フィアナはきょとんと首を傾げて、自分の膝の上を眺めた。

 なぜなら、いつのまにかそこに、リッキーのぬいぐるみがあったからだ。

〝私、ゲームに勝ったんだっけ……?〟

 不思議に思いつつ、フィアナは喜んだ。流線形の目立つ黄緑のボディに、ぽかんと惚けたフェイス。なんにせよ、このぬいぐるみがあればエリアスに喜んでもらえる。

 そう、気分も軽く立ち上がろうとしたフィアナの頭に、何かがぽこんとぶつかる。ぽんと跳ねて地面に落ちたそれは、リッキーぬいぐるみだった。

〝へ? これ、どこから降って……?〟

 だが、それだけでは終わらなかった。奇妙に思って上を見上げた途端、2個、3個と続けてリッキーが空から降ってきた。

 そうなると、リッキーはもう止まらない。まるで降り続く雨のように、リッキーのぬいぐるみが次々に空から落ちてくる。あっという間に積み重なったリッキーのぬいぐるみの中に埋もれながら、フィアナはじたばたと足掻いた。

〝きゃ、きゃああああ!? なにこれ!? なんで、リッキーが降ってくるの!?〟

 もがいている間にも、リッキーはどんどんと積み重なっていく。頭のてっぺんまで埋まってしまいそうになりながら、もごもごとフィアナは叫んだのだった――。





「………ない。こんなに、いらないってば!」

「フィアナさん!」

 上から降ってきたエリアスの声に、フィアナはぱっと目を開いた。真っ先に目に飛び込んできたのは、ほっとしたように表情を緩めるエリアスの顔。不思議に思いつつフィアナは冷静に状況を見極め――改めてエリアスを見上げた。

「……あの。どういう状況ですか、これ?」

「膝枕ですよ、私の可愛い天使さまっ」

「そうですか」

 さらっと返され、フィアナもさらっと頷く。そのまま、しばしの沈黙。

ややあって、フィアナは弾かれたように起き上がろうとした。

「待って、待って!? ほんとにこれ、どういう状況!?」

「落ち着いて、フィアナさん! ここ、私の別荘! 本当の本当に、ほかの人の目はありませんから!!」

 宥めつつ肩を押すエリアスにより、仕方なくフィアナはもとの格好に――エリアスの膝の上に頭を戻す。疑い深くちらりと横に視線をやれば、確かにそこは、先ほど一度荷物を置くために立ち寄ったエリアスの別荘の居間だった。

 ほっと肩の力を抜くフィアナの頭を、エリアスがぽんぽんと撫でた。

「フィアナさん、リッキーチャレンジの最後で倒れちゃったんですよ。たぶん、あんまりリッキーが早いんで目が回ったのでしょうね。たまにいるそうですよ。同じように、目を回して倒れてしまうひと」

「観光地の余興としてどうなんですかね、それ」

「それぐらい人々を熱狂させる、魅惑の余興ともいえます。闘志に燃えるフィアナさんも、すっごく魅力的でしたよ」

「っ!」

 片手を頬に当ててしみじみと告げるエリアスをよそに、フィアナは息を呑み込んだ。

 そうだ。最後のリッキーを目でとらえた瞬間と、手から滑り落ちるハンマーの感触。そして視界一杯に広がった、雲一つない青空。

「エリアスさん! 結果は!? 私、50点取れたんですか?」

 フィアナの気迫に、エリアスがちょっぴり驚いたように目を丸くする。彼はぱちくりと瞬きをしてから、ゆっくりと首を振った。

「いえ。けど、惜しかったんですよ。フィアナさんの手から落ちたハンマーが、たまたま顔を出したリッキーを叩いたんです。残念ながらあの一点は無効になってしまいましたが、実質的には勝っていました。大勝利です」

