修道院の朝は、早い。
五時に起床。それから七時の朝食までは祈りと聖歌を神に捧げる。そして昼食を挟んで午前、午後と各仕事場で作業した後、夕食と晩の祈りを行なう。
休日はないので最初、どこで令嬢教育を受けるのかと思った私だったが――晩の祈りの前に、くつろぎのひとときと呼ばれる時間がある。修道士・修道女達はここで余暇を楽しむそうだ。
「流石に、毎日という訳にはいかないが……まずは週に二回、二日おきくらいで教えようと思う」
「まあ、明日は勘弁してあげるわね。鐘が鳴るから、寝てられないと思うけどぉ……しっかり、早起きしなさいよ?」
「はい、ありがとうございます」
修道院に来て、アントワーヌ様とビアンカ様にそう言われたけど――幸い、おまじないが効いたのか五時ちょうど、鐘が鳴る直前に目が覚めた。そして鐘の音と共に起き上がる。
「……寝起きの良い子だね」
「え、若さ? 若さなの?」
私からすれば、お二人も鐘が鳴ってまもなく起き出したので十分、すごいと思うけど――先に起きたことは事実なので、私は笑って誤魔化すことにした。
※
礼拝堂での神への祈りと歌は、座っていれば何とかなったので座って出来た。
心配だった、午前と午後の労働も――薬草畑の水やりや、摘み取り。あと、針仕事も何とかなった。
大変だったのは、水汲みや家畜の世話だ。水を入れてしまうと桶を持ち上げられないし、敷いていて汚れた藁をかくフォークを持つのも難しい。
修行としての労働なので、出来ることをすれば良い。そう言われはしたが、私としては前世の記憶の中で気になることがあったので、この機会に尋ねることにした。
「……魔法を使っては、駄目でしょうか?」
この世界の人は――平民では珍しいが貴族は大抵、魔法が使える。そんな訳で、現世の私(イザベル)も魔法を使える。
知った時は「ファンタジーだ」と思い、次いで自分の属性が『闇属性』だと知った時は「悪役かな?」と思った。しかし、屋敷にいる間に侍女のローラに聞くと少し違った。
確かに光属性には癒しや浄化効果もあり、前世の私が物語で読んだような聖なるイメージがある。希少属性ということもあり、教会や王族に求められるという辺りが、ますます聖人や聖女な感じがする。
けれど、それ以外の属性は――闇も含めて、使役するものだ。だから、現世の私もその気になれば影で物を運んだり、それこそ踏み台のように自分を持ち上げるように使える。これなら、労働の幅が広がるだろう。
(あ、でもそれこそ修行だから、魔法を使うとズルみたいになるのかな?)
あと、平民では使えない者も多いので禁止されているかもしれない。そう思って、アントワーヌ様達に尋ねると――逆に、不思議そうに見返された。
「魔法を使う? 何か、嫌がらせをされたのかい?」
「そういう、短絡的な子でもなさそうだけど……あ、もしかして神兵とかになりたいの?」
「……えっ?」
聞き返された内容の意味が解らず、私は思わず首を傾げた。
この世界の貴族と、一部平民には魔法が使える。
……それは事実だが、魔法の使い方が私の思っていたものとまるで違った。
「攻撃と防御、のみ?」
「ああ。だから令息にとっては敵を倒す剣と同義で、令嬢にとっては己を守る懐剣のようなものだ」
「……魔法は解るのに、何でその使い方を知らないの?」
「ほ、本で魔法があることだけ、読みましたから」
くつろぎのひとときの後、部屋に戻ってきた時、私は二人に尋ねた。
アントワーヌ様の説明に目を見張っていると、ビアンカ様から問いかけられて私は笑って誤魔化した。そして話題を変える為に、実践してみることにした。
「私は、小さいので……こうして魔法を使うことで、もっと色んな労働が出来ると思ったんです」
「「っ!?」」
概念が無いのなら、見て貰った方が早い。
そう思って、私は自分の影を動かして背後から抱っこするように持ち上げて貰った。目線が高くなったのに、両手を万歳して見せる。自分からは見えないが、イメージとしては昔、アニメで見た、どんな形にでも変形出来る生き物のような感じだろうか?
