カレーの香りが鼻を掠める。
コトコトと煮込みながら、完成を待ち望んでいる最中。
フッと頭の中に舞い込んだのは、休憩時間中の葵ちゃんの言葉だった。
『大ちゃんを射止めろ!ドキドキ大作戦!』
カレーができるまで、残り10分。
必死になって私の脳内は作戦の概要をありったけ並べて、葵ちゃんからのアドバイスを復唱する。
「……それにしても、美鈴が無事に合格してよかったよな〜」
何気ない会話をするのはいつものこと。
私が一人で試行錯誤していることなんて大ちゃんは気づかない。
せっかく高校生になったんだし、いい節目だから今日は一風変わった感じで攻めたい。
「大ちゃんの教え方が上手だから受かったんだよ。大ちゃんのおかげ。」
褒め言葉攻撃。
褒めれば褒めるほど、男の人は弱いって葵ちゃん言っていた。
「大ちゃんは何でもできるよね。運動だって得意だし、性格もいいし。」
……あれ?
なんか、妬んでるみたいに聞こえる…?
純粋に人を褒めることって難しい。
モクモクと胸の奥に黒い靄(もや)がかかる。
「えっと、素直に凄いと思う!大ちゃんは凄い!」
偏差値が高い高校に受かっても、この致命的な語彙力。
穴があったら入りたい。
そして私の褒め言葉に全く動じない大ちゃんを前にして、真っ向から壁にぶつかるような感覚さえ覚えてしまう。
「えーっと…その…大ちゃんは凄いから……凄い人であって……生徒会長だし…!」
あーーー…。
壊滅的な日本語に頭を抱えたくなった時…。
「いやいや、合格したのは美鈴が最後まで頑張ったからだろ? 俺も頑張ったけど、凄かったのは本番も落ち着いて取り組めた美鈴の力だ。」
「………」
「ありがとな。自分が受かった時みたいに嬉しかったよ。」
いつもそう。優しい笑い顔で、私の頭を撫でてくれる。
自己肯定感が低い私を慰めるみたいに、考えが間違っていると柔和な空気で正しい道へと手を引いてくれる。
「……大ちゃんのこと好きだよ。」
「ありがとう。俺も美鈴が好きだよ。」
そうじゃないんだよ。そうじゃない。
私だけを見て欲しい。
私のことだけを考えて欲しい。
そういう『好き』なんだよ。
「………大ちゃん、私は…!」
思い切って伝えたら、どんな顔をするかな。
驚くかな。
茶化すのかな。
それとも戸惑って、悲しむかな。
願わくば……笑って欲しい。
「私!」
息が詰まる。緊張して手が震えた。
《ガチャッ》
「大ちゃん、お邪魔しまーす!」
「お、春太。いらっしゃい。カレーもうすぐできるぞ。」
扉が開く音が聴こえると共に姿を表したのは、弟の春太。今年度、中2になった弟は学ラン姿でズカズカとリビングの椅子に座る。
「手伝えなくてごめん!明日は俺が作るよ。」
「………」
「あれ?なんか姉ちゃん元気ない?」
「べーつーにー?」
「……明らか不機嫌じゃん」
弟よ。姉の恋路を邪魔するというのか。
今回は許してやろう。
でも次やったら……。
「カレー激辛…」
「え…!今日辛口?」
「いや、春太も食べるって聞いたから甘口だけど…」
「おぉ…それならよかった」
命拾いしたな。弟よ。
私の作戦はこれで終わりじゃない。
とりあえず、今は、3人で仲良く美味しくカレーを食べよう。