ふたたびタクシーがトンネルに入り、防護板に自分の顔が映る。
 二次会でも三次回でも泣いてしまったので、目尻のアイラインと下まぶたのアイシャドウはボロボロだ。
 泣いてしまった時の感謝や感動、そして寂しさを思い出し、また涙が溢れてきた。洟をすすると頂いた花束の香りがして、余計に胸に沁みる。
 退職するのがこんなに寂しいなんて、知らなかった。
 私がまた泣きだしたことに気づいた彼が、無言で私の手を握る。
 そうとは言わないけれど、こういうところが大好きだ。
「たっちゃん」
「ん?」
「私、SK企画に勤めてよかった」
 これまでにも辞めたいと思ったことがなかったわけじゃない。この会社クソだなと思うことも、3日に1回くらいはあった。けれど、本当に楽しかった。
「そうだな。たまにこの会社クソだなって思うこともあるけど」
「私も今、同じこと考えてた」
 ふたりで笑いながら、手をキュッと握る。
 これからもこうして触れ合える距離にいられることになってよかった。
「俺さ、毎週京都に通うつもりだったんだよ。もちろん愛華に会うために」
「毎週? いやいや、毎週は無理でしょ。新幹線高いし」
「片道ざっくり1万5千円、月4往復で12万? 全然不可能じゃねーなって」
 そりゃあ彼の給料なら不可能ではないだろうけれど。
「だから俺、来年度の個人予算、月に12万浮いたんだわ」
「じゅうにまん……」
 もはや浮いたというレベルの金額ではないような気がする。
「それで、ちょっと提案なんだけど」
「うん」
「どうせ引っ越すなら、一緒に住まない?」
 思ってもみなかった提案に驚いて、彼の方を見た。
 さっきまで窓の方を向いていた彼は、しっかりと私を見つめている。
「毎日一緒にいよう。俺、おまえと会えない日がつまらなくて、死にそうなんだ」
 うん、と言おうとして、私はまた涙を流してしまった。
 代わりに何度も頷き、彼の手を力いっぱい握りしめる。
 タクシーの中でハグもキスもできないことが、ものすごくもどかしい。
「はは、今日はよく泣くなぁ」
「うるさい。これからは毎日笑わせて」
「善処します」
 私の自宅まで、あともう少し。
 このあと私たちはとびきり甘い夜を……過ごすつもりが、また些細なことでケンカしては仲直りをする、私たちらしい夜を過ごしたのは言うまでもない。

 ここまでが私こと沼田愛華と、のちに夫となる青木達也との、いわゆる馴れ初めというやつである。

fin.