ベクターの予言ともいえる勘は、不幸にも当たってしまった。
新しく大通りに開いた店は、スパイスをふんだんに使った異国情緒あふれる料理店。海の向こうの景色を再現した店内の装飾も相まって、新しい物好きの街のひとびとの心をがっつり掴み、店は連日にぎわいを見せた。
この流れに乗ったのが、創作料理を出すような店だ。彼らはこぞって商館でスパイスを買い、それっぽい料理を出した。街に、いまだかつてない一大スパイスムーブメントを引き起こしたのである。
その反面、北部の田舎料理を売りにしているグレダの酒場のように、スパイスの波に乗れないオーソドックスな店は軒並み苦戦を強いられた。特に、グレダの酒場があるのは、スパイスブームの発端となった店とは大通りをはさんで反対側。そのため、客足も完全に遠のいてしまった。
スパイス料理店が出来てから半月ほど経った夜。日に日に空席が目立つようになってしまったグレダの酒場で、店主ベクターはうなだれていた。
「……あぁあ。やっぱり、こんなことになる気がしたんだ」
「元気出して、ベクター! 私たちがいるじゃない」
慰めるのは、いつものようにカウンターに座るキュリオだ。その隣にはエリアス、ニース、そして珍しく父についてきたマルスが並ぶ。
――問題は、以上の4名のほかに、今日はお客が来ていなかった。
「4人! どんどんお客さんが少なくなっていくなとは思っていたけど、まさかたった4人だけなんて……」
どんよりと項垂れるベクターに、母カーラも悩ましげに頬に手を当てた。
「ねえ、あなた。やっぱり、うちのお店でもスパイスを使った料理を出すしかないんじゃないかしら。市場でほかの奥さんに聞いたんだけど、スパイスは体にいいとか美容にいいとか、そんな噂も出始めているみたいだし」
「でもなあ……。スパイシーな北部料理なんか、聞いたことも食べたこともないもんなあ。それはもう、北部料理とは言えないもんなあ」
「そ、そうよ! ふたりとも、せっかくこだわりをもってお店をやってきたんだもの。こんなこところで信念を曲げちゃだめよ!」
ぶんぶんと首を振って、キュリオはぐっと両手を握った。
「安心して! 今日は私、二人分食べちゃうし、二人分飲んじゃうわ!」
「ああ、そうさ! それに、今日は食べ盛りの倅も連れてきたからな! なあ、マルス。お前、3人前くらい軽くいけるだろ??」
「いけるかよ、バカか!」
肩に載せられた手を払い、マルスが顔をしかめる。それでも、幼馴染は真剣にメニューに目を通してくれる。きっと来てくれたのも、客足が途絶えて苦戦しているグレダの酒場を心配してのことだろう。
「フィアナさんも、大丈夫ですか?」
エリアスも珍しく冗談も言わずに、心配そうにフィアナを見上げる。そんな彼に、フィアナは肩を竦めて苦笑した。
「大丈夫ですよ。ただ……こんな状況なんで、ほんとはお店の手伝いもいらないんですが、なんだかソワソワしちゃってお店に出てきちゃいました」
ははは……と軽く笑ってみせると、エリアスは何かいいたげに眉をぴくりと動かしたものの、それでもわずかにほほ笑んでくれた。
売上はどんどん悪くなる一方だ。不安でないわけがない。けれども、私生活でも両親と仲が良いキュリオとニースは置いておくとして、エリアスは酒と料理を楽しみに来てくれている客だ。気にしてくれるのは嬉しいが、必要以上に彼を巻き込みたくはない。
少しでも場の空気を換えるために、フィアナはわざと声のトーンを上げた。
「あーあ。なんかこう、うちのお店がころっと流行っちゃうような、ミラクルな方法があればいいですけどね」
「そう、それなんだけど!」
なぜか勢い込んだキュリオに、フィアナは嫌な予感を覚える。すると彼は、あろうことかエリアスにぐいと体を向けた。
「ねえ、エリアスちゃん。あなた、王様と乳兄弟なんですってね。なんとか、シャルツ陛下をこのお店に連れてこられないかしら」
「は、はい~~っ!?!?」
ぱちくりと瞬きするエリアスに代わって、フィアナは叫んだ。
「なーに言っちゃっているんですか!? そんなの無理に決まっているじゃないですか!」
「だって、よく言うでしょ! チョコレート店だろうとレストランだろうと、王室御用達って言ったとたん、急にみんなありがたがるのよ。このコネは使わない手はないじゃない!」
「いやいや、王様ってそんな軽い存在じゃありませんから! エリアスさんも! そんな、真面目に考えなくていいですから。誰も望んじゃいませんから!!」
フィアナの否定とは裏腹に、エリアスは真剣な表情で考え込んでいる。ややあって、彼は申し訳なさそうに首を振った。
「すみません、どうにか騙くらかして連れてこれないか考えたものの……。私が策を練るまでもなく、アレは事情を話せばノリノリで来てくれるでしょう。しかし、あの人は王で、私は宰相です。こういった形で、王の権威を乱用するわけには……」
すみませんと。もう一度、しょんぼりと頭を下げて繰り返したエリアスに、フィアナは慌てた。
「だ、だから、当たり前のことですし、エリアスさんが謝るようなことじゃありませんから! もう、キュリオさん! ちゃんと謝ってください!」
「私!? そ、そうね。ごめんね、エリアスちゃん。無理なこと言っちゃったわ」
おろおろと謝るキュリオを、マルスが横目で眺める。幼馴染はため息を吐いてメニューを閉じると、暗い顔をするベクターを見上げた。
「親父さん、チラシは作れる? お店の宣伝するような奴」
「あ、ああ。昔、オープンするときは作ったからね」
「だったら用意して。親父の店とキュリオさんの店、ほかにも置いてもらえそうな店の当てがあるから」
「なるほどね!! もちろんよ、うちのお店にも置かせてもらうわ」
「それから、夕方に街で配る。俺とフィアナで手分けしたら、そこそこ配れるだろ」
「え!?」
フィアナは目を丸くし、しょんぼりと口元をぬぐっていたエリアスもぴたりと動きを止め、ぎょっとした顔でマルスを見る。そんな中、マルスは相変わらず当たり前のような顔をしてベクターを見ている。だからフィアナは、おずおずと尋ねた。
「気持ちは嬉しいけど……マルスも店の手伝いがあるでしょ? うちの店のことなのに、巻き込んじゃうのは申し訳ないよ」
「そんなこと言っている場合かよ。親父、かまわないだろ」
「もちろんだ! 夕方は店じまいするくらいだからな。マルスがいなくても、うちはどうとでもなる!」
ニースが大きく頷く。それでも、甘えてしまってもいいのか迷うフィアナを、マルスは顔をしかめて睨んだ。
「この店を好きなのは、俺も一緒だ。……頼れるときくらい、頼れ。今更遠慮するような、そんな仲じゃないだろ」
「マルス……」
エリアスの手からナプキンがするりと落ち、その隣でキュリオが両手を頬に当てて声のない悲鳴を上げる。
そんなことになっているとはついぞ気づかず、フィアナは照れ笑いを浮かべた。
「わかった。そしたら、甘えちゃおっかな」
「甘えろ、甘えろ。その代わり、ビラ配りは意外と疲れるぞ。覚悟しとけよな」
「うん! 頑張ろ!」
幼馴染二人が、にっと笑いあう。そんな微笑ましい光景とは裏腹に、エリアスは魂の抜けた様子で机に崩れ落ちたのだった。