「こうすれば、一人では届かない高いところにも手が届きますし、あとは影を動かして一人で持てないものを運べると思います」
「……魔法を『労働力』や『補助』として、使うと言うのかい?」
「すごい発想ね……考えたこともなかったわ」
「私は逆に、攻撃や防御に使うと思わなかったので……あの、だから嫌がらせとかはないです。心配をおかけして、申し訳ないです」
むしろ、突然現れた幼女を修道士や修道女の皆さんはひどく可愛がってくれた。だから、そこは誤解が無いようにしっかり伝える。
「私の魔法の属性は闇なので、こうして影を使ってになりますが……他の魔法でも、水をお掃除や畑仕事に使ったり、風で空気の入れ替えや寒暖の調整したり出来るんじゃないでしょうか?」
「はぁ~……どっから来たの? その発想」
「……成程。実に、興味深い」
魔法の可能性について私が語ると、ビアンカ様は話に付いていけないのかポカンとし。逆に、アントワーヌ様は面白がるようにその瞳を細めた。そして、腰かけていた寝台から立ち上がり、影に抱えられたままの私の顔を覗きこむように目線を合わせる。
「ただ、我々の独断では判断出来ない……明日、院長にお伺いを立てよう。我々もだが、神兵達にも魔法が使える者がいる。どんな風に使えるかは、色んな属性の魔法で試した方が良いだろうからな」
「……ああ。だから、ビアンカ様が先程」
「そうよ……ある意味、もっとぶっ飛んだ思いつきだったけどね」
そう言って、アントワーヌ様は昨日のように私の頭をベールの上から撫でてくれた。そしてビアンカ様もやれやれって感じで笑ってくれた。
それにつられて、あるいはホッとして――私の丸い頬も、笑みに緩んだ。
朝の祈りと聖歌を終え、朝食を終えた後に私達は院長・クロエ様のところへと赴いた。
説明はアントワーヌ様がしてくれて、院長が疑問に思ったことは私に聞いてきた。それに、私が答えると――しばし考えるように目を伏せた後、ポンッと手を合わせてにっこりと笑った。
「まずは、やってみましょうか……神兵達にも声をかけるから、ちょっと協力してちょうだいね」
そう言うと、クロエ様は私達を連れて建物の裏手へと向かった。
そこでは、修道服を着た青年や男性が木剣で打ち合っていた。昨日の話だと、修道士や修道女で三十人くらいと聞いていたが――屈強な男性が十人くらいいる(思ったより多い)のに驚いたし、思えば夕食や朝食の時にいなかったので。訓練もだが、普段はこうして別行動を取っているということなんだろう。
(……って、言うか)
ただでさえ知らない男性ってだけでも怖いのに、何人もいるとますます怖い。
すると、昨日会ったラウルさんが駆け寄ってきてくれた。知っている顔に内心、ホッとしていると、ラウルさんはクロエ様に声をかけた。
「院長様、どうなさいましたか?」
「あら、ラウル。ちょうど良かったわ……あなたにも、声をかけるつもりだったのよ」
「「えっ?」」
院長の言葉に、ラウルさんと私は同時に声を上げた。ラウルさんは不思議そうに、そして私はラウルさんが魔法を使えることに驚いてだ。
そんな私の前で、クロエ様がラウルさんや他の神兵の人達に私の思いつきを説明してくれる。それから、クルリと私の方を向いて。
「この子の発案なの……さあ、イザベル? 実際、やってみてちょうだい?」
「はい」
いきなり振られてちょっと驚いたけど、まあ、やってみようと言っていたし――そう思いながら、クロエ様からの言葉に頷き、私はラウルさんの持っていた木剣に目をやった。
「ラウルさん、あの、よければ少しだけその剣をお借り出来ないでしょうか?」
「…………」
「あの……」
「大丈夫か?」
「えっ?」
問いかけに、しばし無言で返された後、質問返しをされる。主語がなくて最初、戸惑ったが「私が剣に対して」ということだろうか? それとも「幼女が剣を持てるのか」ということだろうか?
