「王太子殿下、王太子妃殿下!」
「おめでとうございます!」
「なんてお綺麗なのかしら!」
「両殿下、万歳!」
「万歳!」
最後の日と同じような民衆の叫びの嵐の中で、けれども制反対の祝福の声ばかりがあふれるこの国で、私とクロエの成婚パレードは恙なく執り行われた。
慶び、希望、羨望、祝福。良い意味での熱狂に取り囲まれながら私たちの馬車は大通りをゆっくりゆっくり進んでいく。
「ねえ、リシャール様、ご覧になって。あの女の子のお洋服とても素敵、きっと今日のためにあつらえてくださったのね」
「あの男の子もきっとそうだな。隣にいるのがご両親だろう」
「わたくしたちのことなのに、とても幸せそうに笑ってくださるのね」
「それは君が、この国に愛されているからだろう」
学び舎に通い、王大使妃教育も王妃教育も完璧にこなすクロエはやはりいつみても失敗などしなかった。字を書き損じず、計算を間違わず、カトラリーは落とさず、足音を立てず、優雅に微笑み続けまさに淑女として理想的な振る舞いとその頭脳を見せつけた。
宮仕えの者たちは口々にクロエを褒めたたえた。幼いころから聡明でした、ご立派になられて、これでこそ国母です、クロエ殿下でしかありえません、王太子と王太子妃に仕えられることこそ最高の誉れです。
賛美の嵐は貴族に広がり、そして徐々に悪辣な者たちを飲み込んだ。私とクロエはどんな時も行動を共にし、二人の愛が真実のものだと周りに見せしらしめた。
せめて側妃や愛妾でもいいからと自らの娘たちを仕向けてきた一部の欲深い貴族たちも、その娘に「あんなのに適うわけがない」とヒステリックに叫ばれてはあきらめざるを得なかったのだろう、とは執事長の弁だが。
いつからか、クロエの意見に父……国王が耳を傾けるようになった。
賢いこの国王はクロエの言うことを聞いたほうがよいのだとすぐに気が付いたらしい。わが父とわが婚約者ながらとてもではないが追いつけそうもなくていっそ笑ってしまうほどだった。
クロエがこの国を好いてくれてよかった。あの業火や、剣戟や、怨嗟の絶叫に彼女が魂を侵されていなくて本当によかった。また笑ってくれてよかった。彼女が世界を愛していれば、それだけで人々は豊かになることを約束されるのだ。
なんせ、彼女は本物の聖女なのだから。
教会に着き馬車から降りる。このあと彼女はドレスを着替えるのでしばしの別れとなる。通常、男は衣装を変えることなどないのだが、折角だからこれからは男も衣装を変えて花嫁の目を楽しませるべきではないかと進言したら父も大公もとても楽しそうにうなずいた。
妻を愛する二人だからこそ、花嫁を楽しませようという私の言い方を気に入ったに違いなかった。
「兄上、よくお似合いです」
「ありがとうロラン。お前の結婚式でも同じ型のものを作らせよう」
「それは光栄ですが、いつになるか」
「……もし、お前が一人を貫こうとも、年も身分も違う相手を愛そうとも、あるいは同性であっても、私は常にお前を支持する。だから気楽に考えてくれ」
「……ええ、はい。いつかきっと、そのときは。頼りにしています」
一足先に聖堂へ向かい、真っ赤な一本道を神父の前まで進む。
「殿下に祝福を」とほほ笑む神父も昔から世話になっている敬虔な信徒だ。クロエの信心深さに理解を示すことができる、此方での本物の聖人の一人。
私も、彼のようになりたかった、。間違わず、清らかに、美しくありたかった。そしたら死が我らを分かつ日など永遠にこないのにとさえ思う。
だがわかる。こんな考えがもうすでに聖人にはなれない一つの理由であることを。アリスタは、クロエは決してこんな自分本位に考えたりしないのだということを。
今日ここで、この場で、再度天上の父たちに誓う。私の名において、きっとクロエを、今度こそ私が1秒だけ長生きをして、きっと彼女を看取るのだと。最期の日まで笑い続けて、ともに虹の橋を渡るのだ。そのために幸せに生きなくてはいけないのだと。
もう二度と、彼女にあんな顔をさせないように。
