「お前が今日から神様だ」
そう、僕は神様だ。
たった今、知らない男にそう言われた。
どうやら僕は神様になったらしい。
ーーは?
「何言ってんの、アンタ。てかさ、ここ僕の部屋なんだけど」
当然のツッコミを入れる。
「俺は元神様だ。お前を神様の後継者として選んだ」
「いやいや、僕さ、まだ十歳なんだよね。お空の上に逝きたくない訳よ」
「死ぬ訳じゃない。お前はここで人間のフリをしながら神様の仕事をこなすんだ」
当然のように言ってみせるおっさんに呆れる。
「あのさ、アンタが言ってること相当ヤバいよ?オカルト映画の見過ぎじゃない?」
「まず一番初めの仕事は……」
いやこのおっさん、人の話聞かな過ぎ!
こんなおっさんに神様なんか務まってたまるかよ。
おっさんはiPadのようなタブレットをいじくっている。
「えーと。まずは身の回りの人たち、つまり同級生や家族などの個人情報を暗記する」
「暗記ィ?!」
「うん。最初はこれに書き溜めといてもいいぞ」
タブレットをひらひらさせて言った。
そういう問題じゃないんだけどな……
すると思い出したように、自分が背負っていたリュックを漁り出した。
「ほれ。これはお前のもんだ」
ノートを差し出された。
「何これ」
「開いてみろ」
開くと、それはノートではなく、パソコンだった。まさにノート型パソコン。
「すっげー!」
するとおっさんは偉そうに笑った。
「だろ?だろ?神様はな、ハイテクのブツを色々と使えるからな、結構便利だし楽しいぜぇ」
唖然。
急に人が変わったように笑い出した。
「だからな、神様もなかなか悪くないぜ。俺も最初はビックリしたけどよ、最高だったさ」
なんか、僕が神様になること決定した感じで話進んでるんだけど、これかなりまずくない?
まずいよね。
「あの、僕」
「じゃあな。俺はもう下りたけど、定期的に見に来てやるからよ」
「いや来なくていいし、僕、神様なんて」
「あ、ルール言うの忘れてた。やっべ」
こいつマジで人の話聞かないな!
「その一、元神様以外の他の人間たちにお前が神様だとバレてはならない。
そのニ、威張ってはならない。
その三、自分で命を断ってはならない。
ルールはそれに書いてあるから。いいな?これだけは絶対に守らなきゃいけない。
他にも色々あるけど、この三つだけ守っとけば大体は平気だ」
「守んなかったらどうなんの?」
「世界が終わる」
神妙な表情で静かに言った。
背中に嫌な汗が流れる。
え。
それってヤバくない?
僕にこの世界の未来がかかってるじゃん!
てかなんで僕、神様認めちゃってんだよ。
「じゃーな。頑張れよ」
「ちょ、待って!この髪と目も神様のせい?」
僕の髪は白い。若白髪とかそんなのじゃないし、親もばりばりの日本人。
目は赤い。
このせいでどれほど嫌な目に遭ったことか。おかげで不登校なんだわ僕。
「そうさ。俺が見つけやすいように、な。有り難く思えよー?イケメンにしてやったんだから」
するとおっさんは来た時のように窓から出て行ってしまった。
「お、おいーっ!ふざけんなよー!」
髪の毛も目もおっさんのせいかよ。
だいたいさ、神様って、もっと美少女か美少年で、羽が生えてて……っていうのを想像してたんだけど!
『偏見だなそりゃ。天使と神様を間違えんなよ。ガキンチョ』
だからさあ、
「なんでおっさんの声が聞こえんだよー!」
『元神様と今神様は心ン中で会話が出来んだよ。俺はもう上級の神様だったからよ、お前の考えてることなんてお見通しだな』
はあ〜?!
ふざけんなよまじで。
常に監視されてる様なもんじゃねーか。
「あのさあ、僕だってそろそろ年頃だしさ?」
『何かバレちゃいけないようなことがあるのかよ?』
うざいわ。このじじい。
これってブロックとか出来ないのかな。
喋りかけてくるおっさんを無視してパソコンを触る。
今僕は最低階級の神様らしい。
「おい、おっさん」
『元神様と言いたまえよ、馬鹿もん。仮にでもお前のことをこの世に生まれさせてやった親みたいなもんなんだからな?』
「はいはい、で、この世界に神様は何人いるんだよ」
『十五人。そのうち二人が最上級神様って言って、神様の中でも一番高い位にいる。ルマ様とチカ様だ。どっちも女性だ』
へぇ。神様って一人だと思ってたけど、そうじゃないんだな。
『上級神様はロイとレイ。双子なんだ』
「なんかみんなかっけー名前だけどさ、アンタみたいにおっさんなんだろ?」
『馬鹿野郎が。四十までやってこれたのは俺だけなんだよ。ルマ様が俺にそろそろ辞めなさいと言っていらしたんだ』
「リストラ?」
可笑しそうに笑って言うと、また「馬鹿もん」と言われた。
おっさん口悪いよ。そんななのに四十までやってこれたな。
『ここ五年は総入れ替え年間なんだよ。まあそれも今年で最後だけどさ。だから一気に若手が入ってきてんの。百年ごとに回ってくる。今いる神様の最年少はお前ら十歳。最年長は十六歳』
若っ!
最年長高校生って……成人してる人いないのかよ。
『それにルマ様とかルネとかみんな神様のときだけの偽名みたいなもんだから』
へぇ。
お前も考えとけよ、と言われる。
さっきまであったモワモワって感じが消えた。どうやらおっさんは居なくなったみたいだ。
ふぅ。
神様だって?僕が?今日から。
パソコンには神様の仕事一覧があった。
生まれて来る赤ん坊の性別、能力、容姿、寿命、声や体重、身長まで生まれたときから持っているものを全部を決めるのが神様。
だから性格や運命の人とかは後の本人次第らしい。
子供の夢を壊してくれちゃってさぁ。
でもこれが案外難しいらしい。
特別な才能を与えるとしても、その人間がその才能を持て余してしまうような人ではダメだ。しっかりと自分の能力を磨き上げ、発揮できる人でないといけない。
寿命も長い人も短い人もいるから世界が成り立っている。
自分が作った人間に情を入れてはいけない。私情、私用を持ち込むな。
ルール多いし、なんか面倒くさそうなんだけど。
一番最初の課題は家族の個人情報を収集すること。そして神名を決めて元神様に報告すること。その次に同い年の神様を探し出すこと。
個人情報調べなんかどうやってやりゃあいいんだよ。
「虹《こう》、入っていい?」
ママだ。
僕はパソコンを閉じて勉強机の上に置く。本棚から一冊本を取り出して言った。
「うん」
ガチャリとドアが開き、ママが入って来た。
「えっ!!」
嘘だろ。
「どうしたの?」
ママの周りにママに関する情報がずらりと並んでいて、書かれては消えていく。
これが、個人情報……なのか?
