僕の名はイーサン。突然だが、僕は人間ではない。頭にはヤギのようなツノが生えていて、人間の貴族のような豪華なスーツを着たその背中には、鷹のような翼がある。僕は何百年と生きる悪魔だ。
悪魔の仕事は人間を惑わして魂を奪うこと、と想像するのは簡単かもしれない。でも人間の願い事を代わりにちゃんと叶えてやってるんだから、それくらいの代償は払ってもらわないとね。
そんな僕たち悪魔の仕事は変わりなく、人間から魂を奪うことだけだった。でも、ここ百年ほどでその悪魔の仕事が変わってきている。
「イーサン、次の人間のデータだ」
「ええ〜。ついさっき守護してた人間が大往生で死んだんですけど」
仕事が一つ片付くと、すぐに上司のせいで新しい仕事が入ってくる。まあ僕たち悪魔は人と違うから、働き過ぎて死ぬとかないけどね。でも正直面倒くさいなぁ。
新しい仕事というのは、特定の人間を寿命が尽きるまで見守るというものだ。その人間が間違ったことをしないように僕らが持つ特別な力で助けていく。
本来なら天使の仕事だったんだけど、地獄の番犬であるケルベロスが天使たちの住む天国に脱走して、そこで大暴れしちゃったんだよね。何百人もの天使が犠牲となったからその罪滅ぼしに天使の仕事をしてるってわけ。
でも、僕は悪魔という立場だ。悪魔らしくその人間を護る。
天使は護る対象者以外にも気を配り、助けることも多い。でも悪魔は違う。邪魔だと判断した場合には命を奪い取ることも普通だ。それで前に天使からクレームが来たらしいけど、知ったこっちゃない。
「それで僕が護るのはどんな奴だ?」
僕は上司から貰った対象者のことが記載された紙を見る。ここに家族構成やら性格やらが書かれてるんだ。
「金持ちの娘ねぇ……」
僕が次に護るのは、クララという名前の大金持ちの娘だ。四人兄弟の末っ子で今は七歳と書いてある。
「子どもだろうが金持ちって嫌な感じするんだよな。ハズレくじ引いたな」
金持ちの人生って見ていてつまんない。護る必要があるのか疑いたくなる。
貧乏な家の人間を護ることになると、まるで映画を観ているようなスリルが味わえるんだ。貧しさを抜けるために盗みをするのは当たり前、詐欺に強盗にクスリ、殺人に手を染める奴もいる。根っからの悪人を見護ることになると、どれだけこっちが力を使って止めようとしても無駄なんだよね。
それに引き換え、金持ちの人生はどうだ?金があるから何でも手に入る。犯罪にわざわざ手を染める必要なんかない。弱者を見下し、自慢だけ飛び交うパーティーを開き、男は家を継いで女はどこかいい名家に嫁いで人生が終わってく。
「まあ、コイツが大人になって男と経験することの瞬間だけ楽しみにしておくか」
天使が聞いていれば怒鳴りつけられていただろう。まあ、あの連中が騒いだところで何とも思わないけどな。
僕は羽を羽ばたかせ、魔界から人間界へと向かう。どんなつまらない人生を見届けることになるのか、とあくびを何度もしながら。
クララの家である大きな屋敷の庭に降りる。金持ちらしく、庭も細部にまでこだわっていた。自慢のためなのか、この国では珍しい花も植えてある。
「さて、クララはどこにいるんだ?」
クララの家では盛大なパーティーが開かれているようだ。賑やかな声が聞こえてくる。金持ちはパーティーを開くことしか考えてないのか?
この屋敷にいる人物を力を使って調べる。その人数にため息が出そうだった。招待客だけで百人を越えている。
これから僕が護らないといけないのは、まだ五歳のガキだ。背は大人に比べて当然低いから大人の中に入るとわかりずらいし、おまけにあちこちに動き回る。
「パーティー会場をとりあえず探してみるか……」
あの人混みの中へ行かないといけないなんて、想像しただけで吐き気がする。パーティー会場には、酒の臭いやら女の香水の臭いやら、様々な臭いが入り混じっていて拷問だ。でもこれも仕事だしな。
そう思いながらパーティー会場の中へ歩いて行こうとすると、バンッと庭へ続くドアが開いて高そうなスーツやドレスを着た五歳から十歳の子どもが飛び出してくる。
「あっ、いた」
その子どもの中にクララがいた。緩く巻いた金髪に青い瞳を輝かせ、瞳と同じ青いドレスを着ている。成長すれば社交界の華になるだろう。人形のように綺麗な子どもだ。
「今から隠れんぼしようぜ〜!」
子どもの一人がそう言い、ジャンケンをして鬼が決まる。子どもたちは鬼が数を数えている間にバラバラに隠れ始めた。僕はクララの後を追う。
「ここなら見つからないよね」
クララがそう言って隠れたのは、庭にある噴水の陰だった。その横顔はとても楽しそうだ。
その時、「きゃあぁぁぁぁぁ!!」と甲高い悲鳴が響く。僕はうるさいなと思っただけだったが、クララは相当驚いたようで肩を大きく震わせていた。
「何だろう……」
クララは噴水の陰から出て声のした方へ向かう。クララだけでなく、他の子どもたちも声のした木の辺りに集まった。
木の近くで赤いドレスを着た女の子が震えている。その目からは、大粒の涙をこぼしていた。
「この子、巣から落ちちゃったみたいなの」
女の子が指さす先には、この木の上にあった巣から落ちた鳥の雛がいた。全身を痙攣させ、その小さな体からは血を流している。放っておけばあと二、三分で死ぬだろう。
小さな雛の様子を、みんな体を固まらせて見つめていた。見つめていれば助かるってことはないのにね。
その時、悲鳴が聞こえたのか「あなたたちどうしたの?」と紫のエレガントなドレスを着た大人の女性が現れる。クララの母親だ。
「お母様、小鳥が怪我をしているの」
クララは母親にそう言い、地面に倒れている雛を指さす。途端に母親は顔をしかめた。
「そんな汚らしいものに触っちゃダメよ!今すぐみんな中に入りなさい!」
それだけ言い、母親はパーティー会場の中へ戻っていく。子どもたちもそれに従い、中へと戻っていった。
でも、クララだけはその場から離れなかった。心配そうに雛を見つめた後、綺麗なドレスが汚れるというのに地面に膝をつき、雛をそっと手のひらに乗せた。
「まだあったかい。どうしたらいいの?」
その目には涙が溜まっていた。さっき泣いていた女の子とは違い、雛を心配する涙だ。その涙を見た刹那、僕の胸が不思議な音を立てる。こんなに優しい人に会うのは初めてかもしれない。
これ以上、クララの悲しんでいる顔を見たくなくて、僕は力を使って雛の傷を治してあげた。
「えっ!?」
雛が元気になったことにクララはとても驚いていた。でも、「よかったね!小鳥ちゃん」と花が咲いたように笑う。その笑顔に胸が熱くなった。
その日僕は、初めて恋というものを知った。