「怖くないですよ? あ、それとも私が、剣を落としそうで心配ですか?」
「いや……わかった」
「ありがとうございます、気をつけますね」
お礼を言うと私は昨夜、アントワーヌ様達に見せたように足元の影を使って、ラウルさんと同じくらいの高さまで持ち上げて貰った。
そして、目を見張るラウルさんに一礼し、木剣へと手を差し出して――重かったので、私を抱える手の他に影の手を増やして、ぷるぷるしていた私の手を支えて貰った。うん、これで落とさない。一安心。
主人公視点/ラウル視点
※
闇魔法を使って、小さな体だけだと不可能な剣を持った私に、アントワーヌ様とビアンカ様以外、クロエ様や神兵の皆さんからどよめきが起こる。
「このように、私が闇属性の魔法を使っているのは『重いものを持つ』為です。魔法は攻撃や防御だけではなく、こんな風にもっと色んな使い道があると思います……楽をすると言うより、出来ることを増やすことを目的としています」
「……君が、考えたのか?」
「はい、そうです。他の魔法でも……畑に水を撒いたり、部屋の換気をしたり。炎なら、光の代わりに暗いところを照らしたり、部屋を温かくするのにも使えると思います」
「……炎だぞ? 危険だ」
そう言うと、ラウルさんは自分の手から燃え上がる炎の球を出した。そんな場合じゃないのだけど、つい心の中の厨二がときめいてしまう。
(ファイヤーボール! 確かに、それをそのまま人や物にぶつけるなら、大火事で大惨事だけど)
でも、と私は前世の漫画で読んだ言葉を続けた。
「剣のように、魔法も道具だと考えて下さい。私達人間の使い方で攻撃することにも、攻撃を受け止める為にも……そして私の闇魔法のように補助として、杖のようにも使えます。つまり、人の心の在り方次第なんです」
「心の、在り方……」
そんな私の言葉をくり返すと、それに応えるようにラウルさんの炎の球が小さい、それこそロウソクの灯りくらいの大きさの炎に分かれた。
(ラウルさん、ありがとう! 強面だけど、何て素直で良い人なの!?)
これなら、希少な光魔法がなくても照明に使える。あと、薪に頼らなくても燃料として魔法の炎が使えるのではないだろうか?
夢が広がるのに、私がワクワクしていると――不意に、炎を消したラウルさんが私の前で跪いた。そして、慌てて降ろして貰った私の前で金色の頭を下げた。
「……我らに、新たな道を与えてくれたこと、感謝する」
「あ、あの」
「「「感謝する」」」
次の瞬間、ラウルさんだけじゃなく他の神兵の皆さんも跪き、それぞれ私に頭を下げてきた。
困ってクロエ様を見ると、何故だか笑顔で返された。
「ああ、気にしないで? すごく喜んでいるだけだから」
「え」
「……貴族や騎士以外、そして光属性以外の魔法は危険視されるのよ。神兵も、全員ではないけれど『魔法を使える場合』他に選択肢がなくて……でも、あなたの考え方だと魔法を使えても『ただの』修道士や修道女にもなれるってことよね?」
その言葉に、アントワーヌ様達や私は『貴族』だからこそ、その選択肢は除外されていたのだと今更ながらに気づいた。
そして、自分の常識知らずが良い方向に転がったことに内心、ホッと胸を撫で下ろした。
※
怖くない、と彼女は言った。
そう、初めて会った時も――そして今、この瞬間も。
その言葉を肯定するように、彼女の琥珀色の瞳はラウルから逸らされることはない。澄んだ眼差しで、真っ直ぐ彼を見つめてくる。
(自分は、神の剣『にしか』なれない人間なのに)
孤児であり、光属性以外の――炎属性の自分が、神に仕えるには神兵になるしかなかった。それはそれで、信仰の一つの形だと頭では理解していたが。
(そうしないと、自分は危険なんだ)
そう諦めと共に思っていたことを、無垢な幼女の眼差しが打ち砕いた。使い手次第だと、自分達は武器以外にもなれるのだと教えてくれた。
(神兵は、神とこの修道院を守る存在)
そんな己を今更、覆すつもりはないけれど。
(……この清らかな魂も、俺は守ろう)
小さな体で、己の存在まるごとを受け入れてくれた幼女に、ラウルは躊躇無く跪いた。
ヒロイン視点
※
わたし、ヒロイン・エマがセルダ侯爵家に引き取られて三ヶ月。
わたしは、家庭教師から淑女教育を受けていて――前世の記憶があったことを、心の底から感謝した。
(侯爵家だからって媚売ってくるか、逆にビシバシ厳しいか……高低差が激しすぎるっ!)