僕は慌てて消えていく文字を記憶に書き込んでいく。
年齢、身長、体重、気持ち、付き合った人の数……人に知られたくない内容や、僕の知らないことまで沢山載っていた。
「大丈夫?どうかしたの?」
「あっ、いや、なんでもない。大丈夫だよ」
「そう……?」
ママは首を傾げながら言う。
「お腹、大丈夫?」
「うん、だいぶ良くなった」
僕はストレス性の腹痛と下痢が酷く、ここニヶ月学校を休んでいる。
前から少し休みがちだったけど、ついに登校拒否に陥ってしまった。
「よかった。朝ご飯出来たよ」
「やった!腹ペコだよ」
僕はまだ夢を見ているかのようにポワポワしながらママと一緒に階段を降りて行った。
「にーたんおはよぉ」
「おはよ」
にこにこといつも楽しそうなのは、頼《らい》。まだ二歳だけど、走りまくったりして結構大変。
頼に視点を合わせて目を凝らすとまたさっきの様に文字が現れた。
「起きてくんの遅いよ。虹も手伝って早く」
妹の玲真《れま》は呆れたように笑って言った。
まだ小三なのにこんなにしっかりしててさ、ほんと感心するよ。
玲真は髪が茶色い。ミルクティー色だ。
今思うと、この子ももしかしたら神様なんじゃとか後継者なんじゃないかとか色々疑ってしまう。
まあ気のせいなんだけどね。
朝食が終わると、玲真は僕に髪を結ってと言って来る。
まだ赤ちゃんの頼につきっきりのママの代わりに僕が結んであげたのが始まりだった。おかげで僕は編み込みやら、くるりんぱやら、色々出来るようになった。
「昨日の三つ編みね、友達がね、可愛いって言ってくれたの!今日も出来る?」
「よかったね。出来るよ〜」
「やったあ!」
玲真は可愛い。自分で言っちゃうけど、だから僕はデレデレだ。本気で玲真はモデルになれると思ってる。多分、原宿なんかに行けば余裕でスカウトされるだろう。
最近、より可愛い新しい髪型を研究している。自分の時間が減ってしまうけど、玲真を可愛く出来るなら全然惜しくない。
「よし!出来た」
「わー!ありがと〜」
はしゃぐ玲真を見ていると、また体がモワモワしてきた。おっさんめ……!
『おおお!今日も可愛いじゃねぇか!』
ロリコンかよ。
『いやぁ、目の保養だなぁ。お前、幸せもんだよ』
だからロリコンかよ!
僕はロリコンじゃない!
『ロリコンロリコンうるせーよお前』
「こっちのセリフだよ」
「何か言った?」
ママが振り返って訊いてきた。
「あ、いや、何も?」
「そう?ありがとうね、毎日。上手ね虹は」
「全然。ママの方が上手いよ〜」
気持ち:上機嫌、感謝
ついやってしまう。
こうなると、人間関係とか色々大変になりそうだな。
給湯器からお湯が湯気と共に勢いよく流れて来た。
ココアの素の粉をお湯とゆっくりとかき混ぜる。
ココアの付いたスプーンを口に咥えたまま僕は自分の部屋に戻って窓を開けた。
ずっと引きこもってると空気が澱んでくる。
窓の縁にある小さなカウンターにカップを置いてベッドに座る。
するとすぐに飼い猫のルノが僕の膝の上に乗っかって来た。
「そうだ。おっさん」
『だからさ……はいはいおっさんですよ』
「何で不登校でニートの僕を後継者として選んだわけ?」
すると吹き出して言った。
『馬鹿野郎。はははっ。お前が生まれる前から決めてたんだわ!まさか俺だって不登校の野郎が神様になるとは思っても見なかったわ!』
がははは!と豪快に笑うおっさん。
僕が生まれる前から……?
なんだ、不登校の僕をわざわざ選んだ訳じゃなかったのか。
「それじゃ、リスク高くない?」
『まあな、神様になる前に死んじまう可能性もなくはないし。でもそういうルールなんでね』
変なルール。
モワモワが消えるとほぼ同時に部屋のドアが開いた。
「おにーちゃん、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
キャハハ!と小学生の声が窓から聞こえた。
「進路どーすんの?」「都心行きたいよねーやっぱ」と女子中学生の話し声が聞こえた。
虚しくなってシャッターと窓を閉めた。
外界との繋がりをシャットダウン。
これで何も聞こえない。
登校拒否で不登校、部屋や家に引きこもってばかりの息子を持つママも困っているだろうけど、一番焦って困っているのは僕だ。
いつまでもこのままでいてはダメって一番僕が分かっている。
進路どうこうとか、勉強どうこうとか、成績がーとか、一番心配しているのも気にしているのも、僕。
でも学校に復帰するということにはタイミングというものが大切。それに、相当な努力と労力が必要、そしてなんらかの機会が必須だった。
そして僕には訪れた。
神様になったという機会が。
でもそれがグッド・タイミングとは言い切れない。別に神様になったからって学校に行く必要も特にないし、ニートだって悪くないだろう。
でも、この機会を逃したら?
次、僕には機会が来るのだろうか。
もしかしたら来ないかもしれない。いや、来ない確率の方が遥かに高い。
僕はまず、リハビリをすることにした。
パーカーとジーンズといったラフな格好に着替え、財布を持った。
「ママ」
思い切ってやってみよう。
「僕、ちょっとそこまで散歩してくるね」
ママは驚いていた。
「どうして急に?大丈夫なの?何かあった?」
「ううん、大丈夫だよ。出かけるだけ」
ママは明らかに動揺していて、心配そうだった。
「そう?今日、朝からなんだか挙動不審だったから……。お願いだから死なないでね?それだけは絶対よ」
ママは僕が死にに行くとでも勘違いしているようだ。
それは仕方ない。
引きこもって二ヶ月、もうすぐ三ヶ月経つという我が子がある日突然「出かける」と言い出したのだから。
「大丈夫だよ!僕は生命力だけで生きてるから」
そう言って笑って見せた。
「でも、あんた、死にそうな顔してる」
「長年引きこもってたからね」
笑って言い、靴を履いた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ママはまだ不安そうだったけど、送り出してくれた。
僕はすることもなく、近所の公園に行った。
ベンチに座ってぼーっとしていた。
僕以外は未就園児たちとその母親たちしか居ない。
ふと、洋服が引っ張られた気がして振り向くと、知らない男の子が僕のパーカーの裾を引っ張っていた。
「にぃに、がいじんさん?」
僕の髪を指差して言った。
「違うよ」
そう言うと男の子はにこっと笑って滑り台の方へ行ってしまった。
その子の母親が僕の方を見て、他の母親たちに何かを囁いた。
他の子供たちも僕を見て指差す。泣き出してしまう子もいた。
ただでさえこんな容姿で、肩まである長いぼさぼさの髪の小学生が息子と話していたなんて、たまったもんじゃないんだろう。
「何、あの子」
僕の後ろを通った人に呟かれる。
「汚いわね」
それはないだろと思い振り向くと、おばさんたちが話していたのは僕のことではなく、別の女の子のことだった。
黒い髪は腰あたりまで伸び放題、ダボダボ過ぎるパーカーにシミのついたズボンを身に纏っている。
その子は自分のことを悪く言うおばさんたちに、目を細めて微笑んだ。
このままここに居ても居心地が悪いから、その子に話しかけてみることにした。
「君、誰?」
突然失礼かもしれないけれど普通に言ってしまった。
しばらく沈黙した後、慌てたように言った。
「あっ、いあっ」
その瞬間、
「名前はないの」
と後ろから来た別の女の子が言った。
名前はない?
「君は?」
「私は千紗《ちさ》。この子は私の……まあ簡単に言えばキョーダイかな」
千紗と名乗った少女は僕より年上に見えた。かがみこんで『名のない女の子』の頭を撫でた。
「『簡単に言えば』?」
「そ。この子は私の父親と浮気相手の間に出来た子供と父親の間の子供」
へ?
父親と浮気相手の子供が産まれて、その子供と父親の間の子供……ってこと?
