食事はとても美味しかった。食事だけなら、また利用してもいい。
優雅は食事中、私の希望通り仕事の話を中心にしてくれた。私もいい機会なので、彼から情報を得ることに注力すると、それなりにふたりの食事は有意義な時間となった。

払いは、現在上司の立場である私がと言ったのだが、『いずれは同じお財布になるわけですし』と優雅が出した。結婚しましょうの押しがかなり強い。ええい、今だけよ、そんなものは。

「愛菜さん」

車に乗る前に呼び止められた。振り向くと、優雅が間近に立っている。

「まだ、名前で呼んでもらっていませんね。楽しみにしているんですが」
「……ああ」

面倒くさい、というか、これ以上親しくしたくない。でも呼ばなければしつこく言われそう。

「優雅」

渋々呟く。すると、優雅がさらに一歩近づく。脚が長いので、あっという間に距離を詰められてしまった。

「もう一度」

優雅が目を細めて見下ろしてくる。

「一回、呼んだからいいでしょう?」
「ほら、唇を動かして」

優雅の左手が私の頬に触れた。右手の親指が私の下唇をふにっと押す。突然のことに驚くけれど、あまりに近くにある優雅の顔と温度に、一瞬パニックになった。逃げ方がわからない。

「あなたのものなんですから、名前で呼んでいただかないと」
「ちょっと……」
「愛菜さん」

これは、呼ばないと解放してもらえないのかしら。思えば、かなり久しぶりの男性との接触だ。私は混乱したまま、小さく名前を呼んだ。

「優雅、放して……」

優雅の表情が変わった。細められた目が一瞬、欲望に耐えるように歪み、目元がうっすら赤くなる。
その変化はごくわずかだった。すぐにいつもの取って付けたような笑顔になった優雅は私を解放し、後部座席のドアを開けた。

「大変、満足です」

運転席に乗り込みながらそんなことを言う。私はたった今までパニック状態だった自分を恥じながら、負け惜しみのように言った。

「それはよかったですね!」