蝶番のきしむ音がして振り返る。目もくらむような光の中で、天使のような少女が凛とたたずんでいる。隣では大公がすでに顔をくしゃくしゃとゆがめており、クロエが腕に手をかけると唇をかみしめて前を向いた。
前世でも見た。国王との婚礼のとき、同じように真っ白なドレスを身にまとい、微笑みながら、でも少しだけ、私を見て顔を歪め、私ではないものに嫁いでいった彼女を。
私が愛し、守り、忠義をささげた、あの女王を。
ああ、今度はその彼女の行き着く先にこそ私が立っている。彼女と笑い、手をとり、同じ速度で、同じ場所で、ともに生きていくのだと。
「大公、私は必ず、かならずクロエを、大公夫人がうらやむほど幸せにしてみせます」
「はっはっは、豪気なことだ。私も負けていられない。……クロエ」
「はい」
「お前を守ってくださるこの方を、お前のすべてをもって愛し、支えあっていきなさい」
「はい、お父様。約束です」
振り向いて神父のほうを向けば神父もすでに泣きそうな顔をして目頭を押さえている。笑って声をかければ慌てたように咳ばらいをした。
「汝らは、神の聖名において、病める時も健やかなるときも、これを愛し、敬い、永遠の愛を約束すると誓うか」
「はい」
「誓います」
向き合って彼女のベールをそっと持ち上げる。やっと視界が鮮明になったらしい彼女は私の変えた衣装と髪形を見て小さな声で「ルネ」とつぶやいて目を見開いた。
「なんだ、知っていたのか。この服と髪形は私がデザインしたんだがその名前をルネにした。ロランに聞いたのか?」
「あっ、ええと、ええ、そうだったと……思いますわ」
慌てたようにそう取り繕う彼女に少しだけ懐かしさを覚える。聡明な彼女でも、慌てると唇を舐めてから話し出す癖がある。今も、昔も。
クロエ。そしてアリスタ。私は自分がそうであると、直接告げることはこれから先ないが、それでもどこかで何かがつながっているのかもと君に思わせることはできるだろう。
それがささやかな、私のいたずら心だと笑って受け入れてくれればいいのだが。
「君のその髪型と、ドレスも私が進言した。オートクチュールのマダムが張り切って縫ってくれた。頼んだ甲斐があったというものだ」
「ええ、こんな、美しいものをリシャール様にいただけたことを光栄に、誇りに思います。わたくしのものにも名前がありますの?」
「アリスタ」
彼女がその大きな目にいっぱいの涙を浮かべ、あふれ出た水晶はその滑らかな頬を伝ってプルメリアのブーケに輝きをもたらしていく。
まだ誓っていないのに、そのまえからこんなに泣かせてしまっては。参列客は私を見つめたまま泣いているクロエにおやおや、あらあらと楽しそうな顔をした。
「アリスタという。私はこの美しい名前が好きなんだ。気に入ってくれたか?」
「はい、はい……はい、殿下。ルネも、よく、お似合いですわ」
騎士だったときの私の正装を模したこの格好に、誰かが気づくことはない。
彼女が分かればそれでいい。彼女に記憶がないのだとしても、琴線に触れる可能性があればそれでいい。それだけでいい。「ルネ」と「アリスタ」。それを口にする機会が訪れるようにすればいい。
この国のものが「ルネ」と「アリスタ」の婚礼がよきものだったと口にして……いやそれは少々高望みしすぎだろうか。
「クロエ、父たちに、私はきみへの永遠の愛を誓う。いまも、いつの世も」
「はいリシャール様。このクロエ、あなた様の隣で、ずっとずっと、この敬愛を捧げさせてくださいませ」
彼女にそっとキスを落とすと聖堂は割れるような拍手の洪水となり、外まで響いては外からも重ねて祝福の雨が降る。
クロエ、きみが何も知らなくとも私だけは君を覚えていよう。初めて出会った日を、愛しくおもった時を、手放さないと誓ったその時を。誰が疎み、誰が忘れ、いつかこの世からすべてがなくなろうとしても、ほかならぬこの私がずっとずっと覚えている。
手をとりあい、そして前を向こう。
私たちの歴史が、ここから始まっていくのだから。
