そんなに広くない店内で、男が二人キャイキャイと盛り上がっている。私が来たから、一時店を貸し切りにしてくれているようだ。他に客がいないせいもあって、やりたい放題好き放題。

 まぁ、楽しそうなら何よりと、私は所在なさげな少年王子に話しかけた。

「アトル様は興味あるものございますか?」
「あ……お気遣いなく……」

 話しかけるとチラチラと私を見てくれるものの、言葉数は少ない。
うーん……マルス様はとにかく、男の子が服に興味なくても普通よね。どうしよう……お気遣いなくと言われても、このまま彼を放っておいて自分の服を見るわけにもいかないし、あちらはまだまだ時間がかかりそうだし。

 それなら立ち話もなんだろう。せめてお茶でも貰って飲んでいようかと、店員に声をかけようとした時だった。

「ぼ、僕の話し方、おかしくないかな⁉」
「え?」

 私は目を見開いた。話し方と言われて思い当たるのは、初日の捲し立てるような意味不明の言葉の数々。比べるまでもなく『拙者』より『僕』という一人称はいたって普通。少々敬語が外れているが、『ござる』と末尾につけるより、よほどマシ。

「公の場では少々厳しいかもしれませんが……私と話す分には問題ないと思いますよ?」

 私の方が年上だが、将来結婚するなら立場は対等。それにこちらの言葉も覚えたてというし、ゆるく崩れた言葉遣いも可愛いから……と私が微笑むと、

「そうですか……それなら良かったぁ……」

 アトル様の表情がほっと和らぐ。

 ああんもうっ、可愛いっ!
 ぱっちりとした金色の目。無駄な肉付きのないほっそりとした輪郭。だけど少し厚みのある唇。決して人形のような美しさではないけれど、今までおどおどしていたせいか、彼の優しい笑顔がぐっと私の胸に突き刺さる。

 思わず私が胸を押さえていると、「どうしたかな?」と顔を覗き込んできた。やめて……心臓に良くない。身長がヒールを履いた私より若干低いから、すごく距離が近いのよ。もう、なんでそんなに肌が綺麗なの⁉

「ア……アトル様は十八歳なのですよね……?」
「そう、かな……年下の男は、嫌い?」

 新たな性癖を開きそうになっている年増がここにいますが、何かっ⁉
 だけど、そんなことを叫ぶわけにはいかず、私は奥歯を噛みしめる。

「そんなことはありませんが――」
「無礼ばかりで、ごめんなさい」

 突如下げられた頭に、私は思わず半歩後ずさる。

 なんで? いきなりなんで謝罪されたの⁉

 掛ける言葉を迷っているうちに、彼が言葉を紡いだ。

「海には、陸のことが書いてある書物がほとんどなくて! ヴェロニカ様との見合いが決まって、慌ててかき集めたんだけど……どれもこれも、的外れだったみたいで。先日の料理も舌に合わなかったようだし……」
「そんなことないです! 魚料理、とても美味しかったですよ⁉」

 私が慌てて否定すると、彼がおそるおそる顔を上げた。

「でも……海藻が不味かったって……」
「それは……確かに苦手だとは言いましたが……ぬるぬるしたもの、昔から苦手なんです。昔スライム……という魔物、海にもいますかね?」
「あ、全く同じ種はいないけど、大丈夫。魔物の知識なら一通りあるかな」
「そうですか。あのぬるぬるねちょねちょした生物に、食べられそうになってしまいまして」

 それは忌まわしき過去の記憶。

 幼少期、ミハエル様が剣を習い出したと聞いた時のこと。瘴気なんかまるで問題になっておらず、食用に魔物が飼われていた時代。『ミハエル様のかっこ良いところが見たい!』と、私は備蓄用の食用スライムを敢えて離して、ミハエル様が退治してもらおうと思ったのだ。

 実際、当時は子供の訓練に同じようなことがされていたが、あくまで大人の目が届く範囲でのこと。見張りの目を盗んで同じことをしようとした私たちは、当然のように失敗し、私はじゃれついてきたスライムに、ねちょねちょのぐちょぐちょにされた。