やかましいな。
「もっと簡単に言えば捨て子。しかも耳が不自由でさ」
千紗さんが『名のない女の子』の肩を叩くと、少女は、はっとしたように起き上がった。
耳が聞こえないのか……
「私はママと父親の子供だけどね。ママと私が面倒見てたの。じゃあ」
そう言って千紗さんは少女を連れて行ってしまった。
千紗さんは、僕のこの髪で『名のない女の子』と同じ環境で生きていると勘違いしたのかもしれない。それでこれほど喋ってくれたのかもしれない。
なんだか申し訳ないな。
僕はやっぱりすることもなく、家に帰ることにした。
「おかえり」
ママは無事の僕に安心したようだ。
「ただいま」
捨て子で名のないあの子、もしかしたら無戸籍児なのかも。
可哀想に。
耳も聞こえないなんて。
僕がもっと早く神様になってたら、あの子にそんな酷い試練を与えなかったのにな。
やっぱり神様って不公平なんだ。
何考えてるかさっぱり分からないよ。
そうだ。
手話ならあの子と会話出来るかも。手話を勉強しようか。でもきっとテレビも知らないから手話を知らないかもな。
僕は少し練習することにした。
次の日も、僕は外の世界に出かけた。
昨日と同じ、公園の近くの廃屋の前に彼女はいた。
千紗さんは居ないようだ。
僕はカバンの中から持ってきたノートのページをぺらりとめくってゆっくり読み上げた。
「僕は虹」
少女ははっとしたように言った。
「こ、こお?」
虹と呼んでくれているみたいだ。
僕は微笑んで続けた。
「もうすぐ十一歳。このノートで君と話したい」
すると少女は頷いて、僕のノートに触れた。
僕がノートと鉛筆を渡すとすぐに書き始めた。よかった。文字は書けるみたいだ。
〈ありがとう〉
にっこり笑って僕に見せた。
〈手話はできる?〉
〈少しなら〉
〈僕と一緒に練習しない?〉
〈したい!〉
少女は「ありがとう」と手話をした。
少女は続けた。
〈ぼくは十一歳。文字とかは千紗ちゃんに教えてもらった〉
少女は自分のことを「僕」と表した。
僕はそれに触れなかった。
〈そうなんだ。千紗さんはいくつなの?〉
〈十八歳だよ。千紗ちゃんのお母さんとぼくのお父さんはお父さんの浮気で離婚したんだ〉
十六ということは高校生か。
〈君のお母さんは今いくつなの?〉
〈二十五歳だと思う。〉
十一引く二十六は、十四!
まだ中学生のときにこの子が生まれたのか。
しかも千紗さんが生まれるよりもとっくに前に浮気相手との子供が生まれていたのか。
お父さん最低だな。
〈お父さん、ぼくのお母さんを生んだお母さんの他にも、色んな女の人と遊んでたんだって。ぼくが生きてたのがキセキなぐらいだよ〉
〈ひどいね〉
〈うん。お父さんのこと大っ嫌い〉
〈千紗さんのお母さんは大丈夫なの?〉
〈お父さんに財産沢山持ってかれて、挙げ句の果て疲労で倒れた。真夜中まで働いて車に撥ねられて、亡くなったよ。二年前〉
「えっ!」
つい声に出してしまった。
じゃあ千紗さんは一人暮らし?
〈千紗さんは大丈夫なの?〉
〈うん。もう高校生だったからバイトとお母さんの保険で下りたお金でなんとか〉
生命保険か……
〈大学は諦めるって。高校も辞めちゃったし。まだ未成年なのに、ぼくを養うために働いててさ〉
きっとこの子も、責任を感じてるんだろうな。
〈孤児院に入れてって言っても、本当は行きたくないでしょって言って。無戸籍だから学校も行けないんだ〉
だから千紗ちゃんの邪魔でしかないんだ、と言った。
やっぱり無戸籍だったんだ。
僕が言うことに戸惑っていると、微笑んで言った。
〈ぼくに名前をつけてくれない?〉
名前を、僕が?
〈いいの?僕で〉
〈うん。初めてできた友達記念に。ずっと名前欲しかったんだ!〉
僕は帰ってから決めることにした。
帰るときに千紗さんが丁度帰ってきた。
「今日も来てくれたの?ありがとう」
僕が「こちらこそ」と言うと「この子、話してくれたって昨日めっちゃ喜んでた」と言った。すると少女は慌てて言った。
「ちあちゃっ、あめれよ!」
幼く、高く、可愛らしい声だった。
女の子の中でも最も高いと思う。
耳が聞こえないから、話すことも上手く出来ないんだ。
顔を赤らめながら手を振る少女に振り返し、家に戻った。
結衣とかはどうだろう。
やっぱり可愛いのがいいのかな。
未来と書いてミク、とか?
カナ、レナ、ハナ、アカネ、アヤナ、コトハ、マオ。
可愛らしい名前や響きのいい漢字をノートに書き留めていると、背後に気配を感じた。
振り返るとママがいた。
イヤホンで音楽を聴いていたから気がつかなかった。
「ノックはしたの。驚かせてごめんね」
ママは目を細めて言う。
僕は無意識にノートを腕で隠した。それをママは覗き込んで来た。
「何書いてるの?」
「えっと、」
女の子の名前をノートに呪いのように沢山書いている引きこもりの息子を見た母親はどう思うだろう。
僕がママの立場だったら絶対引いてる。
「さ、最近、近所で友達が出来て。女の子なんだけど、複雑な家庭事情があって無戸籍児なんだ。名前をつけて欲しいって言われて」
別にいけないことをしているわけでもないんだけど、変に焦ってしまう。
「その子、名前がないの?」
「うん」
「無戸籍って、親はどうなの?」
「うーん……結構説明が難しくてさ?」
「へー……アブナイ子じゃないといいけど」
ママはそう言って出て行った。
親と子供は違うよ、と言ってやりたかった。
マユ、アヤカ、ナナ、サトミ、ミライ。
千紗、ときてチカはどうだろう。チヒロでもいいかも。
可愛らしくて愛嬌のある美少女のあの子に似合いそうな名前に丸をつけた。
結衣と千華、千紘。
明日、あの子に提案してみよう。どんな顔をするだろうか。
今日も僕はノートを持ってあの廃屋の前に行った。
そこにはーー泥だらけのあの子と千紗さんがいた。
「あっ!……名前なんだっけ?しょーねん、いいところに来た!」
「あ……僕、虹です……」
「コウね!うん。でさ、この子。朝土砂降りだったじゃない?車の水飛沫がさっきかかっちゃったみたいで。お風呂に入れてやってくんない?」
え?
「千紗さんは……?」
「ごめんごめん!昨日、ひいばあちゃんが入院したらしくて。二、三日帰ってこれないの!」
「えっ!今から?!」
「そうそう。これ、私の電話番号。何かあったら連絡して!じゃ!」
そう言って千紗さんはアパートの方に行ってしまった。
少女はポカンとしていた。
〈うち来る?〉
僕がノートを見せると驚いていた。
〈汚いけど……大丈夫?〉
全然汚くないし大丈夫だよと言うと、〈ありがとう〉と言っていた。
僕は冷たい彼女の手を引いて歩いた。
「くしゅっ」
家に戻る途中、少女は何回か可愛らしいくしゃみをした。
風邪をひいたのかもしれない。
家のドアを開けると、丁度出かけようとしていたのか、ママがいた。
「ど、どちら様?」
ママは目を丸くしていた。
「昨日の子。シャワー浴びさせていい?」
「ろっ、お、おじやあし、あす」
お邪魔します、と言ったのだろうか?
ママはますます目を丸くしてポカンとしていた。
「ごめん、この子耳が聞こえないんだ。風邪ひいちゃうから説明は後でするから!」
そう言って僕は今更少女が裸足だと気づき、おんぶして風呂場に直行した。
「お、ふ、ろ、は、いって」
すると分かったみたいで少女はズボンを脱いだ。
「え!」
まだ小学生とはいえ、もうすぐ六年生。
いくらこの子が無知で無垢とは言っても、この歳で異性とお風呂に入るのはさすがに……な。
そうこう思っているうちに少女がシャツをめくり上げて腹を出していた。
「お、おいっ!」
僕は慌ててシャツを押さえて胸の露出を抑えた。
すると少女は悟ったように僕の手を握った。
「え……?」
そして少女は僕の手をそのまま自分の胸にペタリとつけた。
「え」
「おと、こ」
平ら……?