「そんな……」

「ほんとに、すごいことなんですよ? おじさんたちも、大したお嬢ちゃんだってフィアナさんを褒めてました。それで、こちらを。特別な参加賞だそうです」

 そう言ってエリアスは、何やら胸ポケットから取り出す。包んでいたハンカチをほどくと、中から姿を現したのはリッキーの形をした焼き菓子だった。

「可愛いですよね。リッキークッキーです。こっそり伺ったところによりますと、中の人のお手製だそうで。よそでは買えない、特別なお菓子ですよ」

「そう、ですか」

 ほんの少し――いや、かなり気落ちして肩を落としながら、フィアナは差し出されたクッキーを眺めた。

 クッキーにはチョコレートで顔が描かれており、くりりとしたアーモンドアイがつぶらにこちらを見つめている。確かに可愛い。可愛いし、美味しそうだ。

 けれど、フィアナが必要だったのはコレじゃない。

「お気に召しませんでしたか?」

 明らかにがっかりした様子のフィアナに、エリアスの眉も一気にハの字になる。彼は居ても立っても居られないといった様子でそわそわと身じろぎしだすと、不意にぱっと決意を瞳に宿した。

「すみません。そんなにリッキーのぬいぐるみが欲しかったとは気が付きませんでした。私が今から手に入れてきます! ……大丈夫。最悪50点には至れずとも、村長に手を回せばリッキーの1体や2体など容易く……」

「待ってまって、エリアスさん! リッキーのためにそこまでしないで!?」

「大丈夫です、フィアナさん。私、伊達に政界の荒波に揉まれていません。お願いごとをするためのネタ集めには、ちょっと腕に覚えがあります」

「脅す気満々じゃないですか、真っ黒ですねほんとにもう!」

 このままではリッキーのぬいぐるみのために不祥事を起こしそうな宰相閣下(エリアス)を前に、フィアナは頭を抱える。

 とはいえ彼がこんな突飛な発想に走っているのも、フィアナを心配すればこそ。見えない耳をシュンと伏せ、気遣わしげにこちらを見つめるエリアスに、ついに根負けしたフィアナは仕方なく事情を打ち明けた。

「違うんです。私がリッキーのぬいぐるみを取ろうとしたのは、欲しかったからじゃなくて……。その。エリアスさんに、プレゼントしたかったんです」

「え? 私に、ですか?」

「リッキーにはエリアスさんの、大切な思い出が詰まっているから」

 告げた途端、エリアスの美しい切れ長の目が見開かれた。

「……えっと。つまり、フィアナさんは私のために、リッキーのぬいぐるみを?」

「……そうですよ」

「私のために、必死に? 目を回して倒れてしまうほど?」

「そうですよ、って、そこは流してくださいよ! 恥ずかしいから!」

 やけっぱちになったフィアナは、起き上がって抗議する。けれども残念ながら、そんな彼女の照れ隠しをさらりと流せるほどの余裕が、エリアスにもなかった。

「――なんですか、それ」

 ぽつりと零れた声につられ、フィアナは顔を上げる。そのままエリアスに――白い頬を朱に染め、悔しそうに目を逸らす美しい恋人の姿に、フィアナはぽかんと見惚れてしまった。

「反則です、フィアナさん。そんなの、可愛すぎます」

「エリアス、さん?」

「――幸せすぎて、胸が苦しいです」

 熱を宿したアイスブルーの瞳と、フィアナの視線が交差する。そっとエリアスが手を伸ばし、フィアナはぴくりと肩を揺らす。指先から伝わる焦がれるほどの熱に、くらりと眩暈を覚えたフィアナはぎゅっと目を瞑った。

 そんな彼女の額に軽く口付けを落としてから、エリアスは悪戯っぽく微笑んだ。

「けど、これ以上はダメですよ。この旅のメインテーマは、フィアナさんのリベンジバースデー。デロデロに甘やかすのは私の役目、ですからね」

「えっと、あの?」

「おいで、フィアナさん」

 まるで煌びやかな舞踏会の一幕のように、エリアスがフィアナに手を差し出す。戸惑いつつその手を取れば、彼は優しく手を引きながら立ち上がり、まるでエスコートをするようにぴたりと寄り添った。

「ここからは私のターンです。――覚悟してくださいね、私の愛しい天使さま」

 貴女に魔法をかけましょう。

 そのように、エリアスは耳元で囁いたのだった。