「完全な自己満足だったんです! 私が読んで、楽しむための、妄想小説で……っ」

 ぽかんと耳を傾けるフィアナの前で、ルーナは小さな体をますます縮こまらせる。

「けど、ある日、お母さまに見つかってしまって……。それも、気に入られてしまって……」

〝なぁんてステキな恋愛小説なの!?〟

 気づいたときにはすっかり最後まで読み切っていた母は、恥ずかしいやらなにやらで慌てる娘をよそに、興奮して叫んだ。

〝ねえ、ルーナ! これは素晴らしい物語だわ! このまま眠らせておくなんてもったいない。私のお友達にも読んでもらいましょう? そうよ、そうしなくちゃ!〟

「そ、それで……。お母さまのお友達の間でわっと広がって、気づいたら、本にまとめて出版しましょう、なんて話になっていて……」

「それは、その。すごい、ですね?」

 なんと答えるべきか考えあぐねて、とりあえずフィアナは曖昧に頷いてみる。だが、ルーナはますます身を縮こまらせるだけだ。

「ずっと、謝らなくちゃと思ってたんです。承諾も取らないで、勝手にお二人をモデルに本なんか出してしまって。……けど、迷っている間にどんどん本が人気になって、そしたら、ますます言い出しづらくなってしまって……っ!」

「あ、あの、ルーナさん?」

「フィアナ様!!」

 今にも泣きだしてしまいそうなルーナに、フィアナは慌てる。けれども、おろおろと宥めようとした瞬間、ルーナは三つ編みを揺らしてちょこんと立ち上がり、勢いよく頭を下げた。

「本当に、本当に、申し訳ありませんでした……!」

 ぱちくりとフィアナは瞬きをした。よくみると、緊張か、それとも恐れのためか、ルーナの華奢な肩はふるふると震えている。ややあって、フィアナは仕方ないなと笑みを漏らした。

 ――たしかに、あの小説には思うところもあった。いつか作者と出会う機会があれば、嫌味の一つでもいってやろう。そんな風に考えていたのは確かだ。

 けれども。

「よくわかりました。わかりましたから、顔を上げてください」

 出来るだけ彼女を怯えさせないように、そっとフィアナは呼びかける。そろそろと顔を上げたルーナに、フィアナはあっけらかんと笑いかけた。

「そりゃ、サラさんに本を見せてもらったときには驚きました。みんなに騒がれているだけでも恥ずかしいのに、まさか本になっちゃうなって!って。でも、本のおかげでサラさんに出会えましたし、今日ここにも呼んでいただけました。だから、謝る必要なんてないです」

「でも……っ」

「どうしても気になるんでしたら、ここはひとつ頼まれごとを引き受けてください。ルーナさん。私のお友達兼、先生になってくれませんか?」

「先生、ですか?」

 困惑するルーナを、フィアナは覗き込んだ。

「はい。先生です。……私、これからのことをエリアスさんとも相談をして、いろんなマナーを覚えようと特訓中なんです。とても教えるのが上手な、素敵な先生なんですよ! けど、いざ実践となると、ちゃんと出来ているかまだ不安で。

ですから、先生みたいに色々とチェックしてくれる方がいてくれると、すごく心強いんです。――もちろん、お友達にもなりたいですし。ダメですか?」

「そんな! ダメなんかじゃ!」

「じゃあ、決まり! ですね」

 にっと笑って、フィアナは小指を立てる。戸惑いつつも同じポーズをするルーナに自身の小指を絡めると、軽く力を込めた。

「遠慮は不要です。色々と、ちゃんと出来るようになりたいので。ビシバシお願いしますね」

 ルーナの華奢な肩がぴくりと揺れる。そんなことだけでいいのだろうか。おそらくそうした葛藤を胸に、ルーナはそわそわと視線を泳がせる。ややあって決心をしたのか、彼女はフィアナの小指をきゅっと握り返した。

「わかりました。先生兼メインはお友達として、よろしくお願いいたします……!」

「はい! こちらこそ、よろしくお願いします!」

 にこっと笑って、約束の意味を込めて小指を繋いだ手を軽く振る。ルーナは丸眼鏡の奥でみるみる大きく目を見開く。そのまま顔を真っ赤にした彼女は、「は、はい!」と声を裏返して返事をした。

 そんな二人を、ほかの少女たちが黙って見ているわけもない、

「セイレーン先生と春のエンジェルの奇跡の会偶……! そして結ばれる友情! 尊いですわ……っ」

「けど、エンジェルの独り占めはもうおしまい! 次は私たちの番です」

「はいはーい、私も私も! 私も、エンジェルさんと仲良くなりたいですー!」

「あ、あの?」

 少女たちに次々に詰め寄られて、フィアナはたじたじになる。救いを求めて隣のサラを見れば、逃げるのは許さないとばかりに腕を絡まれた。

「言ったでしょう? 今日集まった子は、『氷の宰相と春のエンジェル』が大好きな子ばかり。みんな、フィアナと仲良くなりたくて、仕方がないのだわ」

 そう言って、サラはぱちんとウィンクをした。その隙にも、少女たちはじりじりとフィアナににじり寄る。

「聞きましたよ! ルーヴェルト様と婚約をされたと!」

「戸惑うこともあるでしょうが、私たちが力になりますわ」

「ここにいるみんな、エンジェルの味方だからね!」

 きらきらと輝く笑みに囲まれて、フィアナはじんわりと胸が暖かくなるのを感じた。ひとりじゃない。味方になってくれる人がいる。それだけで、こんなにも心強く感じるとは。

「ありがとうございます。すごく……、すごく、嬉しいです!」

つんと鼻の奥が痛むのを飲み込んで、フィアナは満面の笑みで微笑む。視線を交わして微笑みあってから、少女たちは本日のメインディッシュにさっそく切り込んできた。

「そ・れ・で・は! 遠慮なく聞かせていただきますわ! ルーヴェルト様とフィアナさんの、真実の愛の物語!」

「フィアナさんとルーヴェルト様の出会いは? アプローチはやはりルーヴェルト様から? プロポーズはなんて言われたんですか?」

「へ、ふえ!? え、いや、でも、みなさんルーナさんの小説を読んで、大体のことは知っているんじゃ…?」

「それはそれ、これはこれ、だよ? 私たちはエンジェルの口から、アレコレ真実を知りたいのっ」

「わ、私も……ちゃんと聞きたいです……っ」

 少女たちに囲まれ、フィアナは目を白黒とさせる。それを眺めて微笑みながら、サラは優雅に紅茶を飲んだ。

 ――そのとき、ひとりの侍女が慌てた様子で中庭を訪れた。

 足早に現れた侍女はまっすぐにサラのもとを訪れると、彼女に耳打ちする。それを聞いたサラは、「なんですって!?」と声を裏返らせた。

「何かありましたか?」

 不思議そうに首を傾げるフィアナたちを前に、サラは熱心に侍女の報告に耳を傾ける。すべてを聞き終えた彼女は、興奮に顔を赤らめて、フィアナたちにこう告げた。


「いい? みんな、落ち着いて聞くのよ? ……エリアス・ルーヴェルト様が、これからここにいらっしゃるわ!」