少女は少年だったのだ。
少年は笑いながら頷いた。
髪や容姿で勝手に勘違いしていた。
髪の毛が長いからって女の子のわけじゃないんだよね。
男の子は髪が短い。女の子は髪が長い。
そんな偏見が世の中も僕にもあったからこうなってしまうんだよね。
少年はシャツを脱いだ。確かにオトコだった。
肋骨は浮き出ていて、腕も脚もごぼうのように細い。
僕は異性だと勘違いしていたことと、やっぱり男の子には見えなくて小っ恥ずかしいのを抑えながら体を洗ってやった。
髪の毛も洗い終わるとツヤが戻ったように見えた。
「あったけ〜」
湯気の出ている自分の体を撫でながら言った。
思い出して入浴剤を入れると少年は「あっ!わっ!」と歓声を上げた。
風呂から上がると、少年の服をママが洗ってくれていた。
でも見るからにぼろぼろでサイズも全く合っていないし、僕の服を貸してあげることに。
「ちょっと!裸で走り回らないでよ!」
僕が自分の部屋に行こうと走るとママが叫んだ。
「やっぱり!」
小柄な少年には僕が去年着ていたものにピッタリフィット。
喜んでいた。
〈ぼくのこと女の子だと思ってたんだね〉
〈声とか可愛かったし、髪も長かったから〉
〈まあ、側から見たらそうだよね〉
〈まあ、うん。〉
〈名前考えてくれた?〉
あ。
〈考えたんだけど、女の子だと思ってたから……〉
そう僕は言ってノートのページをめくった。
〈ホントだ〉
〈ごめん〉
〈全然。考えてくれてありがとう〉
そう言うと、少年は「結」の字に指差した。
〈この字、すき〉
結、か。
やっぱり少年に合うと思ったんだよな。
そうだ。
〈結留はどう?〉
〈すてき!何て読むの?〉
〈ゆいと〉
「ゆいお!」
少年はそう言ってはにかんだ。
〈千紘はどう?ちひろって読むんだけど〉
〈かっこいいね。迷うなぁ〉
〈千鉉、とかも。ちづるって読む〉
〈ちづるかあ。えー迷うよー〉
少年は体育座りで考えこんだ。
しばらく沈黙が続いて、言った。
〈千鉉、かな。どれもいいけど一番しっくりくるっていうか〉
千鉉!
〈いいね!じゃあ決まり?〉
「んっ!」
にっこり笑って言った。
今日から少年の名前は千鉉になった。
昼ご飯を食べて、僕たちは本屋へ行った。
町で一番大きな本屋。本屋と図書館が一緒になった感じ。
手話の本を探しに来たんだ。
千鉉は手話は少ししかできないと言っていたけど、案外出来るみたいだった。
〈千紗ちゃんとテレビに教わったの〉
千鉉は千紗さんの家に住んでいるらしい。毎日手話ニュースを見てるとか。
手話コーナーには手話の本や、ろう者の体験談漫画などが並んでいた。
何冊か選んでいると、ふとあるチラシが目に入った。
〜架け橋〜手話サークル自由参加!
聴覚障がい者だけでなく健常者も!子供からご年配の方々までたくさんの人が参加しています。手話を教え合ったり、ろう者体験談や世間話まで自由に楽しく手話で話しています。
もちろん無料。初めての方大歓迎です!
入会不用!当日参加自由です!
みんなで手話仲間を増やしませんか?
一緒に話しましょう!
ということだった。
手話サークル……!
僕は千鉉の肩を優しく叩き、チラシを見せた。
千鉉の顔がパァッと明るくなり、〈自由にお取り下さい〉と書いてあるチラシをパッと取った。
祝日やお盆、お正月以外は毎日開催されているみたい。
午前十時から午後三時まで。いつでも参加可能。
「いっえみた、いっ!」
「こ、ん、ど、いって、み、よ、う」
千鉉は僕がゆっくり話せば口路で言っていることを読み取れるみたいだ。
僕たちは陽当たりのいい公園のベンチで買ってきた本やYouTubeを見て手話の練習をした。
千鉉のことが少し知れた気がした。
「おい、あれ」
「もしかして?白髪じゃね?」
風が、吹いた。
千鉉の髪を靡かせた。
「マジじゃん!」
目の前にアイツがいた。
僕をいじめていた奴だった。
田島と小畑。
「なんだよ」
千鉉はページをめくるのをやめ、僕を見た。
「ははッ。マジお前さ、頭イカれてるんじゃね?」
「学校サボってオンナとデートとかさ。マジきもいんだけど?」
そう言って地面の砂を掴み、僕に投げつけた。
小さな石が目に入って痛い。
「何すんだよ」
僕も立ち上がって投げつけた。
砂じゃなく、石を。
「痛っ!」
小畑は頬を押さえる。
千鉉は驚いた様子で僕を見ていた。
「あ?なんだよコレ」
そう言って千鉉から本を奪い取った。
「あっ」
千鉉は人差し指を握りしめた。赤い血がじわじわと出てくる。
千鉉は手を伸ばし取り返そうとするも、交わされてしまった。
「なんだこれ。シュワの本?」
そう言ったとき、千鉉が「あえして!」と叫んだ。
「”アエシテ”?え、キモ」
嘲るように笑う田島。
「笑えねえよ」
小畑が言う。
「違う!千鉉は“返して”って言ったんだよ!」
僕が本を奪い返すと田島は宇宙人を見るような目で千鉉を見た。
「へえ。こいつ、言葉もマトモに話せないのかよ」
「赤ん坊みてェ」
「赤ん坊と白髪《じじい》のクソカップルとかまじウケんだけど!」
そう言って笑い転げた。
なんとなく読み取れたのか、千鉉は僕を見て笑った。
こういうとき、神様なのに何も出来ないってなんなんだろう。
「何とか言えよー」
「小畑、こいつ、耳聞こえないんじゃね?」
「エ、まじィ?」
すると千鉉に近づいて肩を掴んだ。
「おい、やめろよ」
「あーっ!!!」
小畑が千鉉の耳元で大声で叫んだのだ。
千鉉はビクッと震えて耳を塞いだ。
僕は千鉉の手をぎゅっと握って顔を覗き込んだ。
「何すんだよお前!酷いことすんなよ猿!!」
小畑の髪を引っ張り地面に叩き着けた。
「痛い!」
なんなんだよ。何で僕や千鉉のことをいじめんだよ。
小畑に馬乗りになって耳元で叫んだ。
「あーっ!!!」
小畑は顔を顰め、泣き出した。
やられてもやり返すな?
そんなんじゃこのご時世、やっていけねーっての。甘く見るなよ。
「おっお前さ、き、気持ち悪いんだよ。小学生のくせ、に、白髪だし、ロン毛だしっ」
小畑は泣きながら言った。
僕はもうそんなの分かりきってる。そう何度も言わなくても分かってるよ。
「なあ、耳聞こえないんだろ?じゃあ耳要らなくない?」
田島が怯える千鉉の耳を掴んで大声で言った。
どうしてなのかな。
どうして普通じゃないと酷いことをされるのかな。
僕も分からないよ、千鉉。
「おい、何してんだ!」
声のした方を見ると見知らぬおっさんがいた。
いや、見知ってたわ。
元神様のおっさんだった。
田島は小畑を置いて逃げて行った。
千鉉のぼさぼさになった髪の隙間から赤い液体の伝う耳が見えた。
「大丈夫か、千鉉?」
千鉉はにっこりと笑っていた。
「ま、き、こん、で、ご、め、ん」
手話をしながら言うと、気にしないでと言った。
「てかさおっさん。知ってんなら助けてくれるとかないわけ?」
「ねーよ。魔法が使えるようになるわけじゃないんでね」
だるそうに言いながら頭をぽりぽり掻いた。
「こいつ、千鉉って名前になったんか。へえ。じゃあな」
「え。知り合いなの?」
おっさんは振り返らなかった。どうやら近所に住んでるみたいだ。
僕はまだぐずぐず泣く小畑を睨んでから家に戻ることに。
家に帰るとノート型パソコンに本部からメールが届いていた。
本日、神様方十五名が全員決定しました。おめでとうございます。
明日の午前十時から約二時間ほど、元神様方も含め三十一名が参加する集合会議第一回を開催致します。全員参加必須で御座います。
何卒宜しくお願い申し上げます。
本部 最上級神様チカ様、ルマ様の使えより
最上級神様は使えもつくのか。なんかVIPみたい。
てか明日会議!?
明日って早くない?もっと早く知らせてくれよ頼むから。
じゃあ千鉉どうしようかなぁ。
「ご飯よー
そう、僕は神様だ。
たった今、知らない男にそう言われた。
どうやら僕は神様になったらしい。
ーーは?
