いつの間にか、君に恋していたんだ。



連絡先……輝楽さんの?


「あの、何で?」


「いることになるかもしれないからね。お互い持っておいて損はないと思うけど」


「確かにそうですね。でも、本当にいいんですか?あなたの嫌いな“女”ですよ?」


「確かに嫌いだけど、伊鳥ちゃんのことは別に嫌いじゃないよ」


そう言った後、輝楽さんは少し顔を背けた。


嫌いじゃない……その言葉が私には本当に嬉しい。


だって、私を認めてもらえたような気がしたから。


昨日よりももっと。


「そうですか。なら、交換したいです」


スマホを取り出して、連絡先を交換した。


お父さん、裕美さん達、由香ちゃん、中学の友達、太陽君の次に並ぶ神崎輝楽の文字。


登録した人は少ないから、増えて嬉しい。


「交換終了。じゃあね、伊鳥ちゃん」


「はい、また」


靴を履いて、マンションを出た。


よかった、嬉しい……


私はその帰り道ご機嫌だった。






家の前に着いてしまって、せっかくいい気分だったのが急降下。


はぁ、憂鬱……


それでも入らないわけにはいかないから、意を決して中に入った。


その瞬間に目に入った男物の靴。


お父さんが帰ってきてるんだ……


っていうことは今日は……





「あら、おかえりなさい。伊鳥」


「おかえり、伊鳥」


「伊鳥、おかえり」


優しい裕美さん達。


でも、それはお父さんが帰ってきてるから。


「ただいま」


顔、引きつってないよね……?


そう思いながら、笑顔を作る。


「今日は伊鳥の好きなスパゲッティよ。食べて」


にっこりと笑う裕美さん。


いつもなら、そんな笑顔を私に向けてくれることはないのに……


「嬉しいな。ありがとう、裕美さん」


私はなるべく頑張って笑顔を作って、明るい声を出した。


普段、家で笑うことはないから、家では表情筋を使うことがないんだよね。


だから、ちゃんと笑えてるか心配。


笑えてる、よね?


