自分でも、なぜあの場所から逃げ出したのかは分からなかった。

ただ逃げたくて、あそこに居たくなくて、2人の言葉を思い出す度にどこか居心地の悪い感覚に襲われる。

カフェを飛び出した私が辿り着いたのは公園だった。
中学校の頃、よく来ていたこの公園はどこか居心地が良かった。

雪崩れるようにベンチに座り込んで、瞳を閉じてうずくまるように顔を伏せた。

少しだけ冷静になった頭で、やってしまったと思う。

耳にこびりついた西川くんの言葉に涙が溢れそうになって堪える。

初めてだった。
あんなことを言われたのは。
同時に恐怖を覚えたのも、言われ慣れていない言葉を言われてどうしたらいいのか分からなかったからだ。

「…なに…やってるんだろ…。」

密かに震える自分の肩を抱いて、震える声でそう呟いた。

『塞ぎ込んで立ち止まってるだけじゃ、幸せなんて一生感じられない。』

マスターの言葉がまた思い起こされて、私の胸に突き刺さる。

それは、わかっている。

強がりにも似た言葉を吐き捨てる。

わかっている。このままではいけないことくらい。それでも前に進めない。
怖い。変わろうとしたって、結局何も変わらない。自分も、周りも。
乗り越えられるくらい自分は強くはないし、それを乗り越えてくれる友達なんていない。

『1人で悩まないで。』

「っ…」

「沢村!!!!」

「っ!!」

私を呼ぶその声に、深く息をのんだ。

西川くん…。

顔をあげなくても、彼だということはわかった。
だからこそ私は顔をあげられずにいた。

近付いてくる足音に耳を済ます。
こんな姿見られたくなくて、けど笑顔を作れる自信もなくて、顔を伏せたまま必死に願った。

こっちに来ないで。

それでも音はだんだんと近付いてきて、足音は私の前で止まった。

「沢村…。」

どこか弱々しい彼の声が胸に刺さる。

彼からしたら訳が分からないだろう。
勝手にカフェを飛び出して、話し掛けても顔を伏せたままで。

こんな幼稚な自分が、情けなくて悔しくて、心底嫌気がさした。

「ごめん。」

その言葉が聞こえたのと同時に、頭にふと重みを感じた。

「色んなこと…あったんだよな…。思い出させてごめん。それでも俺は、沢村の力になりたいんだ…。」

「っ…」

胸が締め付けられる感覚に襲われて、なんだか息苦しくなった。
止め度なく流れてくる涙を、私はもう抑えることが出来なかった。

それに気が付いた西川くんは、優しく私の頭を撫でてくれた。
その優しさに余計に胸が痛くなって、苦しくなって、けれど心の片隅で嬉しいという感情が芽生えていた。

「…ごめっ…なさ…」

震えた声で発した言葉は、きちんとした言葉にはなっていないように思う。
それでも何度も何度もごめんなさいを繰り返した私の頭を、西川くんは何度も何度も撫でてくれた。



何分、何十分。そうしていたかは分からない。
私はようやく、涙を拭って顔を上げた。
視界に入ったのは西川くんの悲しげな顔で、その表情に胸が締め付けられた。

「大丈夫か…?」

少し困ったように笑う西川くんに、私は頷いた。
頷き返した彼は立ち上がると、私の横に腰掛けた。

「ごめんなさい…。」

今度はハッキリとそう告げた。

「謝る理由が分からない。」

今まで聞いたことのない冷めたような彼の声が、私の胸に突き刺さった。

「沢村はさ…ずっと俯いてる感じだよな…。」

その言葉に咄嗟に顔を上げて彼の方に向ければ、なぜか彼は笑った。

「そういうことでは…ない訳じゃないけど…。何て言うか…消極的な感じだよな。」

私から視線を外して、彼は前を向いた。
それに習うように私も前を向けば、丁度公園に小さな子供達と母親らしき人達が笑いながら入ってきた。

今の私達の状況と比べると、まるで正反対のように思う。

「俺ずっと、気になってたんだ…。」

「え…」

その言葉にまた彼の方へ視線を向ければ、今度は目が合うことはなかった。

「ずっと俯いてる感じで、表情を表に出すことなく、人と関わろうとしなくて、1人に自分からなろうとしてる…。」

「っ…」

見透かされていた事実に、密かに体が震える。

「でも、席替えしてから変わったように思う。少しずつ、目を合わせてくれるようになった。」

席替えというワードで、自分がその日に過去に戻ったことを思い出した。
彼は僅かな私の変化に、気が付いてくれたのか。

「でもやっぱり、どこか怯えてる感じがした…。それでも少しずつ、沢村が変わろうとしてるの、俺は見てたよ。」

不意に彼はこちらに視線を向けると、優しく笑った。
その笑顔に胸が高鳴って締め付けられる。

「さっきも言ったけど、俺は沢村の力になりたい。1人で抱え込んで、1人で泣かないで…。一緒に悩もう。泣いてたら慰める。笑顔になれたら笑い合おう。幸せって、1人では掴めないと思うから…。誰かがいるから、誰かと共有するから、幸せって感じるんじゃないかって思う。」

ずっと、この先も私は1人なのだと思っていた。
人といるのは苦痛だった。
相手の感情に一喜一憂して、嫌われないように、好かれるようにと気を張って。
どうしたらいいのかと他人を真似ていれば自分が自分では無くなった。
それでも自分をさらけ出したとき、私は私を嫌った。
人間というものが、心底嫌いになった。

それなのに。
こんな私にも、彼は手を差し伸べてくれる。

その手を取っても良いのだろうか。

ぼやける視界の中で見えた彼の笑顔は輝いていた。

「ありがとう…。」

不意に溢れた言葉は、震えていた。
胸が熱くて、さっきとは違う涙が溢れて、自分でも感じたことのない感情が溢れ出ているように思う。

「少しずつで良いから。俺は沢村のことが知りたい。支えたい。だから、もっと会話をしよう。」

そんな彼の言葉に、私は深く頷いた。