「ここら辺で見えるかな。」

「あんまり人がいないね。」

屋台からは少し離れた神社に西川くんは連れてきてくれた。
辺りを見渡しても人はそんなにいなくて、少しだけ肩の力が抜けた。

「やっぱ人混みはきついな。」

「え。」

彼の言葉に思わず驚いてしまったが、そういえば彼が前に人と話すのが苦手だと打ち明けてくれたのを思い出して納得した。

「まだあと15分ある。座るか。」

低い石の塀に腰かけた西川くんの隣に、私も腰かける。

「沢村は夏休み、どっか行ったりした?」

「え…あ…えと…特には…。に、西川くんは…?」

こういう時に語れることがなくて、自分に嫌気がさす。それでも会話をつまらせることはしたくなくて、逆に聞き返す。

「俺も…特にないな…。バイト多目に入れてるくらいかな…。」

「あ…そういえば…帰省は…」

「ああ。行ってきた。7月の終わりに。また8月の終わりにも行く。」

「そっか…。久し振りに会うと嬉しいだろうね…。」

「うん。弟の成長が早いよ。」

弟がいたことにふと納得してしまった。
だから彼は面倒見が良いのかもしれない。そう思った。

「……母さんにも会ってきたんだ。」

そう言った西川くんの声のトーンが、少しだけ低くなったような気がした。

そしてその言い方に、僅かに違和感を覚える。

「そうなんだ…。」

何て言って良いのかが分からずにそう言えば、彼は急に口を閉ざしてしまった。

俯く彼の表情は見えなくて、静寂とした空気に緊張感が走る。

「俺さ…ずっと孤立してたんだ。」

不意に顔を上げて、西川くんはそう言った。
初めて聞かされた事実に、私は目を見開く。

「どう…して…。」

今じゃ想像もつかないその言葉に、私は動揺も隠せずにそう呟いた。
暫くまた静寂な空気が流れたあと、彼は静かに語り始めた。

「人と関わるのが嫌になった…。小さい頃はそうでもなかった。でも中学校に上がった頃からかな…。人の嫌な部分がよく見えるようになった気がする。何が自分の中で引き金になったのかは分からない。でも、積み重なったものに耐えきれなくなって、ある日壊れた。人が黒くて汚くて気持ち悪いって…そう思うようになった…。人と話すのをやめて、笑わなくなって、挙げ句の果てに引きこもった。」

どこか遠くを見つめる西川くんは確かにここにいるのに、今話してる彼は一体誰なのだろうかと思ってしまう。それほどに、私の知ってる彼からは似つかわしくない話だった。

「ひきこもって、誰とも関わらなくなって、正直楽だった。誰にも干渉されずに、誰のことも干渉しない。」

同じだと思った。人と関わるのが嫌で、誰の目にも自分を入れてほしくなくて、自分自身も他人を受け入れなかった。
目の前にいる彼が自分と重なって、けれどふと思う。
彼は変われた。それはどうして…?
彼の方へ目を向ければ、西川くんは悲しそうに顔を歪めていた。

「でも、母親は違った。当たり前なのかもしれないけど、しつこくて…。それが嫌で嫌で…。思春期だったからなのかもしれない。すごい最低な態度を、母親に対して取ってた…。」

申し訳なさそうに話す西川くんは、どこか後悔しているように見えた。そんな彼は口を閉じると、何かを堪えるように下を向いた。
そして静かに顔をあげると、私の方へ視線を向けた。その表情はやっぱり後悔で満ち溢れているような気がした。

「中3の冬…母親が病気で亡くなった…。」

「え…?」

衝撃の事実に、周りの騒音が一瞬にして聞こえなくなった。

亡くなった。それが彼にとってどれだけ辛いことだったか、分かろうとしても到底分かるはずはないのだと思った。

「余命宣告されてたのに、俺は母さんの死に際にも立ち会えなかった。何も知らなかった…。だから思わず父さんに当たった…。何で教えてくれなかったんだって…。その時に殴られた。向き合おうとしなかったのはお前だろうって…。」

その言葉が何故だか私の胸に突き刺さって、僅かな痛みを感じた。

「後悔しかなかった…。自分の馬鹿みたいな考えで、向き合わなきゃいけない人と向き合えずに、こうして失って初めて気が付いた…。本当に俺は馬鹿だったって…。」

自嘲の笑みを浮かべる彼の手は、密かに震えていた。
後悔に押し潰され、怒りと悲しみを抑えているように見えて、思わず彼の手に触れる。

「え…」

目を見開いた西川くんは、すぐに笑みをこぼしてありがとうと口にした。
そっと彼の手を握っている私の両手を、西川くんは空いている方の手で握ってくれた。

「こればっかりはさ…後悔してもどうしようもないんだよね…。」

その言葉に、ふと脳裏にサチが浮かんだ。

“おねーさん、過去に戻りたいんでしょ?”

そんなの、私なんかよりも戻らなければいけない人がいるのに。
彼が戻ったらきっと真っ先にお母さんと向き合って、明るい未来を築けるのに。
心の中で強く、自分ではなく西川くんにと願ってしまう。

「でも…後悔して分かった…。俺、今のままじゃ駄目だって。こんなことで気が付くのって、本当に駄目なんだけど、でも、もう過去は変えられないし、前に進むしかないから…。俺は自分を変えたいんだ。」

そう言ったのと同時に、遠くの方からヒューという音が聞こえ、ぱっと辺りが明るくなったかと思えば、ドンッという音が鳴り響いた。

「花火、始まったな。」

どんどん打ち上がっていく花火を、私たちは見つめた。

「綺麗だな。」

そう呟く彼の横顔はどこかスッキリしているように見えた。
未だに乗せたままでいる自分の手をそっと彼から離せば、ゆっくりと西川くんがこちらに目を向ける。その時初めて、彼との距離が近いことに気が付いて、少しだけ体温が上がるのを感じた。

「西川くんは…変われるよ…。」

どんどんと鳴り響く音にかき消されないように、確かにそう口にした。
私の声が届いたのか、西川くんは笑った。
その瞳にうっすらと涙を浮かべながら。