「お母さん!私、犬飼いたい」 

仕事が休みの日、友達の家に出かけていた中学生になったばかりの娘が私に言ってきた。その目はキラキラと輝いている。

「今日、華(はな)の家に行ったら可愛いチワワがいてさ〜。最近買い始めたんだって!周りの子も犬飼ってるし、ダメ?」

その娘の様子を見ていると、娘と同じ歳くらいの頃の私を思い出してしまう。あの頃の私も、こうしてキラキラした目で「犬を飼いたい」と両親にせがんだっけ……。

「美帆(みほ)、犬を飼うってことはきちんと覚悟ができているんでしょうね?癒されるからとか、可愛いからとか、そんな甘い理由で飼うのなら許さないわよ。どんなに小さな犬でも人と同じ命があるんだから」

私が真剣な顔で言うと、「わかってるよ」と言いながら美帆は私にノートを差し出す。「犬の研究」とタイトルが書かれたノートに、私は首を傾げた。

「このノートは?」

「犬のこと、色々調べたの。ルーツとか飼い方とか、なりやすい病気、それから食べてはいけないものとか……。もちろんお母さんの仕事に関するようなことも調べたよ……」
少し悲しそうな顔で美帆は言う。ページをめくれば、犬の可愛らしいイラスト付きで食べてはいけないものなどが綺麗にまとめられていた。よくここまで調べたわね。

でも、ページが後ろに進むにつれて、華やかだったページは徐々にシャーペンで書かれた文字だけになっていく。そして、ページの所々に涙の跡が見えた。

「年間、1.6万匹の犬が殺処分されている。飼い主が犬を捨てる理由は、「大きくなって可愛くなくなったから」や「引っ越すから」など」

「日本はペット文化後進国で、ペットの殺処分が最も多い国である」

「犬たちは炭酸ガスや注射によって殺処分されてしまう」

その文を見て、私の胸がギュッと痛んでしまう。私が捨てられた犬の保護活動を仕事にしていても、無責任な飼い主は山ほどいて、助けを求めても奪われていく命がある。

「ペットショップじゃなくて、保護された犬を大切にしたいの。血統書なんてなくていい。ショーにだって出なくていい。ただ、一匹でも多く幸せにしてあげたいの。ミックみたいに!」
ミックは、私が結婚する前に飼っていた犬の名前。犬種はミックス犬。私と初めて出会った時、年齢は一歳半だった。

私は棚に並べられた写真たちを見つめる。たくさんの家族写真の中に、ミックが写っている写真があった。私はその写真をギュッと抱き締める。

「ミック、新しい家族を迎えてもいい?」

あなたみたいに幸せにしてあげたい。美帆に命に触れるという大切なことを学んでほしい。何も知らなかった私にミックが教えてくれたみたいに……。

これは、私と犬のミックの物語ーーー。



ショッピングモールなどに家族と買い物に行くと、私は必ず「ペットショップ行きたい!」と言っていた。服屋やアクセサリーショップには目もくれず、両親が買い物をしている間、ずっとペットショップにいた時もある。

「はいはい」

「行っておいで」

両親が呆れながらもそう言ってくれると、私は目を輝かせてペットショップへと向かう。そしてガラスの向こうで動き回る小さな子犬たちをひたすら眺めているんだ。
「うわぁ〜!可愛い〜!」

トイ・プードル、チワワ、ポメラニアン、柴犬、ヨークシャー・テリア、マルチーズ……。

ふわふわした毛で覆われて、ヨチヨチと歩くその姿だけでも癒される。そして家にあんな子たちがいたら……と犬がますます飼いたくなるんだ。

うちのクラスでは「犬、飼い始めたよ」という話が最近多く、写真を見せてもらうたびに羨ましくなる日々が続いていた。

「見てみて!ぬいぐるみ見たいでしょ?」

友達の一人に見せられたのは、バーニーズ・マウンテン・ドッグという犬の写真だった。聞いたことのない犬種だったけど、写真を見た刹那にその愛くるしさに虜になってしまう。

「可愛い!抱っこしたい〜」

「アハハ。うちに遊びに来た時、好きなだけ遊ばせてあげるよ〜」

「うちのミニチュア・シュナウザーのマリンも構ってあげて〜」

「うちのゴールデン・レトリバーのココアも人が大好きだから遊びに来てよ〜」
みんなに犬飼ってると楽しい、癒される、という話をたくさん聞かされて、私の犬を飼いたいという気持ちは小さい頃よりもっと大きくなっていった。ガラスな向こうで遊ぶ子犬ちゃんたちを見て、お父さんたちにおねだりしようと決心する。

「いたいた!買い物終わったし帰るよ〜」

いつもならそうお母さんに言われれば素直について行く。でも、今回ばかりはどうしても離れることができない。

「お母さん!私、犬を飼いたい!周りの友達はみんな飼ってるもん。この子とかすごく可愛くない?」

私は、ガラスの向こうでおもちゃで遊ぶウェルシュ・コーギーとミニチュア・ダックスフントを見つめる。こんな可愛い子がうちにいたらもう天国!

「確かに可愛いわね」

「胴長短足って可愛いよな〜」

お父さんたちもそう言ってくれた。もしかして家族に迎え入れてくれるの!?

「飼っちゃダメ?」

「ダメ」

期待は一瞬にして砕けていく。二人とも即答だった。早く行くよ、と言って歩いていく。私は慌てて二人の手を掴んだ。
「ねえ、何で?何で犬を飼っちゃダメなの?いいでしょ?私、ちゃんとお世話するから!毎日散歩だって行くし、たくさん遊んであげる!だから飼いたい!」

小さい子が駄々をこねるみたいな感じで言うと、二人は顔を見合わせた後、ため息をついた。

「そういう言い出したら聞かないところはお父さん譲りなのね〜」

お母さんがそう言った後、苦い顔をしていたお父さんは私をジッと見つめる。そして口を開いた。

「犬を飼いたいとお前は言ってるが、まだ犬のことを何も知らないだろ。だから今週末にお父さんのお兄さんのところへ行って勉強しなさい。あそこはたくさん犬がいるから……」

「犬がたくさんいるの!?やった!」

そこで頑張れば可愛い子犬ちゃんを我が家に迎え入れられる!!何も知らない私は、そんな風に期待に胸を膨らませていた。



そして迎えた週末、私は汚れてもいい服で来てくれと伯父さんから連絡が来たので、学校のジャージを着てお父さんの運転する車に揺られ、かなり山奥にある伯父さんの家にやって来た。

「ついた!」

広い敷地内にある伯父さんの家からは、犬の鳴き声が聞こえてくる。伯父さんってブリーダーさんをしてるのかな?