「おめでとうございます!」
「なんてお綺麗なのかしら!」
「両殿下、万歳!」
「万歳!」
最後の日と同じような民衆の叫びの嵐の中で、けれども制反対の祝福の声ばかりがあふれるこの国で、私とクロエの成婚パレードは恙なく執り行われた。
慶び、希望、羨望、祝福。良い意味での熱狂に取り囲まれながら私たちの馬車は大通りをゆっくりゆっくり進んでいく。
「ねえ、リシャール様、ご覧になって。あの女の子のお洋服とても素敵、きっと今日のためにあつらえてくださったのね」
「あの男の子もきっとそうだな。隣にいるのがご両親だろう」
「わたくしたちのことなのに、とても幸せそうに笑ってくださるのね」
「それは君が、この国に愛されているからだろう」
学び舎に通い、王大使妃教育も王妃教育も完璧にこなすクロエはやはりいつみても失敗などしなかった。字を書き損じず、計算を間違わず、カトラリーは落とさず、足音を立てず、優雅に微笑み続けまさに淑女として理想的な振る舞いとその頭脳を見せつけた。
宮仕えの者たちは口々にクロエを褒めたたえた。幼いころから聡明でした、ご立派になられて、これでこそ国母です、クロエ殿下でしかありえません、王太子と王太子妃に仕えられることこそ最高の誉れです。
賛美の嵐は貴族に広がり、そして徐々に悪辣な者たちを飲み込んだ。私とクロエはどんな時も行動を共にし、二人の愛が真実のものだと周りに見せしらしめた。
せめて側妃や愛妾でもいいからと自らの娘たちを仕向けてきた一部の欲深い貴族たちも、その娘に「あんなのに適うわけがない」とヒステリックに叫ばれてはあきらめざるを得なかったのだろう、とは執事長の弁だが。
いつからか、クロエの意見に父……国王が耳を傾けるようになった。
賢いこの国王はクロエの言うことを聞いたほうがよいのだとすぐに気が付いたらしい。わが父とわが婚約者ながらとてもではないが追いつけそうもなくていっそ笑ってしまうほどだった。
クロエがこの国を好いてくれてよかった。あの業火や、剣戟や、怨嗟の絶叫に彼女が魂を侵されていなくて本当によかった。また笑ってくれてよかった。彼女が世界を愛していれば、それだけで人々は豊かになることを約束されるのだ。
なんせ、彼女は本物の聖女なのだから。
教会に着き馬車から降りる。このあと彼女はドレスを着替えるのでしばしの別れとなる。通常、男は衣装を変えることなどないのだが、折角だからこれからは男も衣装を変えて花嫁の目を楽しませるべきではないかと進言したら父も大公もとても楽しそうにうなずいた。
妻を愛する二人だからこそ、花嫁を楽しませようという私の言い方を気に入ったに違いなかった。
「兄上、よくお似合いです」
「ありがとうロラン。お前の結婚式でも同じ型のものを作らせよう」
「それは光栄ですが、いつになるか」
「……もし、お前が一人を貫こうとも、年も身分も違う相手を愛そうとも、あるいは同性であっても、私は常にお前を支持する。だから気楽に考えてくれ」
「……ええ、はい。いつかきっと、そのときは。頼りにしています」
一足先に聖堂へ向かい、真っ赤な一本道を神父の前まで進む。
「殿下に祝福を」とほほ笑む神父も昔から世話になっている敬虔な信徒だ。クロエの信心深さに理解を示すことができる、此方での本物の聖人の一人。
私も、彼のようになりたかった、。間違わず、清らかに、美しくありたかった。そしたら死が我らを分かつ日など永遠にこないのにとさえ思う。
だがわかる。こんな考えがもうすでに聖人にはなれない一つの理由であることを。アリスタは、クロエは決してこんな自分本位に考えたりしないのだということを。
今日ここで、この場で、再度天上の父たちに誓う。私の名において、きっとクロエを、今度こそ私が1秒だけ長生きをして、きっと彼女を看取るのだと。最期の日まで笑い続けて、ともに虹の橋を渡るのだ。そのために幸せに生きなくてはいけないのだと。
もう二度と、彼女にあんな顔をさせないように。