これは、平民の幼子には荷が重過ぎる。この世界には義務教育なんてないので、字の読み書きすら出来たらすごいレベルである。
製作者に、そんな認識はなかったかもしれないが――ヒロインへの淑女教育が十六歳の年、魔法学園に入ってから行われたのは正解だろう。甘やかされて調子に乗るか、扱かれ過ぎて性格が歪む。それだと、そもそもヒロインとして成立しない。
(そう考えると、イザベル様は……立場的にはライバルだけど、言ってることは正論だった。はぁ、何て気高い)
荒んだ心に癒しを求めて、わたしは推しキャラであるイザベル様に思いを馳せる。
しかも、両親や使用人達に好意的に受け入れられているわたしとは違い、イザベル様は周囲から疎まれていたのだから。
(あ、でも)
父親の乳母であるローラだけは、今でもイザベルの部屋を定期的に掃除して維持している。いつ、彼女が帰ってきてもいいように。
(イザベル様退場で、展開が変わってきてるのかな?)
それに、とわたしは今朝の食事の時、父親から聞いた話を思い出した。
※
「何でも、アレが噂になっているらしい」
昨日、母親を連れてパーティーに出かけた父親からそんな話を聞いた。アレという言い方は何だが、おそらくイザベル様のことだと思われる。
顔を見る限り、怒ってはいないようだが――どう反応すれば良いか解らないという感じの、微妙な表情だ。
「……お姉さまの、ことですか?」
「ああ……修道院で新しい魔法の使い方を広めて『聖女』と呼ばれているそうだ」
「えっ?」
乙女ゲームでは設定やイベントの課題として出てくることはあったが、ヒロインがバンバン魔法を使ったり、バトル展開になることはなかった。
そして現世では、魔法は攻撃や防御のみで使うという、前世の魔法より物騒なイメージがあり。更に貴族の令嬢や令息で六歳、平民では十歳で魔力判定をする。だからわたしが光属性だとバレたのは、侯爵家に引き取られて令嬢教育を受けてからだ。
(光属性がレアってことを考えると他のキャラはともかく、ユリウス様の婚約者が光属性のわたしじゃないのって少し不思議だけど……まあ、ゲーム通りだと淑女教育されてないから候補になるのも無理だろうし。そもそも、イザベル様の方が相応しいのは事実だし!)
そう結論付けたところで、父親の微妙な表情の理由に気づく。放置していた娘が評価されることで戸惑っているか、変なこと(遠回しの嫌味かなど)を勘ぐっているのだろう。
「お父さま。お姉さまは、すごいのですね」
「……母親と、同じことを言う。二人とも、優しいな」
別にそこでこちらを上げなくても、と思うが父親の中ではそれでイザベルの話題は終わったらしい。
その後、わたし達母娘の賛辞に変わったことを思い出し、何だかな、とため息をついたところで、わたしは別なことを思い出した。
(この世界は、民の為にある教会と修行の為の修道院が分かれてるけど)
攻略キャラの一人に、ヒロインと同じ光属性を持つ教会関係者がいたことを。
神兵全員が、魔法が使えるという訳ではなかった。
それでも、ラウルさんを含めて半分くらいは魔法を使えて――神兵はそのまま続けるが、労働に魔法が必要な時はその都度、手伝ってくれることになった。
「今まで、接点がなかったからね……うん、良い傾向だと思うよ」
「そうですよねぇ。しかも、ラウル君? 見た目怖いけど、良い子よねぇ」
「……あの、君付けって」
「同じ年だからね~」
数日前の夜、淑女教育が終わり、あとは寝るだけになった頃。
下ろした髪を梳いていたアントワーヌ様は笑みに双眸を細め、寝巻き姿で(これは、私達も同じ白いワンピースだ)伸びをしていたビアンカ様も楽しげに言った。君付けには少し驚いたが、理由を聞くとそういうものかもしれない。素直に納得し、私が寝台に上がったところでビアンカ様が言葉を続けた。
「学園でも、今までの攻撃と防御だけじゃなく『生活魔法』を取り入れようって話があるみたいよ?」
「良いことだ。貴族は魔法属性を持っているが、その魔力の大きさは人それぞれだ。攻撃や防御として使いこなせなくても『生活魔法』は使えるだろう。あれは魔力の大きさより、どれだけ調整出来るかだからな」
二人が口にしている『生活魔法』とは、私が提案した新しい魔法の使い方のことだ。