「何言ってんの、アンタ。てかさ、ここ僕の部屋なんだけど」
当然のツッコミを入れる。
「俺は元神様だ。お前を神様の後継者として選んだ」
「いやいや、僕さ、まだ十歳なんだよね。お空の上に逝きたくない訳よ」
「死ぬ訳じゃない。お前はここで人間のフリをしながら神様の仕事をこなすんだ」
当然のように言ってみせるおっさんに呆れる。
「あのさ、アンタが言ってること相当ヤバいよ?オカルト映画の見過ぎじゃない?」
「まず一番初めの仕事は……」
いやこのおっさん、人の話聞かな過ぎ!
こんなおっさんに神様なんか務まってたまるかよ。
おっさんはiPadのようなタブレットをいじくっている。
「えーと。まずは身の回りの人たち、つまり同級生や家族などの個人情報を暗記する」
「暗記ィ?!」
「うん。最初はこれに書き溜めといてもいいぞ」
タブレットをひらひらさせて言った。
そういう問題じゃないんだけどな……
すると思い出したように、自分が背負っていたリュックを漁り出した。
「ほれ。これはお前のもんだ」
ノートを差し出された。
「何これ」
「開いてみろ」
開くと、それはノートではなく、パソコンだった。まさにノート型パソコン。
「すっげー!」
するとおっさんは偉そうに笑った。
「だろ?だろ?神様はな、ハイテクのブツを色々と使えるからな、結構便利だし楽しいぜぇ」
唖然。
急に人が変わったように笑い出した。
「だからな、神様もなかなか悪くないぜ。俺も最初はビックリしたけどよ、最高だったさ」
なんか、僕が神様になること決定した感じで話進んでるんだけど、これかなりまずくない?
まずいよね。
「あの、僕」
「じゃあな。俺はもう下りたけど、定期的に見に来てやるからよ」
「いや来なくていいし、僕、神様なんて」
「あ、ルール言うの忘れてた。やっべ」
こいつマジで人の話聞かないな!
「その一、元神様以外の他の人間たちにお前が神様だとバレてはならない。
そのニ、威張ってはならない。
その三、自分で命を断ってはならない。
ルールはそれに書いてあるから。いいな?これだけは絶対に守らなきゃいけない。
他にも色々あるけど、この三つだけ守っとけば大体は平気だ」
「守んなかったらどうなんの?」
「世界が終わる」
神妙な表情で静かに言った。
背中に嫌な汗が流れる。
え。
それってヤバくない?
僕にこの世界の未来がかかってるじゃん!
てかなんで僕、神様認めちゃってんだよ。
「じゃーな。頑張れよ」
「ちょ、待って!この髪と目も神様のせい?」
僕の髪は白い。若白髪とかそんなのじゃないし、親もばりばりの日本人。
目は赤い。
このせいでどれほど嫌な目に遭ったことか。おかげで不登校なんだわ僕。
「そうさ。俺が見つけやすいように、な。有り難く思えよー?イケメンにしてやったんだから」
するとおっさんは来た時のように窓から出て行ってしまった。
「お、おいーっ!ふざけんなよー!」
髪の毛も目もおっさんのせいかよ。
だいたいさ、神様って、もっと美少女か美少年で、羽が生えてて……っていうのを想像してたんだけど!
『偏見だなそりゃ。天使と神様を間違えんなよ。ガキンチョ』
だからさあ、
「なんでおっさんの声が聞こえんだよー!」
『元神様と今神様は心ン中で会話が出来んだよ。俺はもう上級の神様だったからよ、お前の考えてることなんてお見通しだな』
はあ〜?!
ふざけんなよまじで。
常に監視されてる様なもんじゃねーか。
「あのさあ、僕だってそろそろ年頃だしさ?」
『何かバレちゃいけないようなことがあるのかよ?』
うざいわ。このじじい。
これってブロックとか出来ないのかな。
喋りかけてくるおっさんを無視してパソコンを触る。
今僕は最低階級の神様らしい。
「おい、おっさん」
『元神様と言いたまえよ、馬鹿もん。仮にでもお前のことをこの世に生まれさせてやった親みたいなもんなんだからな?』
「はいはい、で、この世界に神様は何人いるんだよ」
『十五人。そのうち二人が最上級神様って言って、神様の中でも一番高い位にいる。ルマ様とチカ様だ。どっちも女性だ』
へぇ。神様って一人だと思ってたけど、そうじゃないんだな。
『上級神様はロイとレイ。双子なんだ』
「なんかみんなかっけー名前だけどさ、アンタみたいにおっさんなんだろ?」
『馬鹿野郎が。四十までやってこれたのは俺だけなんだよ。ルマ様が俺にそろそろ辞めなさいと言っていらしたんだ』
「リストラ?」
可笑しそうに笑って言うと、また「馬鹿もん」と言われた。
おっさん口悪いよ。そんななのに四十までやってこれたな。
『ここ五年は総入れ替え年間なんだよ。まあそれも今年で最後だけどさ。だから一気に若手が入ってきてんの。百年ごとに回ってくる。今いる神様の最年少はお前ら十歳。最年長は十六歳』
若っ!
最年長高校生って……成人してる人いないのかよ。
『それにルマ様とかルネとかみんな神様のときだけの偽名みたいなもんだから』
へぇ。
お前も考えとけよ、と言われる。
さっきまであったモワモワって感じが消えた。どうやらおっさんは居なくなったみたいだ。
ふぅ。
神様だって?僕が?今日から。
パソコンには神様の仕事一覧があった。
生まれて来る赤ん坊の性別、能力、容姿、寿命、声や体重、身長まで生まれたときから持っているものを全部を決めるのが神様。
だから性格や運命の人とかは後の本人次第らしい。
子供の夢を壊してくれちゃってさぁ。
でもこれが案外難しいらしい。
特別な才能を与えるとしても、その人間がその才能を持て余してしまうような人ではダメだ。しっかりと自分の能力を磨き上げ、発揮できる人でないといけない。
寿命も長い人も短い人もいるから世界が成り立っている。
自分が作った人間に情を入れてはいけない。私情、私用を持ち込むな。
ルール多いし、なんか面倒くさそうなんだけど。
一番最初の課題は家族の個人情報を収集すること。そして神名を決めて元神様に報告すること。その次に同い年の神様を探し出すこと。
個人情報調べなんかどうやってやりゃあいいんだよ。
「虹《こう》、入っていい?」
ママだ。
僕はパソコンを閉じて勉強机の上に置く。本棚から一冊本を取り出して言った。
「うん」
ガチャリとドアが開き、ママが入って来た。
「えっ!!」
嘘だろ。
「どうしたの?」
ママの周りにママに関する情報がずらりと並んでいて、書かれては消えていく。
これが、個人情報……なのか?
僕は慌てて消えていく文字を記憶に書き込んでいく。
年齢、身長、体重、気持ち、付き合った人の数……人に知られたくない内容や、僕の知らないことまで沢山載っていた。
「大丈夫?どうかしたの?」
「あっ、いや、なんでもない。大丈夫だよ」
「そう……?」
ママは首を傾げながら言う。
「お腹、大丈夫?」
「うん、だいぶ良くなった」
僕はストレス性の腹痛と下痢が酷く、ここニヶ月学校を休んでいる。
前から少し休みがちだったけど、ついに登校拒否に陥ってしまった。
「よかった。朝ご飯出来たよ」
「やった!腹ペコだよ」
僕はまだ夢を見ているかのようにポワポワしながらママと一緒に階段を降りて行った。
「にーたんおはよぉ」
「おはよ」
にこにこといつも楽しそうなのは、頼《らい》。まだ二歳だけど、走りまくったりして結構大変。
頼に視点を合わせて目を凝らすとまたさっきの様に文字が現れた。
「起きてくんの遅いよ。虹も手伝って早く」
妹の玲真《れま》は呆れたように笑って言った。
まだ小三なのにこんなにしっかりしててさ、ほんと感心するよ。
玲真は髪が茶色い。ミルクティー色だ。
今思うと、この子ももしかしたら神様なんじゃとか後継者なんじゃないかとか色々疑ってしまう。
まあ気のせいなんだけどね。
朝食が終わると、玲真は僕に髪を結ってと言って来る。
まだ赤ちゃんの頼につきっきりのママの代わりに僕が結んであげたのが始まりだった。おかげで僕は編み込みやら、くるりんぱやら、色々出来るようになった。
「昨日の三つ編みね、友達がね、可愛いって言ってくれたの!今日も出来る?」
「よかったね。出来るよ〜」
「やったあ!」
玲真は可愛い。自分で言っちゃうけど、だから僕はデレデレだ。本気で玲真はモデルになれると思ってる。多分、原宿なんかに行けば余裕でスカウトされるだろう。
最近、より可愛い新しい髪型を研究している。自分の時間が減ってしまうけど、玲真を可愛く出来るなら全然惜しくない。
「よし!出来た」
「わー!ありがと〜」
はしゃぐ玲真を見ていると、また体がモワモワしてきた。おっさんめ……!
