俯いてばかりだった。ずっと。
消極的で他人に怯え、自分が何かをしたら相手を不快にさせてしまうのではないか。

だから他人に好かれようと必死に自分を作った。

それなのに…。

『決めるのは自分。自分が幸せだと思う道を選びな。もう我慢しなくていいんだよ。』

その言葉で、私は自分を選んだ。
自分を選んでいるということにも、気が付かないふりをして。



『私も好きです。』

中学校の制服を着た私がそう言った。
目の前に立つ男子生徒は嬉しそうに笑って、私の手をとる。
笑い合う2人は幸せそうだった。

やめてやめてやめて。

その光景を、見ていたくなかった。
ぎゅっと瞳を閉じて全てを遮断する。
真っ暗な視界の中で、先程とは違う映像が浮かび上がる。

『…なさい。…ごめんなさい…。ごめんなさい。』

泣き崩れて何度も謝罪をのべているのは、私だった。

「自業自得。」

うずくまる私に向かって、私はそう呟いた。


ゆっくりと瞼を上げれば、視界はぼやけていた。何度か瞬きをして、滴が流れるのを感じて自分が泣いていることに気が付いた。
体を起こせば、着ていた服は汗で濡れていて、深いため息を溢す。
ベッドの横に置かれた時計に目をやれば、時刻はまだ朝の4時だった。

もう、何回この夢を見ているのか。
西川くんと花火大会に行ってから数日経った日から、突然見るようになった。
それから3週間弱。夢に魘される私の体は限界を超えていた。

今日は始業式。
学校までは大分時間はある。
そう思ってシャワーを浴びようと重たい体を動かしてお風呂場へと向かった。

シャワーを浴びてるときも、浮かぶのは先程の夢だった。
いや、夢ではない。過去だ。
思い出したくもない過去を、まるで見させられているように思う。
それは自分の意思なのか。
そんなことは分からないけど、結局私は未だに向き合えていない。

お風呂場を出て、また自室へ戻った。
時刻はまだ5時前で、学校の準備をするにはまだ早くて、二度寝をするのには抵抗があった。

ひとつため息を溢してとりあえずベッドへ腰掛けた。

ぼんやりと部屋の中を見つめていれば、ふと本棚に置かれた1冊の本に目が止まった。

“光”

そう書かれた本は田中くんは貰ったもので。
それを手に取り、表紙の太陽と思わしき強い光をぼんやりと見つめながら本の内容を思い出す。

主人公はもう死ぬ寸前のひとりのおばあさん。自室のベッドの上でひとり、自分の生涯を辿っていたおばあさんは思う。自分の生涯は、真っ白だったと。何も思い出せない。それは忘れてしまったとかそういう訳ではなく、おばあさんにはこうして死ぬ間際に思い出せる思い出が何一つなかったのだ。全てに怯え逃げてきた人生を、おばあさんはつまらなかったと感じた。もう意識も遠退き始めた時。おばあさんは今までに感じたことのない強い光に包まれる。次に目を開けたとき、おばあさんはかつて通っていた高校の校舎にいた。自分もまた姿も高校生の頃、見にまとっているものも高校の制服だった。過去に戻ってしまったおばあさんはそこで、つまらないと思っていた人生をもう一度やり直していくのだった。

少しだけ、この本に今の自分を重ねていた。
過去に戻って人生をやり直す。
このおばあさんは人生をやり直して、様々な困難に直面する。
それは人と関わり始めたから。
でもそれ以上におばあさんが感じたのは人のあたたかさだった。
沢山の人に出会い、支えられ、今度はおばあさんも人に優しさを与えた。
そんなおばあさんの最期はあの時のように1人孤独に息を引き取るのではなく、沢山の人たちに見守られながら意識を手放した。
息を引き取る直前、おばあさんは1人の孫の顔を見て言った。
『傷付けられるのも人だけど、傷付いた心を癒してくれるのもまた、人なんだよ。』
心を閉ざした少女に、おばあさんは人と出会えて良かったと幸せそうに笑った。

最後のシーンを読み返しながら思った。
自分もこうなれるだろうか。
ふと、西川くんのバイト先で出会ったマスターを思い出す。

『前に進むことは必ずしも幸せに繋がる訳じゃない。この世に不幸なことなんて山ほどある。でも、塞ぎ込んで立ち止まってるだけじゃ、幸せなんて一生感じられない。』

それに立ち向かえるほどの力を、私は持っていない。
傷付くことが怖いから立ち止まったまま。私はずっとあの時に囚われている。

深いため息を溢して本を閉じる。

今このとき、自分がどうしたら良いのかが分からなくなった。
何のために過去に戻ったのか。その理由は明確で。未来を、自分を変えたいから。
けれど変えるための方法と、困難に耐えられる強さを私は持ち合わせていない。

崩れるようにベッドに倒れ込んで目を閉じる。
このまま寝てしまったら、またあの夢を見る。
そんなことは分かっているのに、重たくなった瞼を持ち上げることはできず、私はそのまま意識を手放した。