教室へ戻れば、ぼんやりと窓の外を見つめる長月さんが目に入った。
そんな彼女に近づいて先程買ったチョコレートを差し出せば、えっと声を上げてこちらを見た。

「…えと…差し入れ…。絵、頑張ってね…。」

彼女の目を見て小さな声でそう言えば、彼女の目がみるみる見開いていくのが分かった。

なんだか恥ずかしくなって顔を反らそうとしたところで、ガシッとチョコレートの箱ごと手を掴まれる。

「え…」

「ありがとう!沢村さん!」

満面の笑みで笑う彼女に、顔が熱くなっていくのを感じて俯く。

そっと離された右手もゆっくりと熱を持ち始めて、隠すようにゆっくりと背中に持っていった。

「ねぇ…」

暫くそこから動けずに立ち尽くしていれば、長月さんが小さく声を漏らした。

チラッと視線を彼女の方に向ければ、彼女の視線は私ではなくチョコレートにいっていた。

「幸乃…って、呼んでもいい?」

初めて彼女の口から聞こえたその言葉にドキリと胸が高鳴る。
視線が合わないのを良いことに、私は彼女を見つめてうんと頷いた。

「私のことは…優奈って呼んで。よろしくね、幸乃。」

顔を上げて、彼女は照れくさそうに笑った。
そんな彼女にまた胸が熱くなって、私はただよろしくねとだけ告げて顔を反らした。

タイミングよくチャイムが鳴ったことで、私は彼女にじゃあと言ってそそくさと席に着いた。

少しずつ、頬が熱くなっていくのを感じて俯く。

思えば、こうして“幸乃”と名前で呼んでくれたのは、この4年間では両親と聡美だけだった。

4年間何をしていたのだろうと、一瞬暗い感情が胸を過ったけれどすぐにそれは拭われた。

今私は、少しでも変われてるのだろうか。

『一辺に全部変えなくたって良いんだよ。ゆっくりでいい。少しずつでいい。』

いつだったかサチの言った言葉が頭を過る。

ゆっくり…。少しずつ…。

「はい。授業始めるわよ。」

教室に入ってきた宮本先生の声に、私は我に返って国語の教科書を取り出した。

顔を上げて先生の方を見れば、バチっと視線が交わる。

「…あ…」

先生は私を見つめたまま、優しく笑って小さく頷いた。
そしてすぐに視線を反らすと、号令と声を上げた。

『力を抜いて、顔をあげるだけで、少しでも変われるから。』

宮本先生の優しい声が、まるでテープを再生したかのように蘇る。

気が付けば、ほんの少しだけ背筋を伸ばしている自分に気がついて、恥ずかしくなって俯く。

「……。」

視線を先生のところにもう一度やれば、先生はまた優しく笑っていた。

今度は視線は交わらない。

笑顔を崩すことなく生徒と向き合う先生は、やっぱり背筋を伸ばして凛としていた。
そんな先生を、私はまた凛々しくて素敵だと思った。