いつも到着10分前になると目覚めるみくる。
『もうすぐ着くよ』
『はぁ~い』
外はいつの間にか明るくなっていて、
目的地に到着するとすぐに準備を始める。
まだ寝ぼけながら重たい荷物を受け取った時、
よろけて転びそうになったみくるの体と荷物を
誰かが咄嗟に支えて受け止めてくれた。
『みくるちゃん!大丈夫!?』
慌てて駆け寄る蘭子の声。
『危ないだろ!検査器具は大事に扱え!』
『ごめんさなぃ!!』
受け止めてくれた誰かの怒る声……この声って……
ふと横を見て、みくるは驚いた。
『ぇ!!ま、聖人さん!!』
『ぉ、お前!!みるくだっけ!?』
『あれ?もしかして今日から来てくれる先生ですか?………みくるちゃん、お知り合いなの?』
『ん?………夢かなぁ……』
みくるの頭は軽く混乱していた。
『夢じゃねぇーよ!』
聖人はみくるの頭を優しくコツンとして、
重たい荷物を奪った。
『はじめまして、医師の柊聖人です。
これ、向こうに運べばいいですか?』
『看護師の杉本蘭子です。
すみません!あちらでお願いします』
2人のやり取りをポカンと見ながら、
みくるはまだ夢の中にいるようだった。
(新しい先生が聖人さんだったなんて。
……やっぱり……聖人さんは私の救世主なんだ!)
『みくるちゃん、柊先生と知り合いなら良かった!今日は1日先生とペアだから心配だったんだけど、大丈夫そうね』
『はぁ~い!!』
『えっ!?こいつとペア……マジか…』
『先生!大事な大事なみくるちゃんですので、
取り扱いには十分注意してくださいね!!』
『大事な??え、どういう事ですか!?』
不適な笑みを浮かべた蘭子は、みくるを聖人に
託し自分の持ち場へ行ってしまった。
部屋には視力検査担当のみくると、
診察の聖人2人きり……
『ふふふぅ~~』
『何笑ってんだよ!』
『だって、また会えると思わなかったから。
しかもこんなに早く』
『俺はまたお前に会ってしまってがっかりだよ』
『お前じゃないです!!みくるです!!
どうしてがっかりなんですか??』
『みる、みく、言いづらいな……あ!ミルク!!
お前ミルクでいいだろ?その方が言いやすいわ』
『ミルク…牛乳?…はい!!ミルクです!!』
『ははっ、変な奴。』
『これは見えますか??』
『上』
『じゃ~~これは??』
『う~~ん左かなぁ』
『おし~い!下でしたぁ!』
『ハハッ!君の視力検査面白いね』
『それじゃ~これは!!』
『あぁ~~右!?』
『ざんね~ん!左でしたぁ!視力検査の次は
あそこにいる素敵なお医者さんの診察
受けてくださいね~』
『ミルク!!真面目にやりなさい!!』
パーテーションの奥から聖人のお叱りの声が
聞こえる。
『は~い!』
それでもみくるは、いつもより楽しそうに仕事を
していた。
『あは。怒られちゃったね』
『大丈夫です。本当は優しいお医者さんなので』
『じゃあ優しいお医者さんの診察受けてくるよ』
『いってらっしゃ~い!』
『ぅあぁ~~連続80人診察はきっついなぁ…』
パーテーションの向こうから唸るような聖人の声が聞こえて、みくるはすぐさま駆け寄る。
『お疲れ様です!はい!これど~ぞ』
『あ?なんだ?飴?』
『疲れた時は甘いものですよ』
『俺あんまり甘いもの好きじゃないんだけど』
『え………いちご飴……美味しいのに…』
元気いっぱいの笑顔から、急にこの世の終わり
みたいな表情に変わり、聖人はまた自分優位の流れを乱されてしまう。
『ぁあっ…わ、わかったょ!美味しいんだろ!』
聖人は慌てて包みを開けると、飴が床に落ちてしまった。
『わぁ!!………(ヤバイ…)』
するとみくるは無言でティッシュを取り出し、
しゃがみこんで飴を拾い、うつむいている。
『ミルク…ごめん………もう1つ、くれるか?』
聖人もしゃがんでみくるを覗き込むと、
顔をあげたみくるは先程の笑顔に戻り、
ポシェットから飴を取り出し聖人にあげた。
『はい!!』
他人の感情に振り回されるなんて、今まで1度も
経験した事のなかった聖人は、ガラスのような
みくるの心にヒヤヒヤしながら不思議な感情に
陥っていた。
後片付けをして、荷物をバスへ戻していた。
『ミルク、落とすなよ!』
『はぁ~い!!聖人さん!!』
『はぁ~い!って、伸ばすの止めろ!