『おおお!今日も可愛いじゃねぇか!』
ロリコンかよ。
『いやぁ、目の保養だなぁ。お前、幸せもんだよ』
だからロリコンかよ!
僕はロリコンじゃない!
『ロリコンロリコンうるせーよお前』
「こっちのセリフだよ」
「何か言った?」
ママが振り返って訊いてきた。
「あ、いや、何も?」
「そう?ありがとうね、毎日。上手ね虹は」
「全然。ママの方が上手いよ〜」
気持ち:上機嫌、感謝
ついやってしまう。
こうなると、人間関係とか色々大変になりそうだな。
給湯器からお湯が湯気と共に勢いよく流れて来た。
ココアの素の粉をお湯とゆっくりとかき混ぜる。
ココアの付いたスプーンを口に咥えたまま僕は自分の部屋に戻って窓を開けた。
ずっと引きこもってると空気が澱んでくる。
窓の縁にある小さなカウンターにカップを置いてベッドに座る。
するとすぐに飼い猫のルノが僕の膝の上に乗っかって来た。
「そうだ。おっさん」
『だからさ……はいはいおっさんですよ』
「何で不登校でニートの僕を後継者として選んだわけ?」
すると吹き出して言った。
『馬鹿野郎。はははっ。お前が生まれる前から決めてたんだわ!まさか俺だって不登校の野郎が神様になるとは思っても見なかったわ!』
がははは!と豪快に笑うおっさん。
僕が生まれる前から……?
なんだ、不登校の僕をわざわざ選んだ訳じゃなかったのか。
「それじゃ、リスク高くない?」
『まあな、神様になる前に死んじまう可能性もなくはないし。でもそういうルールなんでね』
変なルール。
モワモワが消えるとほぼ同時に部屋のドアが開いた。
「おにーちゃん、行ってきまーす」
「行ってらっしゃい」
キャハハ!と小学生の声が窓から聞こえた。
「進路どーすんの?」「都心行きたいよねーやっぱ」と女子中学生の話し声が聞こえた。
虚しくなってシャッターと窓を閉めた。
外界との繋がりをシャットダウン。
これで何も聞こえない。
登校拒否で不登校、部屋や家に引きこもってばかりの息子を持つママも困っているだろうけど、一番焦って困っているのは僕だ。
いつまでもこのままでいてはダメって一番僕が分かっている。
進路どうこうとか、勉強どうこうとか、成績がーとか、一番心配しているのも気にしているのも、僕。
でも学校に復帰するということにはタイミングというものが大切。それに、相当な努力と労力が必要、そしてなんらかの機会が必須だった。
そして僕には訪れた。
神様になったという機会が。
でもそれがグッド・タイミングとは言い切れない。別に神様になったからって学校に行く必要も特にないし、ニートだって悪くないだろう。
でも、この機会を逃したら?
次、僕には機会が来るのだろうか。
もしかしたら来ないかもしれない。いや、来ない確率の方が遥かに高い。
僕はまず、リハビリをすることにした。
パーカーとジーンズといったラフな格好に着替え、財布を持った。
「ママ」
思い切ってやってみよう。
「僕、ちょっとそこまで散歩してくるね」
ママは驚いていた。
「どうして急に?大丈夫なの?何かあった?」
「ううん、大丈夫だよ。出かけるだけ」
ママは明らかに動揺していて、心配そうだった。
「そう?今日、朝からなんだか挙動不審だったから……。お願いだから死なないでね?それだけは絶対よ」
ママは僕が死にに行くとでも勘違いしているようだ。
それは仕方ない。
引きこもって二ヶ月、もうすぐ三ヶ月経つという我が子がある日突然「出かける」と言い出したのだから。
「大丈夫だよ!僕は生命力だけで生きてるから」
そう言って笑って見せた。
「でも、あんた、死にそうな顔してる」
「長年引きこもってたからね」
笑って言い、靴を履いた。
「行ってきます」
「行ってらっしゃい」
ママはまだ不安そうだったけど、送り出してくれた。
僕はすることもなく、近所の公園に行った。
ベンチに座ってぼーっとしていた。
僕以外は未就園児たちとその母親たちしか居ない。
ふと、洋服が引っ張られた気がして振り向くと、知らない男の子が僕のパーカーの裾を引っ張っていた。
「にぃに、がいじんさん?」
僕の髪を指差して言った。
「違うよ」
そう言うと男の子はにこっと笑って滑り台の方へ行ってしまった。
その子の母親が僕の方を見て、他の母親たちに何かを囁いた。
他の子供たちも僕を見て指差す。泣き出してしまう子もいた。
ただでさえこんな容姿で、肩まである長いぼさぼさの髪の小学生が息子と話していたなんて、たまったもんじゃないんだろう。
「何、あの子」
僕の後ろを通った人に呟かれる。
「汚いわね」
それはないだろと思い振り向くと、おばさんたちが話していたのは僕のことではなく、別の女の子のことだった。
黒い髪は腰あたりまで伸び放題、ダボダボ過ぎるパーカーにシミのついたズボンを身に纏っている。
その子は自分のことを悪く言うおばさんたちに、目を細めて微笑んだ。
このままここに居ても居心地が悪いから、その子に話しかけてみることにした。
「君、誰?」
突然失礼かもしれないけれど普通に言ってしまった。
しばらく沈黙した後、慌てたように言った。
「あっ、いあっ」
その瞬間、
「名前はないの」
と後ろから来た別の女の子が言った。
名前はない?
「君は?」
「私は千紗《ちさ》。この子は私の……まあ簡単に言えばキョーダイかな」
千紗と名乗った少女は僕より年上に見えた。かがみこんで『名のない女の子』の頭を撫でた。
「『簡単に言えば』?」
「そ。この子は私の父親と浮気相手の間に出来た子供と父親の間の子供」
へ?
父親と浮気相手の子供が産まれて、その子供と父親の間の子供……ってこと?
