契約式と昼食会は無事に終了し、泰和総研は忙しい日々を送り出すうちに夏の終りを迎える。一日を終え、帰宅した彼女は凍りついたような空間で初恋の人との記憶が走馬燈(そうまとう)のように動き出す......

晩夏に微笑みながら楚々と佇む(たたずむ)あなたの姿は霞む(かすむ)夜霧の中でより一層に麗しく、風に艶めきで葉月の終わりに慕情(ぼじょう)の初秋で出会ったあなたをそっと触れてみたくなる。今も時間をあなたと出会った場所に止めて欲しい。彼女は星空に仰ぎ、星の光が瞳に浮かべる。

彼女は冷たい星の光と向かい合い、まるで暗黒の世界に足を踏み入れたように初恋の人への思いを密かに潜める。その思いは時に水のよう淡く、そして、時に酒のよう濃く......だんだんと悲しさの色が染み込んでくる。気づければ私の心が少し足りなかったんだ。足りなかった心はほんの少しだけ、その距離はまるで身体と人の影のように近くて遠い。

彼女はベッドの中で膝を抱えたまま横になり、「あの人」の事を思い出した。毎晩寝る時、いつも優しく、彼は私の背中を抱いてくれた。彼の事を思い出す度に涙が溢れた私は、彼との思い出の揺り籠で目を閉じる。彼女の無垢(むく)な魂は静寂(しじま)な道で未来へ進むが、今、布団の中に隠れている不安で複雑な彼女は自分自身の気持ちに再び嘘をつきたくて、感情をなくしたい。

翌朝、カーテンの隙間から射す光で目が覚めた。枕は涙で濡れていた。「あの人」はいつも朝食を用意していた。もしかしたら、彼女は淡い期待を込めてリビングに向かうが彼の姿は何処にも無かった。

彼女はいつものように一人で朝食を作った。向かい合わせのテーブルに彼の姿はない。いつものように珈琲を淹れて、レコードに針を落とす。

「あの人」の好きな音楽。

彼の音楽の趣味はゆっくりなテンポにマイナー調な曲が好きだった。改めて感じてみると切ないポエムのようなメロディが部屋に溶け込んでいる......
寂しげな、でもどこか落ち着く音楽に包まれながら彼女は読みかけの小説を手に取った。

しばらくすると、玄関に足音が近づいて来た。
「あの人」の訳がない。分かっていても彼が戻るのを期待している自分がいる。

インターホンが鳴る。

配達員だった。

ほんの少しの期待が失意に変わった瞬間だったが、彼との出会いはとても美しいだからこそ、心が折れても誰かのせいにしない。涙が溢れても心が灰になっても構わない、と彼女はそう思った。

鬱になりそうな朝、いつものよう朝ランニングに出掛けた彼女は気づいた。毎日すれ違う二十代前半の女性が今日はいなかった。彼女は心配しながら女性の家近くまできて、三台大きなトラックがマンションの前に止まっている。引っ越しかぁ......知らないふりをした彼女は振り向くと百日紅が目に入り、いつのまにか、彼女は季節の変わり目に興味を持ち始めた。これからは、一人の浪漫な季節がやってくる。