蝶番のきしむ音がして振り返る。目もくらむような光の中で、天使のような少女が凛とたたずんでいる。隣では大公がすでに顔をくしゃくしゃとゆがめており、クロエが腕に手をかけると唇をかみしめて前を向いた。
前世でも見た。国王との婚礼のとき、同じように真っ白なドレスを身にまとい、微笑みながら、でも少しだけ、私を見て顔を歪め、私ではないものに嫁いでいった彼女を。
私が愛し、守り、忠義をささげた、あの女王を。
ああ、今度はその彼女の行き着く先にこそ私が立っている。彼女と笑い、手をとり、同じ速度で、同じ場所で、ともに生きていくのだと。
「大公、私は必ず、かならずクロエを、大公夫人がうらやむほど幸せにしてみせます」
「はっはっは、豪気なことだ。私も負けていられない。……クロエ」
「はい」
「お前を守ってくださるこの方を、お前のすべてをもって愛し、支えあっていきなさい」
「はい、お父様。約束です」
振り向いて神父のほうを向けば神父もすでに泣きそうな顔をして目頭を押さえている。笑って声をかければ慌てたように咳ばらいをした。
「汝らは、神の聖名において、病める時も健やかなるときも、これを愛し、敬い、永遠の愛を約束すると誓うか」
「はい」
「誓います」
向き合って彼女のベールをそっと持ち上げる。やっと視界が鮮明になったらしい彼女は私の変えた衣装と髪形を見て小さな声で「ルネ」とつぶやいて目を見開いた。
「なんだ、知っていたのか。この服と髪形は私がデザインしたんだがその名前をルネにした。ロランに聞いたのか?」
「あっ、ええと、ええ、そうだったと……思いますわ」
慌てたようにそう取り繕う彼女に少しだけ懐かしさを覚える。聡明な彼女でも、慌てると唇を舐めてから話し出す癖がある。今も、昔も。
クロエ。そしてアリスタ。私は自分がそうであると、直接告げることはこれから先ないが、それでもどこかで何かがつながっているのかもと君に思わせることはできるだろう。
それがささやかな、私のいたずら心だと笑って受け入れてくれればいいのだが。
「君のその髪型と、ドレスも私が進言した。オートクチュールのマダムが張り切って縫ってくれた。頼んだ甲斐があったというものだ」
「ええ、こんな、美しいものをリシャール様にいただけたことを光栄に、誇りに思います。わたくしのものにも名前がありますの?」
「アリスタ」
彼女がその大きな目にいっぱいの涙を浮かべ、あふれ出た水晶はその滑らかな頬を伝ってプルメリアのブーケに輝きをもたらしていく。
まだ誓っていないのに、そのまえからこんなに泣かせてしまっては。参列客は私を見つめたまま泣いているクロエにおやおや、あらあらと楽しそうな顔をした。
「アリスタという。私はこの美しい名前が好きなんだ。気に入ってくれたか?」
「はい、はい……はい、殿下。ルネも、よく、お似合いですわ」
騎士だったときの私の正装を模したこの格好に、誰かが気づくことはない。
彼女が分かればそれでいい。彼女に記憶がないのだとしても、琴線に触れる可能性があればそれでいい。それだけでいい。「ルネ」と「アリスタ」。それを口にする機会が訪れるようにすればいい。
この国のものが「ルネ」と「アリスタ」の婚礼がよきものだったと口にして……いやそれは少々高望みしすぎだろうか。
「クロエ、父たちに、私はきみへの永遠の愛を誓う。いまも、いつの世も」
「はいリシャール様。このクロエ、あなた様の隣で、ずっとずっと、この敬愛を捧げさせてくださいませ」
彼女にそっとキスを落とすと聖堂は割れるような拍手の洪水となり、外まで響いては外からも重ねて祝福の雨が降る。
クロエ、きみが何も知らなくとも私だけは君を覚えていよう。初めて出会った日を、愛しくおもった時を、手放さないと誓ったその時を。誰が疎み、誰が忘れ、いつかこの世からすべてがなくなろうとしても、ほかならぬこの私がずっとずっと覚えている。
手をとりあい、そして前を向こう。
私たちの歴史が、ここから始まっていくのだから。