家に帰れば、母はあの頃のようにおかえりという言葉をくれた。

「ただ…いま…。」

口に出した声は少しだけ震えていて、それに気付いた母に背を向けて、私はそそくさと自室へ向かった。

こんなにもあたたかかったのだと、あの冷えきった一人暮らしの部屋を思い出して感じた。
なんだか無性に泣きそうになって、思わず唇を噛み締めて堪える。

「…はぁ…。」

今日は長かった。
ため息をつきながらベッドへ飛び込んで瞳を閉じる。
今日あったことをまたぼんやりと思い出した。
けれどだんだんと意識が遠退いていくのが分かって、そこで思い出すことが出来なくなっていく。

このまま眠りについたら元の世界に戻ってしまうのかな。

そんなことをぼんやりと考えながらも、眠気には敵わず瞼を上げることはできなかった。
そしてそのまま私は意識を手放すと、夢を見た。
それは仕事の夢でも、高校生の時の夢でもない。

ああ…あれは…小学生の私…。

目の前にいるのは2人の女の子と私。恐らく8歳の時だろう。 
私はこの光景を知っている。

『私、ゆりちゃんと遊ぶから。』

気の強そうな女の子が私にそう言った。ただ平然と。
隣に立つゆりちゃんもまた平然としていて。
何も言えない私がただ頷くのが分かった。

遠ざかっていく2人の背中を、唇を噛み締めながら私が見ている。

胸が苦しくなった。
涙が出そうになった。
どうして私が仲間外れにされたのかなんて、今の私も、目の前にいる小学生の私も分からない。

暫くして目の前の私がしゃがみこむ。腕で顔を隠して。
そして遠くの方で私を呼ぶ先生の声が聞こえた。

どうしたの?と先生が聞く。
どこか痛いの?その問い掛けに私が頷いた。
涙を袖で拭って、腕をさすって何度も頷いた。

『さっき転んじゃって…。』

痛い。
その言葉がはっきりと告げられ、先生はじゃあ手当てをしようと私の肩に手を置いて校舎へと連れていく。
そんな2人の姿がすっと消えていった。
周りの景色もぼんやりとしてきて、元の原型が分からなくなっていく。

もう目が覚める。
そう思って目を閉じた時だった。

『痛い…心が…。』

薄れゆく意識の中、聞こえたのはあの頃の悲痛な私の声だった。


「…っ…。」

目を開ければ、そこは高校生の頃の私の部屋だった。
辺りは暗くなっていて、ベッドの側にある時計に目をやれば丁度時刻は夜の7時を指していた。
起き上がって電気を点ける。

ぼんやりと先程の夢を思い出して、密かに胸が痛むのを感じた。

あの頃は、恐れながらも変われていたなとふいに思い出す。
好かれるように。
ゆりちゃんのようになれば、今度は仲間外れにされないかもしれないと。
馬鹿げていると思った。
結局、似たようなことがまたあった。

仲の良かった子に、なんの前触れもなく無視をされた。
その子は私以外とは普通に会話をしていて、私が話し掛けると無視をした。
悲しくて、自分が何をしたかを必死に考えていた。
その後、無視をしたその子は言った。
遊びでやっただけだよと。笑いながら。
怒りがわいた。
悲しみがわいた。
そして馬鹿みたいにまた思った。

こんな性格じゃなかったら。

「下らない…。」

呟いた声が、誰もいない部屋に静かに消えていく。

もう何も考えたくなくて、瞼を閉じて真っ暗になったそこをただ見つめた。

「決心はできた?」

「え?」

私ではないその声にパッと目を開けた。
ふと扉の方に目をやれば、サチが笑みを浮かべながら立っていた。

「サ…チ…」

いつからそこに…。

ぼんやりとサチを見つめていれば、彼女はまた同じ言葉を口にした。

「決心はできた?変わるための決心。」

「変わるため…?」

「おねーさん。これはね、現実だよ。明日になってもおねーさんはこの部屋にいるし、学校にも行かなくちゃいけない。時間は流れていく。このままじゃ同じだよ?」

同じ…。それはきっと、何も変わらないまま終わってしまうということなのだろうか…?

「同じ…。」

過去の変われなかった自分を思い出して唇を噛み締める。

「一辺に全部変えなくたって良いんだよ。ゆっくりでいい。少しずつでいい。でも、変わることを諦めないで、恐れないで。人と関わってたら、傷付くことなんて沢山ある。もちろん傷付けることだって。それでも臆病にならないで。大丈夫。だって変われたら、おねーさんを支えてくれる人が必ず現れるから。」

そう言って優しくサチは笑った。
見た目は幼いのに、表情も声音も随分と大人びているように思えた。

「もっと周りを見てごらん。顔を上げてごらん。思っているよりも光は、そう遠くないから。」

「ひかり…?」

私がそう呟いたのと同時に、サチはニコッと可愛らしい笑みを浮かべた。

「大丈夫だよ。」

うっすらとサチの体が透けていることに気が付いて、え?!と声をあげる。
思わず立ち上がってサチの方に手を伸ばすが、サチはそのまま私の部屋に溶け込むように消えてしまった。
空を切った手は行き場をなくして、そっとその手を握り締める。

「変わる……。」

静かになった部屋の中で1人、私は先程のサチの言葉を思い出していた。