「裕美さんじゃなくて、お母さんと呼んでくれてもいいのよ?」


今度はにっこりと笑った顔が怖い。


ちょっと返答に困るな……


「うん、そうだね」


適当に返して、それだけは避けた。


私のお母さんは、生涯にたった1人。


それ以外の人をお母さんなんて思わない。


ましてや、裕美さんのことをお母さんと思うなんて……絶対に無理。


敬語だけでも今は取れてるから、それで勘弁してほしい。


「それにしても、伊鳥遅かったな。部活でも入ってるのか?」


「ううん、そうじゃなくて。お父さんには言ってなかったけど、昨日から神崎君という友達の家の家事をすることになったの。神崎君のお母さんが今旅行でいないらしくて」


「なるほど、そういうことか」





お父さんは納得してるみたいだけど、奈々美さんの視線が痛い。


「太陽君や輝楽さんと仲良くなったのね。よかったじゃない」


「うん」


奈々美さんは友好的に話しかけてくるけど、目が笑ってない。


怖い……


内心ちょっと冷や汗をかいていると、


「ほんと仲良くなったな」


そんな表面的な私達を見て、お父さんは嬉しそうな声でそう言った。


違うのに……


そんな顔を見ながら、私は思わず思ってしまった。


裕美さん達が優しいのは、お父さんの前でだけだよ。


お父さんがいなくなった瞬間、意地悪な裕美さん達が帰ってくる。


これはただのその場しのぎにしかならない。


ても、こんなこと言えないから。


お父さんの前では、私も明るく接する。


心配かけたくないから。


でも、やっぱり時々限界を感じてしまいそうになることがあるんだ。


「スパゲッティ、できたわよ」


それでも頑張って、私は偽りの仮面を被り続ける。


どうせ、お父さんがいなくなってからが地獄だけど、しょうがない。


こっちの方がマシだけど、神経はすり減らされる。


裕美さん達も一緒。


明日はきっと酷いんだろうな。


裕美さんの作ってくれたスパゲッティを見ながら、ぼんやり思う。


嬉しいことと嫌なこと、いろんなことがあった1日だった。





太陽君の家で家事をし始めてから、初の休日。


「早く、洗濯物干してよ!」


「掃除ももっと綺麗にしなさい!」


あれこれ命令される。


まるで、シンデレラみたい。


正直、平日よりも休日の方が辛い。


だって、裕美さん達といる時間がより長いから。


「はい、分かりました」


でも、特に反論はできなかった。


結局弱いままの私。


すぐに言われたことをこなした。


もうそれが私の癖になっていたんだ。


家事を完璧にこなす、それが私のここでの仕事だから。


それらが全て終わったタイミングで、太陽君からラインが来た。


【今から、俺達の家に来て!それと、スケッチブックを持って来て!】


スケッチブック……?


どうしてスケッチブックを持っていかなきゃいけないんだろうと思ったけど、迷う余地はなかった。


口実ができた……!


「全部終わりました。神崎君の家に来てってラインが来たので、今から行ってきます。昼ご飯はすみませんけど、裕美さんが作ってください。その代わり、夜は豪華にしますから」
  