そして学園とは十六歳から三年間、魔法を学ぶ為に通う教育施設らしい。とは言え、そもそも魔法を使えるのは貴族だ。平民はほとんどおらず、実態は社交界デビュー前の令嬢令息の交流の場らしい。
(本当なら、ビアンカ様とラウルさんも通えるらしいけど……義務教育じゃないし、二人とも修道院にいるから行ってないのよね)
何だか堅苦しそうなので、自分が十六歳になっても同じ理由で免除して貰おう。そう私が心に誓っていると、寝台に腰かけたアントワーヌ様が口を開いた。
「修道院……と言うより、教会も貴族に働きかけ出来る機会が得られて喜んでいるだろう。だからこそ『聖女』の発案だって言って、広めようとしているんだろうな」
この異世界には神がいて、その信徒が集う教会と、神を敬いつつも世俗との繋がりを断ち、修行に励む修道院とがある。そして、クロエ様が教会へと報告した魔法の使い方は教会にも広まり、発案者の私を『聖女』と呼んでいると言う。
「……それなんですけど。大げさ過ぎませんか?」
「何言ってるのよぉ。今までなかった思いつきなんだから、むしろこれくらいで済んで何よりよぉ」
「……ハァ」
そう言われてしまうと、何も言えない。せいぜい『聖女』とはつまり女性だから私以外、アントワーヌ様やビアンカ様も当てはまると思うしかない。
そう自分に言い聞かせながら、私は笑って誤魔化しつつ、いつものように朝、起きる時間の数だけ枕を叩いた。
おまじないのおかげで、今朝も無事起きられた。そして先程、ビアンカ様の水魔法やアントワーヌ様の風魔法を見て元気が出た。
……と、言うことにしておこう。そう私は、自分の中で結論付けた。
(教会って、つまりは本社ってことよね? 本社の施策になっちゃうと、平社員には逆らえないわよね)
マスコットガールと言うと何だか軽い気もするが、貴族の美幼女とくれば広告塔に抜擢したくなるかもしれない。
やれやれと思いつつも、私は家畜小屋に移動した。そして、いつものように影を使って持ち上げて貰いながら、藁をかくフォークを持って家畜小屋の清掃を始めた。
「君が『聖女』か?」
「……っ」
すると、背後から聞き慣れない声がした。
咄嗟に息を呑んでから、自分がそんな反応をしたことに少し戸惑う。
(えっ、何で?)
振り返ってみると、そこに立っていたのは十五、六歳くらいの――格好は男性だが、女の子にしか見えないくらい綺麗な子だった。とは言え、真っ直ぐな髪は肩くらいで切り揃えられていて。女性が髪を短くするのは修道女だけなので、男の子だと思う。
月光のような銀髪と、すみれ色の瞳。宝石のように綺麗なその瞳は、けれど鋭く私を睨みつけていた。
(え、何で私、睨まれてるの?)
(……カナさん、この人、こわい)
戸惑う私に、現世の私の声が重なる。
瞬間、私は悟った。私自身が人見知りと言うのもあるが、今、目の前の相手を怖がって反応しているのは現世の私だ。
そして現世の私は、日本で平和に生きていて新しい環境や知らない相手に対する緊張から、人見知りになった私とは違う。
年こそ幼いが、悪意や敵意を向けられながら育っている。そして前世の私にとっては子供、しかも美少年だけど現世の私からすると年上で、睨みつけてくる怖い相手なんだ。
(だったら……私が、現世の私を守らないと)
そう、母親亡き後、愛人母娘を連れてきた父親から守ったように。
固く心に誓いながら、私は影に地面へと降ろして貰い、目の前の少年にカーテシーをした。
「……そう、呼ばれてはおりますが。私は、ただのイザベルです」
そして頭を下げたまま、正直に答えると――頭の上から、ぽつりと呟きが落ちてきた。
「ズルい」
「……?」
「あと二年すれば、私が『聖者』と呼ばれる筈だったのに……何故、君は子供なのに、私の居場所を奪うんだ?」
「えっ……」
「しかも、私は光属性なのに……君は、闇魔法のくせに大きな顔をしてっ。ズルい……君は、ズルい!」
「っ!?」
この小顔に、そんな失礼なことを言うなんて何事だ。ちょっと綺麗な顔をしているからって、生意気を言うな。
そう言いたかったが、実際は相手が泣きそうな表情で責め立ててくるのに、私――と言うか、現世の私がすっかり呑まれて口を噤んでしまった。いや、脳内では同じく泣きそうな声がするのだが。
(カナさん、私、この人の居場所を……)
(落ち着いて、イザベル!)
