「許すも何も……僕に、そんな権利はありません。だからどうか、頭を上げて下さい」

 しばしの沈黙の後、頭の上からケイン様の声がした。
 促されたのにそっと顔を上げると、黒い瞳が不安げに私を見つめていた。意外と、と言っては悪いが可愛いところもあるのだと思う。

(ツンデレ……? 腹黒は、ちょっと違うし……やっぱり、馬鹿かな? いや、でもそれだとただの悪口だし)

 そんな訳で、私はケイン様のあだなを考えてみた。
 見た目は賢そうだが、子供と言うのを差し引いても中身は真っ直ぐと言うか、体当たり気質だ。別に不幸は望んでいないので今後、周囲と衝突して人間不信にならないことを祈るのみである。

(となると……うん、猪にしよう)

 そう結論付けると、私はケイン様に微笑んで見せた。気をつけないとあざとくなるので、あくまでも控えめに。

「ありがとうございます、(ケイン)様」

 そしてお礼を言いつつ私は突然のフラグを無事に折り、修道院での生活を手放さずに済んだので、組んだ手にこっそり力を込めた。



 貴族だからと言って、それだけで淑女(礼儀正しく、落ち着いた女性)になれる訳ではない。現に王妃は自分の息子の婚約者として、貴族という立場に胡坐をかいた娘達ではなく、半分平民の血を引く娘・エマを選んだのだ。

(確かに、殿下に冷たくされても泣き出さなかった根性は認めるが)

 しかしケインは、イザベルに――血筋も、令嬢としての資質も文句無しの相手に出会った。
 アルスやエドガーの話だけだと、出来過ぎていてむしろ嘘臭かった。それ故、実際に会って話をしたのだが、イザベルは幼いながらも『聖女』と呼ばれるだけあって完璧な淑女だった。

(だが彼女は、あの清らかさと亡き母君の為に、修道院にいることを望んだ)

 父であるセルダ侯爵が、イザベル達母子を顧みなかったことは聞いている。だからこそ彼女は亡き母を慕い、同じ爵位の相手の自分に『お願い』までして家に戻ることを拒んだのだろう。

(殿下もだが、僕の婚約者にと望んだら……完全に、嫌われてしまうだろうな)

 初めて魅了された相手だったが、修道院に居続けるのなら宰相家嫡男の息子と彼女が結ばれることはない。だからこのまま、自分は彼女を見守って困った時には力を貸そうと思う。
 そう決意して、ケインはユリウスにイザベルと会ったこと。それから、亡き母への健気な想いから修道院から離れる気がないことを伝えた。

「そう警戒するな。嫌がっている相手に、無理強いする気はない」

 ケインの話を聞いて、ユリウスも同じ結論(いくら資質があっても、己とは結ばれない)に達したのだろう。あっさりそう言ったのに、ケインはホッと胸を撫で下ろした。そして、アルスの授業を受ける為に自分の席に着いた。
 ……だから、ケインはユリウスがぽつりと呟いたことを知らない。

「そうなると、私はあの人形と婚約するのか……人形同士、お似合いだな」