「辛い、ですか?」

 大丈夫かとは、聞かなかった。そう聞くと、違っても頷かれる場合があるからである。
 そして最初「いいえ」と答えが返ってきたが――少しして「いえ」と訂正が入った。

「……不幸では、ないんです。ただ子供を産んでから、生活がこの子中心になって……こうして話を聞いて貰うのも、お礼を言われたのも……気遣って貰うのも、久しぶりです」
「そんな……」
「あ、だからって旦那が酷い人だって訳じゃないんですよ? ただ、結婚して五年目でやっと生まれた子なんで。仕事から帰ってずっと構いたがるのも、昼間のこの子の様子を聞きたがるのも解るんです」
「ええ」
「……ただ、たまにはわたしの話もって思っちゃって」
「そうですよね」
「だから、教会に行った旦那からここの話を聞いて……こうして、来ちゃいました」

 直接、対面していないおかげか、今まで抱え込んできただろう言葉が、想いが溢れ出ていた。本人の言う通り、不幸ではないのだろう。ただ本当に、自分の話を聞いて貰いたかったようだ。
 その邪魔にならないように、けれど聞いていることを示すように、私はあいづちを打ちながら見えないながらも頷くところでは頭を下げ、時には身を乗り出した。こうすると見えなくても、声に動きが乗るのである。
 ……そして、一時間近く経った頃だろうか?

「ありがとう、ございました……あの、また来ても?」
「ええ、勿論です。奥様の散歩がてらに、ぜひ」
「ふふ……本当に、ありがとうございます」
「ぶぅ」
「いえ」

 話し終えた声は、とてもすっきりしていた。
 だから私がそう言うと、母親だけではなく赤ん坊からもアンサーのようなものが返ってきて、答えながらこっそりと私は笑った。



 その日の相談者は結局、一人だけだった。
 これくらいなら、内職に売る為の刺繍をしようかと思って持ってきたら、次の日はまた別の女性が来た。
 何でも、昨日の女性がなかなか家から出ないので、気になっていたが――ここから帰るところを見かけて、話を聞いたのだと言う。

「赤ん坊が病気になるんじゃないかって、心配で家から出られなかったんだってさ。日向ぼっこは、逆に体にいいんだって教えてあげたよ。聖女様、ありがとうね」
「私は、何も……」
「いやいや。初めて子を持つ母親は、手負いの獣みたいなもんだから。子供を守ろうとして、家にこもりがちなんだよ。あたしみたいに何人も産んでいれば、周りに頼ることも息抜きも覚えるんだけどね……まずは、外に出て来て貰わないと話も出来なくてさ。迷惑でなければ今後、妊婦にここの話をしたいんだけど。産んで、家にこもる前に……どうだい?」

 話を聞きながら、思い出したのは前世に聞いた『産後鬱』だった。本もテレビもネットもないこの世界では今、来ているような先輩主婦の話を聞くのが一番だろうが――心身共に余裕がなければ、確かに難しいだろう。聖堂に来ることで、少しでも外に出るきっかけになるのなら。

「……私のような、若輩者でよけれは」
「聖女様は、難しい言葉を知ってるね! とにかく、ありがとう!」

 頷いた途端、嬉しそうな声が壁の向こうから返ってきたのに、私の頬はつられて緩んだ。