 それ以来、ぬるぬるねちょねちょしたものに生理的嫌悪感を抱くようになったのだけど――それを掻い摘んで話すと、アトル様は目を丸くしていた。

「ヴェロニカ様にもそんな時代があったんですね……」
「そんな時代?」

 私が眉根を寄せると、アトル様は慌てて両手を振った。

「いやいや、決して馬鹿にしたりするつもりはなくて……今の綺麗な姿から、想像もつかないから……」

 別に、私としてはよくあるやんちゃな思い出の一つというものだが、彼が意外と思うのなら、今の私がきちんと『令嬢』しているということなのだろう。

 そりゃあ、だてに『元王妃候補』じゃないのだから……と内心肩を落とす。その『令嬢』を身につけるための努力は、無駄になってしまったから。頑張って支えたいと思った相手は、他の人のものになってしまったから。

 嫌だわ。もう一年も経ったのに。もうじき大々的な結婚式が行われるはず。それなのに、私はまだそのことを考えると気が沈んでしまうの。嫌な女ね。

 それでも『綺麗』と言われた褒め言葉を素直に受け取るのも、礼儀のひとつ。

「ありがとうございます」

 ワンピースの裾を摘み一礼してみせると、アトル様のお顔が真っ赤に染まった。くぅ、可愛い。

 私はくすくすを笑うことで緩む顔をごまかしながら、改めて訂正する。

「そういうわけなので、海藻が苦手なのは特殊な事情があるだけでして。本当にお料理は美味しくいただきました。またぜひご招待くださいませ」
「そ、それなら良かった……また頑張って作りますね!」

 ん……? 頑張って、作る……? 誰が?

「あの……言葉をお間違えになっただけかと思いますが……あのお料理はアトル様がお作りになったわけではないですよね?」

 料理を作るのは料理人。貴族なら、それは常識。さすがの私も自分で料理をしたことも、しようと思ったこともない。

 だけど、海の王子であるアトル様は「いえいえ」と首を横に振る。

「あれは僕とマルスコーイの二人で作ったんです。料理人はもとより、使用人なんて僕にはいないから……」

 んん? それは海での文化なのかしら?
 でも彼の様子を見るからに、どうも事情がありそうな……。

 そんなことを考えていた時、私の顔の横からぬーんと何かが出てきた。

「アンタたちぃ~、なにアタシを放って立ち話に興じてるのよぉ~」
「はうわぁ⁉」

 わ、私としたことが、なんてはしたない声を……もうっ、ずんっと現れるオネエの濃さはずるいわよ! 

 だけど失態は失態。どう繕おうかととりあえず顔を覆う。指の隙間からアトル様の様子を窺うと、口元を隠してくすくす笑っている。もう可愛い! だけど恥ずかしいっ!

 しかしながら、私の手がずいっと退かされてしまう。

「ちょっとー何なのよ、その態度はぁ~?」
「いや……マルス様のご尊顔が今日もお美しいなぁ、と」
「そんな当然のことで驚かないでくれる?」

 手を離してくれたマルス様を改めてみると……なんですか、その大量の紙袋は。買ったんですか? そんな山盛りの洋服を買ったんですね⁉ いやぁ、何点かプレゼントするのは構わないの
ですが……あぁ、店長さんがホクホク顔。まぁ、今後のサービスに期待――

「そんなジト目で見なくても、全部自分で買っているわよ?」
「え?」

 ため息まじりの言葉に、私は思わず目を見開いた。すると、マルス様がコートの下から革袋を差し出してくる。そっと中を覗いてみると、淡く輝く白い丸石が大量に入っていた。

「これは……?」
「やっぱりアンタも真珠知らないのねぇ。ま、海で取れる宝石よ。あとでアンタのオトーサンと交渉するつもりだったんだけどさ、アタシたち陸のお金持ってないから、これを換金してもらおうと思って」

 今は物々交換してもらったの、とマルス様。その丸石は、光の加減で虹色に変色する。昼間はもとより、これで作った首飾りや耳飾りは、きっと夜会に映える。どんなドレスにも品よく合わせられそうね。

 まじまじ見ていた私に耳元で、マルス様が笑う。

「あとでアンタにも高く売りつけてあげるわ♡」
「お、お手柔らかにお願いします……」
「それじゃあ次に案内してもらおうかしらねぇ~」

 そして、マルス様は紙袋を担ぎ直す。意気揚々としているマルス様の横で、アトル様が何か考え込んでいるようだった。