(でも……私にはカナさんがいるけど、この人には)
生まれ育った家で、居場所がなかった現世の私だからこそ、少年の言葉に心が抉られてしまっている。
前世の私としては、知らない少年より現世の私の方が大事だが――大事だからこそ、下手に少年に言い返すと現世の私も傷つけそうで反論出来ない。
それに父親の時も解らないままだったが以前と違い、万が一間違えた時に今度は修道院からは離れられない。
(どうしよう、どうしよう……どうしよう!)
すっかり途方に暮れた私を助けてくれたのは低い、けれど聞き慣れた声だった。
「アルス、お前は……久々に戻ってきたと思ってきてみたら、何を馬鹿やってるんだ?」
「……ラウル」
「馬鹿を馬鹿と言って、何が悪い」
そう言うと、少年――アルスさんに名前を呼ばれたラウルさんは、キッパリと言い切った。
「この馬鹿が、申し訳ない……私が同席するから、すまないが少しつきあってくれ」
「あ……はい……」
「アルス、逃げるなよ」
正直、逃げ出したかったが――また絡まれても嫌なので、私は渋々頷いた。
そんな私を影から受け取り、代わりに抱き上げるとラウルさんはアルスさん(ラウルさんの知り合いのようなので一応、さん付けしておく)に釘を刺した。おかげで家畜小屋を出た私達に、アルスさんは眉を顰めながらもついてきた。
(か、カナさん……)
(大丈夫。ラウルさんもいるからね?)
すっかり泣きそう、と言うか泣いている現世の私に心の中で話しかける。
正直、途方に暮れていたので助かった。年だけ取っていても、あんな風に動揺してしまうなんて。
(って、イザベルごめんね!? 余計、不安になっちゃったよね?)
今更だが、前世の私と現世の私は中で同居している状態だ。だから慌てて謝ると、現世の私の気配がふ、と柔らかくなった。
(……ううん。心配してくれて、嬉しかった。ありがとう、カナさん)
何て言うか、現世の私は本当、天使だなと私は思った。うん、語彙力無くなるくらい浄化された。
※
皆がいる畑や修道院の中には入らず、ラウルさんは少し歩いたところにある木の根元で足を止めた。守ってくれるつもりなのか、私のことは抱き上げたままで。
「アルスは元々、この修道院にいた孤児だ……だが十歳の時、光属性の魔法が使えることが解り、教会に引き取られた。次期教皇になる為にな」
「……そうなんですか」
「ああ……だけど! 彼女が現れたせいで、私は……っ」
「っ!?」
声を荒げて指差されたことで、反射的に体が強張る。
……だが、しかし。
「アルス、人を指差すな」
「痛っ」
ラウルさんが私を片手で抱き上げたまま、もう片方の手で私を指差したアルスさんの指を払った。無表情での行動に驚くが、更に驚いたのはアルスさんの反応だ。
「……悪かった」
顔は不機嫌そうに顰めているが、それでも謝罪の言葉を口にしたのだ。驚いてラウルさんを見ると、何でもないことのようにサラリと答えた。
「俺も、この修道院で育てられた孤児なので……幼なじみと言うか、兄弟みたいなものだ。まあ、あいつの属性が解って、教会に行ってからはそれぞれの道を進んでたが」
「……その道も、その子のせいで」
「うるさい。どうせ、何か言われた訳じゃないんだろう? 勝手に勘違いして、空回りしただけに決まってる。思い込みの激しい、お前のことだからな」
「うっ……」
「……この子はな。お前と違って、神兵になるしかなかった俺に、新たな道を示してくれた。そんな彼女を責めることは、俺が許さない」
「ラウルさん……」
キッパリ言い切ってくれたラウルさんに、感激しつつも切なくなった。それだけ、光属性以外の魔法は危険視されていたのかと。
そして、孤児故にアルスさんが自分の立ち位置に執着していることも解った。確かに、そこにいきなりぽっと出の私が現れたら戦々恐々するだろう。
「君は、ラウルまでたぶらかしたのか!?」
だが、理解は出来ても未だに現世の私を悪者にしてくるアルスさ――アルスに、私はたまらず切れた。
(もういい。ラウルさんの知り合いだと思わないで、クレーマーだと思おう)
そう決めた途端、私の腹は据わった。
得意とまでは言わないが、コールセンターで働いていると、どうしてもクレームは受ける。初めてクレームを受けた時には、随分と落ち込んだものだ。
