いため息をついた彼からは、疲れが目に見えて分かった。
今日のことも含め、彼は今まで一生懸命頑張ってきた。

「大丈夫…?私、何か手伝うよ?」

思わずそう口にすれば、彼は目を見開いてこちらを見つめると、いいのか?と声をあげた。

「だって…1人より2人の方が早く終わると思うし…。それに、河村くんの疲れも少しは軽減出来るかなって…。」

「……お前は本当に良い奴だな…。」

「え、いや…」

「頼んでもいいか?」

どこか嬉しそうに笑う河村くんに、私はもちろんと言って頷く。

「ありがとう!あ!帰りは家まで送るからさ!安心しろ!」

「それは…大丈夫だよ…。」

「は?!それは男の特権だろ?!」

訳の分からないことを叫ぶ彼に、もうやろうよと話を変える。

「隣の教室だったら誰もいないから、そっちからやろうよ。」

「え、あ、そうだな…!そうしよう!」

そう言って歩き出した河村くんの後を、私は鞄を置いてついて行く。

チラリと辺りを見渡して、西川くんのいる場所を確認してしまう。
彼は後ろの扉の方で同じグループのメンバーと話をしているようだった。
その中にはやっぱり黒崎さんもいて、彼女は西川くんの隣で笑っていた。

