ライラが不法に侯爵邸を訪問してから数日が経過するも、あれ以降ライラからの音沙汰はない。アレンとオニキスの話では学園でも大人しくしているそうだ。

(このまま何事もなく終わってくれたらいいけど……)

 考えすぎかもしれないが、注意するにこしたことはない。消えない不安を抱えながらも庭から戻ったイリーナは侯爵邸の長い廊下を歩いて部屋へと戻るところだ。普通に体験しても長い廊下だというのに、幼女の身になってからは倍に感じられた。
 しかし部屋に戻ればおやつが待っている。イリーナの足取りは軽く、今日のお菓子に期待を寄せていた。ところがいくら待ってタバサは現れない。

「タバサ、遅いな……」

 いつもならとっくにジュースとお菓子が届けられている頃だ。
 それどころか異様な静けさを感じていた。まるで屋敷から人が消えてしまったような静寂に不安を覚えたイリーナは様子を見に行こうと思い立つ。

 ――コンコン。

「タバサ!」

 待ち望んでいた到着に、イリーナは自ら扉を開けに走った。

「タバサ、よか――」

「こんにちは。愛し子ちゃん」

「え――……」

 喜びに弾んでいた声が不自然に途切れる。
 何が起きた?
 どうして扉を開けてファルマンがいる?
 菓子を乗せたトレーを器用に片手で支えながら、笑顔で手を振っている?
 わからないなりに状況を理解すると、イリーナは潰れた悲鳴を上げて背後に倒れた。

(ここ、私の家だよね!?)

 ファルマンは尻もちをついて見上げるイリーナの前にしゃがんで顔を寄せる。イリーナは条件反射で身を引いたが、本人だと認識させるための行動だろう。

「久しぶり。元気してた? あ、これ君のお菓子だって」

 驚きのあまり声が出ないことと、飛び出しそうな心臓と、倒れて打ち付けた場所以外は元気そのものだが、返事を返せる余裕はなかった。すっと目の前に差し出されたマカロンにも現実味がない。

「……だ、れ、ですか? 不審者二号!」

「ああ、そういうのもういいからさ。俺、わかるんだよね。君イリーナ・バートリスだろ? 俺は人の宿す魔法の色が見える」

 赤い二つの瞳が怯えるイリーナを観察していた。