「わかってないなぁ! やっぱりヴェロニカ様の良さと言ったら、あのはにかんだときの可愛さでしょ!」
「いーや。わかってないのはそっちですな! ニカの良さはふと出る悪い顔にこそあるっ!」
「悪い顔って……確かに『てへぺろ♡』な所も可愛いけど、その言い方じゃヴェロニカ様が性格悪いみたいじゃん⁉︎」
「デュフフ……これだから素人は。ニカの腹の中は『てへぺろ♡』みたいなお茶目なものではないですぞ。三流にもほどがありますな」
ここはアトル様のお屋敷の応接間。
その絨毯の上にペタンと座り込んだ十代の若者たちが、よくわからない談義で白熱していた。
そうよ、わからないのよ……。水槽の中で仲良さそうに話していたと思いきや、出てきた途端喧嘩してるんだもの。しかも喧嘩の原因、私ですか? 私ですよねぇ⁉
「このお茶美味しいですね。海で飲まれる物なんですか?」
「いんや、普通に陸で買った物よ〜。ただ抽出する時間がもったいなかったから、魔法で時間短縮しただけ」
「なるほど……魔法は生活にも応用できると……」
「まあモノも技術も使い方次第よねぇ。そもそも海じゃお茶とか飲まないし」
「ほう。そのお話、詳しくお伺いしても?」
一方ミハエル様とマルス様は優雅にソファに座り、それらしい交流を深めている。私も一応同じソファに座らせてもらっているのだけど……あっちの会話が気になってしょうがないわ。
そんな私に、向かいに座るマルス様がジト目を向けた。
「あんな不毛な会話を気にしているの? 馬鹿ねぇ、気にしてもどうしようもないわよぉ」
「そうだぞ、ヴェロニカ。ああなったリカは止まらない。時が経つのを待つしかないだろう」
いや、ミハエル様もそんな達観しないでくださいまし……。
私も嘆息してから、カップと手に取る。やはり横目で気にしてしまうのは、アトル様の額にある火傷の跡。
「しかし……早くアトル様の火傷を治さなくて良いのですか?」
「別に、そこの一時間や二時間焦る必要はないでしょう。あの子があんなに楽しそうなの、久々だし。ほっときましょ」
そして、マルス様もお茶を一口。そう言われてしまえば、これ以上私がとやかく言える立場ではない。今も床の二人は、「ヴェロニカ様ファンクラブの規則を決めましょう!」などとよくわからない、わかりたくない話題で盛り上がっている。
どうしてこうなったのかしら……。
私が少し温くなってしまったお茶を口にした時、隣のミハエル様が言った。
「ところで、数日前の海に出現した魔物に関してですが」
「ああ、あれ? いきなり驚かせてごめんなさいねぇ~。ちょ~っとアトクルィタイを驚かせたら、変身が解けちゃったみたいでさぁ。アタシが謝罪に行った時はあっさり帰されたけど……実は大問題になってたり?」
「まぁ……正直な所、やはり海との親交を非難する声は増えましたね」
「あはは~。そうよねぇ。それで、国王陛下はなんて?」
それは、まるで言葉を選ぶようだった。
「……ヴェロニカ次第だと」
ガタッと動いたのは、私ではない。床に座って談笑していたアトル様が急に立ち上がり、またたく間に逃げ出そうとして――転ぶ。だけどすぐに立ち上がり、赤面を隠しもせず部屋から飛び出して行ってしまった。
「え? え? いきなりどーしたの?」
腰だけ上げたリカ様が呆然としている。私としては既視感も覚える光景だったけれど……言葉を出せず。その懐かしさに、胸が痛む。
初めてお会いしたあの頃は、ただの政略結婚だと思っていたのに。こんな切ない想いをするなんて、思わなかったのに。
「……どうして、そこで私の名が出てくるのですか?」
なるべく平静を保って。なんとか言葉を絞り出すと、ミハエル様は私と目を合わせてくる。精悍で真面目で冷酷な、為政者の顔だった。
「配偶者として……あの魔物の制御するのは、当然君になるからだ。無論、あの魔物が民に被害を与えるようなことがあれば、国を挙げて討伐する。しかし言葉を変えるなら――あの巨大な魔物を制することができれば、国として財産にも戦力にもなる」
ミハエル様は、横目でマルス様を見やる。だけどマルス様は優雅にお茶に舌鼓を打っているだけ。敢えてそうしているのが、ひと目でわかる態度。
ミハエル様も、それがわかった上で言う。
「これは賭けだ。海という富と魔物という富を得ることが出来るか、全部君次第だ。当然、何かあれば君とスーフェン家は糾弾されることだろう。僕も個人的には守ってあげたいけど、どこまで手が及ぶかわからない。国も責任を取るが……その責任の取り方として、君らを処分することになる可能性もある」
そうよ。忘れてはならない――これは政略結婚。陸と海の政治の話。仕事の話。
「君が、あれを御することができるか、できないか。国王陛下も、君の父であるスーフェン宰相も、君の判断に委ねると言っている」
そこに、私の感情なんて関係ないの。私が、できるか、できないか。その責任を負えるか、負えないか。私は仕事を果たせるのか、果たせないのか。
