「ありがとう、小林くん」

口にして、ハッと正気に戻った。ここはあの会社じゃない。KODO開発、今の私の職場だ。
そして、ここに小林ヒカルはいないのだ。
がばっと身体を起こし、そこにいる人物に顔を巡らせた。やはりだ。立っていたのは左門優雅だ。

「他の男の名前を聞くのは、楽しくないですね」

優雅はうっすら微笑んでいたけれど、その笑顔はいつものものではなかった。
ぞくりとした。なぜなら、先週の出張でセクハラ社長相手に見せた酷薄とした表情に似ていたからだ。
凶暴な本性を抑え込み、極力穏やかであろうとしているように見える。

「失礼、間違えました。でも、誤解しないで。後輩と間違えただけですから」

なぜ、言い訳めいたことを言ってしまうのだろうと思いつつ、優雅の怜悧な表情を放置できない。

「ブランケットをありがとう。もう、切りあげて帰ることにします」
「小林ヒカル、二十七歳。あなたの後輩だった男ですね」

ブランケットを畳んでいた私は、驚いて振り向いた。なぜ、その名前を知っているのだろう。

「小林さんは、栗原りりかさんと順調に交際中のようですよ」

優雅は薄い笑みを顔に載せ、低い声で告げる。信じられない気持ちで、私は尋ね返した。

「調べたの……? 私に何があったか……」
「調べました。古道社長が気にされていたので。報告したのは、職場の人間関係トラブルに巻き込まれたという程度ですが」

かっと頭に血が上った。なんて無神経な男だろう。婚約する女の過去を調べ、さらにそれを本人に告げるだなんて。
私は畳んだブランケットを勢いよくデスクに置いた。とにかく、今、この男の顔を見ていたくない。