笑い合う2人の姿に、やっぱり絵になるなと考えている一方で、突き刺さる胸の痛みに気付かないふりをした。

「あ。」

急に立ち止まった河村くんにぶつかる寸前のところで、私も立ち止まった。

「あ、悪い。急に止まって。みんなに言っとこうと思って。」

振り返った河村くんを見上げれば、彼は申し訳なさそうに謝ると、私から視線を外して辺りを見渡した。

「もう施錠するからお前ら早く帰れよ。話するなら外でやれ。」

教室内に響き渡る声量で声を上げた河村くんに、話をしていた生徒が一斉に会話をやめた。
視線がこちらに集中しているのを背中で感じて、思わず俯く。

「ってことで!また明日なー!」

彼のその言葉にまた明日と返す男子の声と、帰ろうかという女子の声が聞こえた。

歩き始めた河村くんを追い掛けるように、私は振り返らず彼の後をついて行った。


「…装飾取れてんじゃねぇか…。」

3組の教室に入るなり、河村くんは深いため息をついてそう言った。

「…ちょっと…雑に付けてあるね…。」

落ちている装飾の裏を見れば、雑にテープが貼られていた。

「これじゃあ落ちて当然だ…。ったく。貼り直すか…って、テープもだけど、道具一式ねぇな。」

辺りを見渡す河村くんに、そういえばと私は声を上げた。

「清水さんが全部どこかに持っていくの見かけたかも…。」

「はぁ?!ったく…やりやがったな…。道具は全部あいつに渡しちゃったから…。どこ持ってったんだ…?あー…もう…職員室行ってくるわ…。」

イライラを全面に出した河村くんはため息をついて教室を出ていってしまった。

大変だな。
そう思いながら、落ちている装飾を1つずつ拾っていく。
落ちているものは全て雑にテープが貼られていて、河村くんも言っていたが、落ちて当然だなと思う。

「沢村…?」

呼ばれた声に、私は動きを止めて固まった。

「なにしてんの?」

先程グループのメンバーと話していた声よりも僅かに低いその声に、胸がどくんと嫌な音を経てて鳴るのを感じた。

ゆっくりと振り返って、そこに立つ西川くんを見上げる。
見上げた彼の顔には笑顔は無くて、ただ無表情なその顔に胸が締め付けられた。

「え…あ…」

そんな彼を見ていられなくて、私は思わず俯く。

「…手伝ってるの…?」

先程よりも柔らかくなった彼の声に、俯いたままうんと頷いた。

「河村に頼まれて?」

「あ…私が手伝うって言って…。」

「そっか…。」

それ以上何も喋らなくなった私たちの間には、静寂とした空気が流れていく。

「沢村ってさ…あいつのこと…」

彼の言葉をかき消すように、突然どこからかバタバタと誰かが走ってくる音が聞こえた。
その音はこちらに近付いているようで、視線を前の入り口へと向ける。

「はぁ…やっぱり片付けられてた…って、西川どした?」

案の定やって来たのは河村くんで、彼は肩で息をしながら、キョトンとした顔で西川くんを見つめた。
そんな彼に西川くんは小さく笑うと、手伝うよと言って鞄を下ろした。

「…別に良いのに…。みんなは帰ったのか?」

「うん。あっちはもう誰もいない。」

「そうか。じゃ、西川装飾頼むよ。俺よりお前の方が背高いし。」

「そんなに変わらないだろ…。」

「お前なぁ、1㎝って結構変わるぞ?な、沢村。」

急に話を振られたことに肩を震わせながらも、そうだねと曖昧に笑って答えた。

「そうそう。あ、じゃあ沢村はあっちの景品の個数確認してくれ。」

そう言ってポケットから取り出した紙を受け取って、私は頷いた。

「装飾取れてたら教えてくれ。」

分かったと言って、私は3組の教室を出た。
西川くんがきたことにより上がった心拍数を何とか落ち着かせようと、密かに深呼吸をしようと息を吸い込んだ。その時だった。

「あー!!!」

「っ?!」

後ろの方から急に聞こえてきた声に思わず振り返れば、暗闇の中、誰かがこちらに駆けてくるのが見えて後ずさる。

「な、なに?!」

思わず叫んだ私の声に、3組の教室からどうした?!という西川くんの声が聞こえる。

走ってきたその人物は、3組の教室の辺りで急に走るのをやめて歩き始めた。その瞬間に、その人物の正体が分かって肩を落とす。

「なにビビってんのよ、幸乃。」

「聡美…。」

暗闇の中から、聡美はクスクスと笑いながら現れた。

「え、何?沢村の友達?」

いつ来たのか、扉から顔を出す西川くんと河村くんに目を向け頷く。

「あ、ごめんなさい、驚かせて。幸乃の友達の1組の新井です。」

「あ、河村です。」

「西川です。」

2人によろしくと言った聡美は今度は私の方に目を向けた。

「それにしても、幸乃が残ってるなんて珍しいね。」

「あ…うん。河村くんの手伝いしてて…。」

そう言えば、彼女は何故か優しく笑ってそっかと呟いた。

「あ、終わったら一緒に帰ろうよ。」

「良いけど…。でも校門までだよね…?」

聡美の帰る方向と私の帰る方向は校門から違う。なので一緒に帰る意味はあるのかと眉を寄せれば、彼女はだってと言って続けた。

「たまには一緒に帰りたいじゃない。それに、1人で校舎の中歩くのって怖いじゃん。お化けでも出たらどうするの?」

変なことを言わないでほしい。
内心で突っ込みを入れながらとりあえず頷いた。

「よし!じゃ、私も手伝うよ。」

「え、あ…ありがとう。」

聡美の手伝いのお陰もあり、私たちは早めに4組の教室を出ることが出来た。

「いやぁ、ありがとう!新井さんも他クラスなのに手伝って貰ってありがとう!」

鍵を閉めながら、河村くんは聡美に向かって軽く頭を下げた。