それから名前じゃなくて先生って呼べ!』
『はぃ!!せんせ!!』
『よしっ!』
2人のやり取りを見ていた健診メンバーは、
出来上がっている師弟関係に驚きながらも
思わず笑ってしまった。
『蘭子さん、あの2人って知り合いだったんですか??』
『らしいわよ。みくるちゃんがハキハキ楽しそうにしてる姿、初めて見たわ!』
『柊先生って、みくるちゃんにあんな態度取ってるけど、院長の娘だって知ってるんですかね?』
『いやぁ~どうだろぅ……確かにキツイというか
冷たいというか……まぁ仕事は出来そうだから
良かったわ』
『ただいまぁ…………あれ?ぉ母さん、仲直りしたのかな…』
みくるが家に帰ると、母の姿はもうなかった。
母はとっても気まぐれな人。
『明日病院で会えるから、いっか………
なんか…寂しいな………』
1日中気分が陽気になって、ドキドキして……
こんな気持ちは初めてだった。
けれど、家に帰ると急に寂しくなったみくるは
1人屋上へ向かった。
フェンスを乗り越えたけれど、いつもより手前で腰を下ろした。
昨日聖人に怒られたばかりだから。
『はぁぁ……今日も生きてたなぁ…』
みくるはいつも、惨めで情けない自分に対して
劣等感を抱いていた。
私、生きてていいのかな………
そんな事を考えてしまう時は屋上に行き
風に当たりながら綺麗な夜景を見ていると、
心が落ち着いた。
『今度はいつ会えるかなぁ……
聖人さんは、私になんて……会いたくないか…』
今日は月に1度のみくるの定期検診。
1階の健診センターの前で母の迎えを待っていると、職場の人達が声をかけてくれる。
『みくるちゃん、病院?』
『はい。もうすぐお母さんが迎えに…』
するとそこへ、ピカピカの高級外車で颯爽と
現れた母は窓を開けてみんなにご挨拶。
『みんな元気~??お仕事頑張ってね~!
ほらっ、みくる!早く乗って!』
みくるを乗せると車は病院へ向かった。
病院へ着いても、みくるは次々とすれ違う人達に声をかけられる。
『みくるちゃん、こんにちは』
『診察頑張ってね』
『は~い』
1人ずつにちゃんと笑顔で返事をするみくるは、
いつも思っていた。
(どうしてみんな…私に優しいの?
私…変だから?それとも、かわいそうなの?
お父さんが偉いと、私に優しくするの?
みんな………本当は、無理してるの?)
みくるは、だんだん気持ちが沈んでいった。
母と一緒に向かった先は、VIP専用フロア。
それぞれ個室にはテレビやマッサージチェア、
ベッド等が置いてあり、患者はその部屋で待っていると、主治医が来てくれて診察をし、点滴や
採血等の処置も看護師が来てやってくれるのだ。
みくるは、ここにしか来たことがないので
病院とはこういうものなんだと思っていた。
『失礼します。こんにちは、みくるちゃん』
『こんにちは…』
まず最初に現れたのは小児科医の神田先生。
『調子はどう?風邪ひいたりしてない?』
『うん。元気…』
『ん?あまり元気に見えないけど。
何か気になる事でもあったかな?』
『ううん…』
『そっか……体の事じゃないみたいだね。
この後平井先生が来るから相談してみるといいよ。じゃあ今から採血してその次注射ね』
『うん…』
平井先生は精神科医。
体の事は神田先生、心の事は平井先生に相談
するものだと、みくるの中で決まっていた。