……そんな私に、先輩が教えてくれたのは。
「そう思わせてしまったのは、私が至らなかったからですね……申し訳ありません」
「……あ、ああ。解ればいいんだ」
「さようでございますか……ところで、あなたは私に、どんなことを望まれますか?」
「えっ……」
否定はしないこと。けれど、何でもかんでも謝るのではなく、謝る時は何に対してかを伝えること。
それから、お客様の要望をしっかり把握すること。出来る出来ないはともかく、だ。まず聞かないと、お客様もこちらの話に耳を貸してくれない。
そして、何よりも。
「電話だといくら怒鳴られても、相手から殴られないからね!」
真理である。
そして今は直接、対面してはいるがラウルさんがいるので安心だ。
(聖女を辞めろ? それならむしろどんと来いだけど、修道院を出ていけは困るわね)
くり返す。出来る出来ないはともかく、だ。ここ重要である。何でもかんでも叶えるつもりはない。
とは言え、下手に急かすのも何なので私はアルスの回答を待った。
そんな私と、同様に黙って見守っているラウルさんの前で、アルスが口を開く。
「……私は、次期教皇になりたい」
「ええ」
「それには、君が邪魔だ」
「さようでございますか……聖女という過分な称号を返上することは、むしろこちらからお願いしたいくらいです。ただ、どうか修道院にいることはお許し下さい。亡き母への祈りを捧げられるのは、修道院しかないのです」
しっかりアルスの言葉を受け止めてから、私はこちらの言い分を伝えた。
すると、アルスが紫色の瞳を見張り――戸惑った表情を浮かべながら尋ねてきた。
「侯爵家の令嬢だと聞いている」
「母を亡くし、父には新しい家族がいます。私には、ここしか居場所がないのです」
貴族だからと油断は出来ない。虐げられ系の小説だと、放置や冷遇は序の口。召使いにされてこき使われたり、ひどい時だとサンドバッグのように折檻される。それならしっかり働けば衣食住保証され、更に令嬢教育まで受けられる修道院の方が何倍も、何十倍も幸せだ。
……後半は声に出さなかったが、私の実感のこもった訴えに何か感じたらしい。しばしの沈黙の後、アルスが口を開いた。
「私は、教皇になりたい」
「ええ」
「……それは私を育ててくれたクロエ院長や、面倒を見てくれたラウルに恩返ししたかったからだ」
「はい」
「だが……いつからか、結果のみに固執していた。それで君のような子を排除しようとしたり、挙げ句の果てにラウルといがみ合っては元も子もない」
「ええ」
口を挟むつもりはないが、聞いていて「知らんがな」としか思えなかった。あとは「家族でしっかり話し合ってくれ」だろうか。巻き込まれた感が半端ない。
(何かごめんね、イザベル)
(ううん。お兄さんも、反省しているなら良かったわ)
現世の私が天使すぎる件について。
脳内で癒されつつ、私があいづちのみに専念していると、アルスが何だか憑き物が落ちたような、妙にスッキリした表情で私を見た。
「……君は、すごいな」
「えっ?」
「悩みを人に話すことは軟弱だと思われ、相手に弱みを握らせることでもある。普通は自分で解決するべきだし、相談したなら相手の指示に最大限従わなくてはならない」
「……はぁ」
「それなのに君は、ただ真摯に私の悩みに耳を傾けて、逆に出来る限り私の要望に応えようとした。更に、私自身も気づいていなかった気持ちを引き出した……ありがとう。そして、怒鳴って申し訳なかった」
「とんでもないです」
「本当に、謙虚だな……私も君を見習って、これからはしっかり人の話を聞いて寄り添うことにしよう!」
「ええ……はい」
悩み相談が出来ないとかこの世界、地味にしんどいな。と言うか、そうなると教会にも懺悔室とか無いんだろうか?
あと、こっちの引き具合に気づいていない辺り、やはり人の話を聞いていないんじゃないかと私は思ったが――まあ、本人が納得しているようなので良しとしよう。
「ありがとう、聖女様」
「……えっ? ラウルさん?」
「それだけ君は、すごいことをしたんだ」
突然の聖女呼びに、驚いた私の頭をラウルさんが優しく撫でる。
安心させる為なんだろうけど、大きな手での優しい撫で方は絶妙で――私だけじゃなく、現世の私もほっこり和んだ。