「いえいえ。」

「んじゃ、帰るか。」

歩き始めた河村くんと西川くんの後を付いていくように足を進めれば、急に腕をがっと掴まれて肩が震える。

「幸乃って意外とびびりだよね。」

案の定私の腕を掴んだのは聡美で、暗闇の中でキッと彼女を睨む。

「…やめてよね…。」

「ごめんごめん。そんなに怒らないでよ。」

どっからどうみても申し訳なさなど一欠片もない彼女はクスクスと笑っていた。

校舎内は本当に真っ暗で、スマホの明かりを頼りに私たちは校舎を出た。

「新井さんって家どこ方面なの?」

河村くんの言葉に、聡美は真っ直ぐと答えた。

「真っ直ぐ進んで、すぐそこにバス停があるから、そこからはバス。」

「あ、まじか…。」

「俺は沢村送ってくよ。」

今まで口を開かなかった西川くんの言葉に、私はえっと声を漏らした。

「…お前ら同じ方向だもんな。気を付けろよ。」

「ちゃんと家まで送るから大丈夫だよ。」

「あの、それは大丈夫だよ…。」

か細い私の声に、聡美が急に駄目よと声を上げた。

「女の子1人じゃこの時間は危ないよ。送って貰いなよ。」

その言葉に、聡美もでしょと返す。

「私は平気。お兄ちゃんに迎えに来て貰うし。」

「え…。」

兄がいる。
初めて聞くその事実に目を見開いた。

「じゃあ、安心だな。あ、沢村もうすぐバス来るよ。」

西川くんの言葉に我に返ってスマホを見れば、確かにバスが車で5分もない。

「じゃ、俺たちはこれで。」

「おう。気を付けてな。」

「幸乃じゃあね。」

「うん。また明日。」

走り出した西川くんの後を追い掛けるように、私も走り始めた。


「間に合ったな。」

バス停が目に入った頃には後ろからバスは来ていて、なんとか私たちはそのバスに乗ることが出来た。

「後ろ空いてる。」

西川くんの言葉に、私たちは並んで腰かけた。

バスの中はあまり人はいなく、同じ学校の生徒は誰も乗っていなかった。

窓の外に目をやれば辺りは真っ暗で、中が明るいせいで窓に自分と、真っ直ぐに前を向く西川くんの姿が映って思わず目を背ける。

思い返せば、彼と話をしたのはいつぶりだろうか。
前は他愛もない話もできたのに。
今は話し掛けることも出来なくて、笑顔すらも見ることはない。

午前中の自分の失態を思い出し、彼の笑顔に胸が高鳴っていたけれど、度々見る黒崎さんと話す西川くんの姿がそれをかき消すように脳裏に浮かぶ。

嫉妬にまみれた黒い渦が、心を支配していくのを感じて思考を止めた。


「沢村。」

聞こえてきた自分を呼ぶ声に、私ははっと目を開けた。
目の前には見慣れたバスの椅子があって、呼ばれた方へ顔を向ければ、西川くんが困ったように笑っているのが目に入った。

「もう着くよ。」

そう言ってボタンを押す西川くんをぼんやりと見つめていたが、ふと我に返ってえ?と言葉を漏らす。

パッと次の停留所がどこかを確認すれば、そこは私の降りる所で。

「西川くんの降りる所過ぎてる…。」

はっとなってごめんなさいと言えば、彼は優しい笑みを浮かべて、良いんだよと口にした。

「暗いから家まで送る。」

「でも、」

「送らせて。」

お願い。そう言って真剣な眼差しをする彼に胸が鳴って、私は何も言えなくなって頷いた。

「ありがとう。」

「…お礼を言うのは…私の方なんだけど…。」

「あ…まぁ良いじゃん…。ほら、降りよう。」

立ち上がった西川くんに付いていくようにして、私たちはバスを降りた。

暖かい車内とは違って、外の空気は冷たかった。
暗くなった道のりを、私たちは何も話すことなく進んでいく。

「あ…。」

不意に声を漏らして立ち止まった西川くんに、私も足を止めて彼を見た。

「綺麗…。」

そう呟く彼は空を見上げていて、私も彼につられるように顔を上に向けた。

「わぁ…。」

雲1つない満天の星空に、思わず目を見開く。
輝く星々の中で、それよりも輝いている月に目を奪われた。

「あの時よりも…澄んで見えるな…。」

「あの時…?」

彼の方に目を向ければ、彼もまたこちらに目を向けて、どこか悲しそうに笑って、夏祭りの時と答えた。

そう言われ思い出す。
あの日もこうして、立ち止まって空を見上げた。
雲1つない星空は同じようで、今とは違う。

変わっていく星空のように、私たちの関係も変わっていったように思う。

『また…2人でどっかに行かないか…?』

そう言ってくれた彼の言葉が嬉しくて。けど同時に気付いた彼への想いを私は受け入れられなくて。
ぎこちなくなって、避けて、話し掛けられなくなって。

彼の隣には今、黒崎さんがいる。
悲しいのに。悔しいのに。

それでもどこか穏やかな自分が、あの約束はまだ有効だろうかと、呑気にそんなことを考えている。

受け入れたくない。
それでも彼を求めたい。

矛盾する心が葛藤する中で、やっぱり自分はあの頃の自分と何ひとつ変わらないのだと、そう思った。

「また…2人でどこかに行きたい…。」

震える声で呟いた言葉は、確かに自分の意思で言った言葉だ。

ゆっくりと見開かれていく彼の瞳を、月明かりの中ぼんやりと見つめた。

不思議と心は落ち着いていて、この静寂とした時間が心地好いように思える。

見つめていた彼の瞳が、今まで見た中で一番嬉しそうに細められた時、私の鼓動は今までにないくらい速くなっていくのを感じた。

「うん…。2人で行こう。2人で、思い出つくろう。」

久し振りに聞いた彼の優しい声音に、涙がこぼれ落ちそうになった。

「うん。」

月明かりの下。弾んだ声を響かせながら、私は優しく微笑んだ。