「あの子はアンタに惚れ込んでいるわよ」
お茶を飲みながら、目を伏せるマルス様は言った。
「だからそれを利用すればできるんじゃな~い? だぁ~い好きなヴェロニカのお願いだったら、戦地にだって喜んで行くでしょうよ。それこそ、海との全面戦争になったとしても、『ニカを守るんだ!』て自ら最前線に立つんじゃないかしら?」
やめて。そんな話をしないで。
だけど私は唇を噛みしめるだけで、それを口にすることができない。
「アトクルィタイが竜の姿に戻った日、アタシは……アンタが婚約破棄を相談してきたわよって告げ口したの。そうしたら、案の定気を動転させてさぁ。もう嫌だ嫌だの大騒ぎ。どこの駄々っ子かと思ったわよぉ~。まぁ、うちの駄々っ子なんだけどさぁ~」
マルス様は笑うけど、私はまるで笑えない。
「やっぱり僕は一人がお似合いなんだ。落とし子の僕なんか、誰にも愛されないんだ~て大号泣して……それで暴走して本性出して、アンタたち人間を怖がらせちゃうんだもの。ザマァないわよねぇ。ほーんと、馬鹿な――」
パチンッ。
そう語るマルス様の頬が叩かれた。叩かれた頬を、マルス様は押さえる。そして見やるは叩いた張本人、聖女リカ。
リカ様は泣くわけでもなく、静かに怒っていた。
「最低」
そう見下しては、移動する。そしてミハエル様の隣に立って、さらに容赦なく彼の頬を叩いた。
「さいってー! そんな二人してヴェロニカ様をいじめて楽しいの⁉ どうしてヴェロニカ様にそんなひどいことが言えるんですか⁉ ヴェロニカ様を泣かせて……ヴェロニカ様は……ヴェロニカ様は……」
え? 私は泣いてなんか――
ふと自分の顔に触れると、頬が濡れていた。
あぁ、そうか……私、いつの間にか泣いていたのね。ずっと我慢していたはずなのに。
本当に、だめな女。
涙ぐんだリカ様の言葉尻が弱っていく。ぐずぐすと啜り泣くだけになったリカ様を見て、マルス様は大きなため息を吐いた。
「やってらんなぁ〜い」
そして席を立ったマルス様は、振り向かなかった。
「アンタもずっと黙っちゃってさぁ……いつまで悲劇のヒロインやってんの?」
毛足の長いコートの裾がなびき、バタンと扉が閉められる。
重い空気の部屋の中、聖女の泣く声は、海のさざ波もかき消さない。
泣き止まないリカ様を、見かねたミハエル様は抱き寄せようとした。だけどリカ様はその手を跳ね除けた。
「甘えません。このことだけはミーシャ……ミハエル様に甘えちゃいけないんです……」
顔を真っ赤にして、聖女は鼻を啜る。そのグチャグチャの顔は、とても時期王妃として相応しいものではない。
だけど唇を噛みしめ、嗚咽を堪え。まっすぐに主人を見据える黒曜の瞳は、とても気高かった。
「ヴェロニカ様は……幸せになるべきなんです。幸せに……幸せになってもらわなくちゃならないんです。それなのに、ミハエル様はどうしてあんな酷いことが言えるんですか?」
それにミハエル様も真剣に応える。
「別に、私はヴェロニカをいじめたいわけではない。むしろ……彼女が大事だからこそ、包み隠さず真実を述べただけだ」
「でしたら! どうして素直に応援してあげないんですか⁉ ミハエル様だって、ヴェロニカ様には幸せになってもらいたいでしょう? 好きな者同士が結婚することの何がいけないんですか? ミハエル様だってあの二号さんが嫌な人じゃないことくらいわかってるでしょう⁉」
「あぁ。彼はとても良い人だと思う。少し短慮で子供っぽい所が拭えないけれど……きっとヴェロニカを支えてくれる良い男になるだろう」
「だったら、なんで⁉」
えぇーと……お二人の夫婦喧嘩は白熱しておりますが……なぜ私のことでこんなに喧嘩しているの⁉ え、私が悪いんですかね……。
「あの、お二人とも……」
「ヴェロニカ様は黙っていてくださいっ!」
うぅ……リカ様に一蹴され、私は口を閉ざすしかない。
なんか……さっきまで胸が詰まるような気持ちだったけど、人の喧嘩を見てると白けてくるわね。涙も引っ込むわ。夫婦げんかは――ていう慣用句があったはず。今すぐこの場を立ち去りたい。
しかも、二人が喧嘩をしている原因は――
「そもそも、二号さんを討伐するとかなんですか⁉ 同じファンクラブ会員としてそんなの見過ごせませんよ!」
「たとえばの話だ。そう……全部たとえば、だ。もちろん私だってそんなことにならないように尽力する。だが、国を挙げての異種族間の結婚は前代未聞の案件だ。慎重に慎重を重ね、私たちも、そして当事者であるヴェロニカたちも最低な可能性を覚悟を促してこそ、彼女のためになる」
「はぁ~見上げた王太子殿下ですことっ⁉ お国のためならヴェロニカ様のお心はどうでもいいと⁉」
「そこまでは言っていない……が、ヴェロニカもれっきとした貴族だ。彼女もそのくらいの覚悟は持っている。君と違って彼女は立派な教育を――」
「あなたは私のなんですか、ミハエル様」
王太子殿下の言葉を遮ったのは、私だった。
いい加減、限界なのよ。