やかましいな。
「もっと簡単に言えば捨て子。しかも耳が不自由でさ」
千紗さんが『名のない女の子』の肩を叩くと、少女は、はっとしたように起き上がった。
耳が聞こえないのか……
「私はママと父親の子供だけどね。ママと私が面倒見てたの。じゃあ」
そう言って千紗さんは少女を連れて行ってしまった。
千紗さんは、僕のこの髪で『名のない女の子』と同じ環境で生きていると勘違いしたのかもしれない。それでこれほど喋ってくれたのかもしれない。
なんだか申し訳ないな。
僕はやっぱりすることもなく、家に帰ることにした。
「おかえり」
ママは無事の僕に安心したようだ。
「ただいま」
捨て子で名のないあの子、もしかしたら無戸籍児なのかも。
可哀想に。
耳も聞こえないなんて。
僕がもっと早く神様になってたら、あの子にそんな酷い試練を与えなかったのにな。
やっぱり神様って不公平なんだ。
何考えてるかさっぱり分からないよ。
そうだ。
手話ならあの子と会話出来るかも。手話を勉強しようか。でもきっとテレビも知らないから手話を知らないかもな。
僕は少し練習することにした。
次の日も、僕は外の世界に出かけた。
昨日と同じ、公園の近くの廃屋の前に彼女はいた。
千紗さんは居ないようだ。
僕はカバンの中から持ってきたノートのページをぺらりとめくってゆっくり読み上げた。
「僕は虹」
少女ははっとしたように言った。
「こ、こお?」
虹と呼んでくれているみたいだ。
僕は微笑んで続けた。
「もうすぐ十一歳。このノートで君と話したい」
すると少女は頷いて、僕のノートに触れた。
僕がノートと鉛筆を渡すとすぐに書き始めた。よかった。文字は書けるみたいだ。
〈ありがとう〉
にっこり笑って僕に見せた。
〈手話はできる?〉
〈少しなら〉
〈僕と一緒に練習しない?〉
〈したい!〉
少女は「ありがとう」と手話をした。
少女は続けた。
〈ぼくは十一歳。文字とかは千紗ちゃんに教えてもらった〉
少女は自分のことを「僕」と表した。
僕はそれに触れなかった。
〈そうなんだ。千紗さんはいくつなの?〉
〈十八歳だよ。千紗ちゃんのお母さんとぼくのお父さんはお父さんの浮気で離婚したんだ〉
十六ということは高校生か。
〈君のお母さんは今いくつなの?〉
〈二十五歳だと思う。〉
十一引く二十六は、十四!
まだ中学生のときにこの子が生まれたのか。
しかも千紗さんが生まれるよりもとっくに前に浮気相手との子供が生まれていたのか。
お父さん最低だな。
〈お父さん、ぼくのお母さんを生んだお母さんの他にも、色んな女の人と遊んでたんだって。ぼくが生きてたのがキセキなぐらいだよ〉
〈ひどいね〉
〈うん。お父さんのこと大っ嫌い〉
〈千紗さんのお母さんは大丈夫なの?〉
〈お父さんに財産沢山持ってかれて、挙げ句の果て疲労で倒れた。真夜中まで働いて車に撥ねられて、亡くなったよ。二年前〉
「えっ!」
つい声に出してしまった。
じゃあ千紗さんは一人暮らし?
〈千紗さんは大丈夫なの?〉
〈うん。もう高校生だったからバイトとお母さんの保険で下りたお金でなんとか〉
生命保険か……
〈大学は諦めるって。高校も辞めちゃったし。まだ未成年なのに、ぼくを養うために働いててさ〉
きっとこの子も、責任を感じてるんだろうな。
〈孤児院に入れてって言っても、本当は行きたくないでしょって言って。無戸籍だから学校も行けないんだ〉
だから千紗ちゃんの邪魔でしかないんだ、と言った。
やっぱり無戸籍だったんだ。
僕が言うことに戸惑っていると、微笑んで言った。
〈ぼくに名前をつけてくれない?〉
名前を、僕が?
〈いいの?僕で〉
〈うん。初めてできた友達記念に。ずっと名前欲しかったんだ!〉
僕は帰ってから決めることにした。
帰るときに千紗さんが丁度帰ってきた。
「今日も来てくれたの?ありがとう」
僕が「こちらこそ」と言うと「この子、話してくれたって昨日めっちゃ喜んでた」と言った。すると少女は慌てて言った。
「ちあちゃっ、あめれよ!」
幼く、高く、可愛らしい声だった。
女の子の中でも最も高いと思う。
耳が聞こえないから、話すことも上手く出来ないんだ。
顔を赤らめながら手を振る少女に振り返し、家に戻った。
結衣とかはどうだろう。
やっぱり可愛いのがいいのかな。
未来と書いてミク、とか?
カナ、レナ、ハナ、アカネ、アヤナ、コトハ、マオ。
可愛らしい名前や響きのいい漢字をノートに書き留めていると、背後に気配を感じた。
振り返るとママがいた。
イヤホンで音楽を聴いていたから気がつかなかった。
「ノックはしたの。驚かせてごめんね」
ママは目を細めて言う。
僕は無意識にノートを腕で隠した。それをママは覗き込んで来た。
「何書いてるの?」
「えっと、」
女の子の名前をノートに呪いのように沢山書いている引きこもりの息子を見た母親はどう思うだろう。
僕がママの立場だったら絶対引いてる。
「さ、最近、近所で友達が出来て。女の子なんだけど、複雑な家庭事情があって無戸籍児なんだ。名前をつけて欲しいって言われて」
別にいけないことをしているわけでもないんだけど、変に焦ってしまう。
「その子、名前がないの?」
「うん」
「無戸籍って、親はどうなの?」
「うーん……結構説明が難しくてさ?」
「へー……アブナイ子じゃないといいけど」
ママはそう言って出て行った。
親と子供は違うよ、と言ってやりたかった。
マユ、アヤカ、ナナ、サトミ、ミライ。
千紗、ときてチカはどうだろう。チヒロでもいいかも。
可愛らしくて愛嬌のある美少女のあの子に似合いそうな名前に丸をつけた。
結衣と千華、千紘。
明日、あの子に提案してみよう。どんな顔をするだろうか。
今日も僕はノートを持ってあの廃屋の前に行った。
そこにはーー泥だらけのあの子と千紗さんがいた。
「あっ!……名前なんだっけ?しょーねん、いいところに来た!」
「あ……僕、虹です……」
「コウね!うん。でさ、この子。朝土砂降りだったじゃない?車の水飛沫がさっきかかっちゃったみたいで。お風呂に入れてやってくんない?」
え?
「千紗さんは……?」
「ごめんごめん!昨日、ひいばあちゃんが入院したらしくて。二、三日帰ってこれないの!」
「えっ!今から?!」
「そうそう。これ、私の電話番号。何かあったら連絡して!じゃ!」
そう言って千紗さんはアパートの方に行ってしまった。
少女はポカンとしていた。
〈うち来る?〉
僕がノートを見せると驚いていた。
〈汚いけど……大丈夫?〉
全然汚くないし大丈夫だよと言うと、〈ありがとう〉と言っていた。
僕は冷たい彼女の手を引いて歩いた。
「くしゅっ」
家に戻る途中、少女は何回か可愛らしいくしゃみをした。
風邪をひいたのかもしれない。
家のドアを開けると、丁度出かけようとしていたのか、ママがいた。
「ど、どちら様?」
ママは目を丸くしていた。
「昨日の子。シャワー浴びさせていい?」
「ろっ、お、おじやあし、あす」
お邪魔します、と言ったのだろうか?
ママはますます目を丸くしてポカンとしていた。
「ごめん、この子耳が聞こえないんだ。風邪ひいちゃうから説明は後でするから!」
そう言って僕は今更少女が裸足だと気づき、おんぶして風呂場に直行した。
「お、ふ、ろ、は、いって」
すると分かったみたいで少女はズボンを脱いだ。
「え!」
まだ小学生とはいえ、もうすぐ六年生。
いくらこの子が無知で無垢とは言っても、この歳で異性とお風呂に入るのはさすがに……な。
そうこう思っているうちに少女がシャツをめくり上げて腹を出していた。
「お、おいっ!」
僕は慌ててシャツを押さえて胸の露出を抑えた。
すると少女は悟ったように僕の手を握った。
「え……?」
そして少女は僕の手をそのまま自分の胸にペタリとつけた。
「え」
「おと、こ」
平ら……?