「分かったわ。じゃあ、今夜は私と奈々美の好きな物を作ってもらうから」


「輝楽さんのとこ行くのね。この前言ったこと忘れないでよ?」


「はい。じゃあ、行ってきます」   


一応、一言言ってから家を出た。


スケッチブックをちゃんと持って。


何に使うのか分からないけど、必要なんだよね。   


向かっていると、その途中で……





「あれ、伊鳥ちゃん?」


「きー、ちゃん」


中学生の時の同級生に会った。


きーちゃんは相変わらず美人で、由香ちゃんにも劣らないくらい。


前と比べると大人っぽくなってるけど、面影は変わらない。


懐かしさを感じると同時に、後ろめたさも感じた。


「久しぶりだね!元気だった?」


「うん。きーちゃんも元気だった?」


「うん、もちろん!」


こうして普通に接してくれるけど、何でこんなにも普通に接してくれるのか分からない。


私のせいであんなことになったのに……


「ねぇ、きーちゃんは……美術部の皆は私を恨んでないの?」


「恨む?どうして?」


「だって、私のせいで美術部は潰れてしまったのに……」


ずっとそう思ってきた。


その心苦しさから、私は高校生になっても美術部には入らなかった。


入ろうと思えなかった。


「それは伊鳥ちゃんのせいじゃない。自分を責めないで。悪いのは、伊鳥ちゃんのお姉さんと咲ちゃんと頼君のせいなんだから」 


久しぶりに聞いた名前にドキッとした。


途端に胸が苦しくなる。


裏切られたことを思い出してしまったから。


「ありがとう、庇ってくれて」


「美術部の皆そう思ってるよ。だから、お礼なんていいから。あ、そうだ。明日、同窓会があるんだけど行かない?咲ちゃんと頼君は来ないよ」








その2人が来ないんだったら、行こうかな。 


もう逃げたくないし。


「うん、行くよ」


「やった!待ってるからね。きっと皆喜ぶよ!特に男子は」


「私なんかが来ても喜ばないと思うよ?」


私は自慢じゃないけど、クラスの中心人物じゃなかった。


確かに、だいたいの人とは仲良くしてたけど、好かれてはないと思う。


中学生の時は、とても充実してたけどね。


「何言ってるの!絶対喜ぶから!女子でも伊鳥ちゃんのこと好きだって人多いんだよ!?男子なんて、ほとんどの人が伊鳥ちゃんのこと好きだったんだから!」


「そんなわけないよ」


女の子はともかく、男の子まで私を好きになるわけない。


私より咲の方が……


思い出して、また辛くなった。


目の前のきーちゃんの前でそんな顔するわけにもいかないから、なるべく顔に出さないようにしてたけど……


「もう相変わらず鈍いなぁ。無自覚にもほどがあるよ……」


「何て言ったの?」


「ううん、何でも」


小さく呟かれたから、聞こえなかった。


聞き返しても教えてくれなかったけど……


「それより、さっきから辛そうな顔してるけど……もしかしてら裏切られた時のことを思い出しちゃったの?」




隠しきれてなかったみたい。


きーちゃんが心配そうな顔をして聞いてくる。


「うん、ちょっとね。でも、大丈夫だから」


無理矢理浮かべた笑顔。


きっとそれにきーちゃんは気づいていたと思うけど、気づかないふりをしてくれた。


「そっか。気にしないようにね。じゃあ、また明日会おうね!」


「うん、また明日!」


きーちゃんは優しい言葉をかけてくれて、反対方向へ。


私も太陽君の家へと向かった。


少し遅くなっちゃったけど、あっという間に太陽君の家に着いていた。


階段で上がって、太陽君達がいる8階につく。


ドアホンを鳴らすと、はーいという声と共にドアが開いた。


「あ、伊鳥!」


開けてくれたのは、太陽君。


にこにこ笑って出迎えてくれた。


「おはよう」


「おはよう!さぁ、中に入って!」


お邪魔しますと言って、中に入ると輝楽さんがいた。


軽く頭を下げると、少しだけ笑いかけてくれた。


輝楽さんは少しずつ私に慣れてきてくれてると思う。


最初は嫌そうな顔をされたし。


まぁ、完全に慣れたとはいえないと思うけど……


「あれ?輝楽兄が笑ってる!?伊鳥、何したの!?」




「別に伊鳥ちゃんは何もしてない。俺の伊鳥ちゃんに対する評価が変わっただけ」


「えっ、それがすごいと思うけど!?まぁ、伊鳥の性格の良さだな!!」


すごく嬉しそうな顔の太陽君に苦笑いを浮かべた。


私は性格よくないのにね。


でも、評価が変わったって……いい方向にだよね?


悪い方向だったら、嫌だなぁ……


「あ、伊鳥。スケッチブック持ってきた?」


「うん、持ってきたけど……何するの?」


鞄の中からスケッチブックを取り出して、見せる。


「もちろん、伊鳥に絵を描いてもらうんだよ!」


「絵を?」


「そう!伊鳥、前に言ってたじゃん!人物画描きたいって」
  

確かに、前太陽君にそんなこと言った覚えがあるけど……よく覚えてるね。


あんな会話、忘れられてもおかしくないのに……


「へぇ、伊鳥ちゃんって絵を描くの得意なんだ?」


「えっ、あ。得意っていうか、好きなんです。絵を描くのが。でも、そこまで上手じゃないので」


「はっ、あれで!?初めて会った時に見せてもらったけど、めっちゃ上手かったよ!俺、絵が下手だし、絵のこととか全然分かんないけど」


太陽君の言葉は嬉しいけど、私は本当に上手じゃない。




私より上手い人なんてたくさんいるし、すごくいい賞が取れたのは、1回だけ。


私より上手い人なんてたくさんいる。


あの時のことを思いだそうとすると、辛くなる。苦しくなる。


嬉しすぎてずっと上の空で、周りが見えてなかった私を思い出すことだから。


「伊鳥?」


「あっ、ううん。あの、人物画って太陽君を描いてもいいってこと?」


「あぁ、もちろん!むしろ、描いてほしい!」


「ありがとう。描かせてもらうね」


このことを思い出してしまったら、きっと顔に出てしまう。


それを今は思い出さないためにも、描かなくちゃ。


鉛筆を持ってきてなかったかはら鉛筆を借りて、準備OK。


「太陽君、椅子に座って」


「分かった!」


太陽君に椅子に座ってもらって、私は描き始めた。


その時、輝楽さんは私の横でスケッチブックを見てる。

  
見られるの恥ずかしいけど、なるべく気にしないようにして……


じっと観察するけど……やっぱり、太陽君は整ってるなって思う。


全部が整っていて、女の子があんなに騒ぐ理由が分かる。


それは、輝楽さんにも言えることだけど……