少女は少年だったのだ。
少年は笑いながら頷いた。
髪や容姿で勝手に勘違いしていた。
髪の毛が長いからって女の子のわけじゃないんだよね。
男の子は髪が短い。女の子は髪が長い。
そんな偏見が世の中も僕にもあったからこうなってしまうんだよね。
少年はシャツを脱いだ。確かにオトコだった。
肋骨は浮き出ていて、腕も脚もごぼうのように細い。
僕は異性だと勘違いしていたことと、やっぱり男の子には見えなくて小っ恥ずかしいのを抑えながら体を洗ってやった。
髪の毛も洗い終わるとツヤが戻ったように見えた。
「あったけ〜」
湯気の出ている自分の体を撫でながら言った。
思い出して入浴剤を入れると少年は「あっ!わっ!」と歓声を上げた。
風呂から上がると、少年の服をママが洗ってくれていた。
でも見るからにぼろぼろでサイズも全く合っていないし、僕の服を貸してあげることに。
「ちょっと!裸で走り回らないでよ!」
僕が自分の部屋に行こうと走るとママが叫んだ。
「やっぱり!」
小柄な少年には僕が去年着ていたものにピッタリフィット。
喜んでいた。
〈ぼくのこと女の子だと思ってたんだね〉
〈声とか可愛かったし、髪も長かったから〉
〈まあ、側から見たらそうだよね〉
〈まあ、うん。〉
〈名前考えてくれた?〉
あ。
〈考えたんだけど、女の子だと思ってたから……〉
そう僕は言ってノートのページをめくった。
〈ホントだ〉
〈ごめん〉
〈全然。考えてくれてありがとう〉
そう言うと、少年は「結」の字に指差した。
〈この字、すき〉
結、か。
やっぱり少年に合うと思ったんだよな。
そうだ。
〈結留はどう?〉
〈すてき!何て読むの?〉
〈ゆいと〉
「ゆいお!」
少年はそう言ってはにかんだ。
〈千紘はどう?ちひろって読むんだけど〉
〈かっこいいね。迷うなぁ〉
〈千鉉、とかも。ちづるって読む〉
〈ちづるかあ。えー迷うよー〉
少年は体育座りで考えこんだ。
しばらく沈黙が続いて、言った。
〈千鉉、かな。どれもいいけど一番しっくりくるっていうか〉
千鉉!
〈いいね!じゃあ決まり?〉
「んっ!」
にっこり笑って言った。
今日から少年の名前は千鉉になった。
昼ご飯を食べて、僕たちは本屋へ行った。
町で一番大きな本屋。本屋と図書館が一緒になった感じ。
手話の本を探しに来たんだ。
千鉉は手話は少ししかできないと言っていたけど、案外出来るみたいだった。
〈千紗ちゃんとテレビに教わったの〉
千鉉は千紗さんの家に住んでいるらしい。毎日手話ニュースを見てるとか。
手話コーナーには手話の本や、ろう者の体験談漫画などが並んでいた。
何冊か選んでいると、ふとあるチラシが目に入った。
〜架け橋〜手話サークル自由参加!
聴覚障がい者だけでなく健常者も!子供からご年配の方々までたくさんの人が参加しています。手話を教え合ったり、ろう者体験談や世間話まで自由に楽しく手話で話しています。
もちろん無料。初めての方大歓迎です!
入会不用!当日参加自由です!
みんなで手話仲間を増やしませんか?
一緒に話しましょう!
ということだった。
手話サークル……!
僕は千鉉の肩を優しく叩き、チラシを見せた。
千鉉の顔がパァッと明るくなり、〈自由にお取り下さい〉と書いてあるチラシをパッと取った。
祝日やお盆、お正月以外は毎日開催されているみたい。
午前十時から午後三時まで。いつでも参加可能。
「いっえみた、いっ!」
「こ、ん、ど、いって、み、よ、う」
千鉉は僕がゆっくり話せば口路で言っていることを読み取れるみたいだ。
僕たちは陽当たりのいい公園のベンチで買ってきた本やYouTubeを見て手話の練習をした。
千鉉のことが少し知れた気がした。
「おい、あれ」
「もしかして?白髪じゃね?」
風が、吹いた。
千鉉の髪を靡かせた。
「マジじゃん!」
目の前にアイツがいた。
僕をいじめていた奴だった。
田島と小畑。
「なんだよ」
千鉉はページをめくるのをやめ、僕を見た。
「ははッ。マジお前さ、頭イカれてるんじゃね?」
「学校サボってオンナとデートとかさ。マジきもいんだけど?」
そう言って地面の砂を掴み、僕に投げつけた。
小さな石が目に入って痛い。
「何すんだよ」
僕も立ち上がって投げつけた。
砂じゃなく、石を。
「痛っ!」
小畑は頬を押さえる。
千鉉は驚いた様子で僕を見ていた。
「あ?なんだよコレ」
そう言って千鉉から本を奪い取った。
「あっ」
千鉉は人差し指を握りしめた。赤い血がじわじわと出てくる。
千鉉は手を伸ばし取り返そうとするも、交わされてしまった。
「なんだこれ。シュワの本?」
そう言ったとき、千鉉が「あえして!」と叫んだ。
「”アエシテ”?え、キモ」
嘲るように笑う田島。
「笑えねえよ」
小畑が言う。
「違う!千鉉は“返して”って言ったんだよ!」
僕が本を奪い返すと田島は宇宙人を見るような目で千鉉を見た。
「へえ。こいつ、言葉もマトモに話せないのかよ」
「赤ん坊みてェ」
「赤ん坊と白髪《じじい》のクソカップルとかまじウケんだけど!」
そう言って笑い転げた。
なんとなく読み取れたのか、千鉉は僕を見て笑った。
こういうとき、神様なのに何も出来ないってなんなんだろう。
「何とか言えよー」
「小畑、こいつ、耳聞こえないんじゃね?」
「エ、まじィ?」
すると千鉉に近づいて肩を掴んだ。
「おい、やめろよ」
「あーっ!!!」
小畑が千鉉の耳元で大声で叫んだのだ。
千鉉はビクッと震えて耳を塞いだ。
僕は千鉉の手をぎゅっと握って顔を覗き込んだ。
「何すんだよお前!酷いことすんなよ猿!!」
小畑の髪を引っ張り地面に叩き着けた。
「痛い!」
なんなんだよ。何で僕や千鉉のことをいじめんだよ。
小畑に馬乗りになって耳元で叫んだ。
「あーっ!!!」
小畑は顔を顰め、泣き出した。
やられてもやり返すな?
そんなんじゃこのご時世、やっていけねーっての。甘く見るなよ。
「おっお前さ、き、気持ち悪いんだよ。小学生のくせ、に、白髪だし、ロン毛だしっ」
小畑は泣きながら言った。
僕はもうそんなの分かりきってる。そう何度も言わなくても分かってるよ。
「なあ、耳聞こえないんだろ?じゃあ耳要らなくない?」
田島が怯える千鉉の耳を掴んで大声で言った。
どうしてなのかな。
どうして普通じゃないと酷いことをされるのかな。
僕も分からないよ、千鉉。
「おい、何してんだ!」
声のした方を見ると見知らぬおっさんがいた。
いや、見知ってたわ。
元神様のおっさんだった。
田島は小畑を置いて逃げて行った。
千鉉のぼさぼさになった髪の隙間から赤い液体の伝う耳が見えた。
「大丈夫か、千鉉?」
千鉉はにっこりと笑っていた。
「ま、き、こん、で、ご、め、ん」
手話をしながら言うと、気にしないでと言った。
「てかさおっさん。知ってんなら助けてくれるとかないわけ?」
「ねーよ。魔法が使えるようになるわけじゃないんでね」
だるそうに言いながら頭をぽりぽり掻いた。
「こいつ、千鉉って名前になったんか。へえ。じゃあな」
「え。知り合いなの?」
おっさんは振り返らなかった。どうやら近所に住んでるみたいだ。
僕はまだぐずぐず泣く小畑を睨んでから家に戻ることに。
家に帰るとノート型パソコンに本部からメールが届いていた。
本日、神様方十五名が全員決定しました。おめでとうございます。
明日の午前十時から約二時間ほど、元神様方も含め三十一名が参加する集合会議第一回を開催致します。全員参加必須で御座います。
何卒宜しくお願い申し上げます。
本部 最上級神様チカ様、ルマ様の使えより
最上級神様は使えもつくのか。なんかVIPみたい。
てか明日会議!?
明日って早くない?もっと早く知らせてくれよ頼むから。
じゃあ千鉉どうしようかなぁ。
「ご飯よー