スカイリーク。その名前の由来は、空の湖だ。
緩やかな馬車道を駆け上り、木のトンネルを抜けた先に見えるのは、きらきらと輝く清流。それを辿っていくと、青色ともエメラルドグリーンともつかない、なんとも美しい色合いをした湖が姿を現す。
その湖畔に広がる町スカイリークの中心。そこには、湖を展望できる観光客向けのカフェやお土産ショップ、湖の貸しボート屋などが集まっている。
「うわあ! 賑わっていますね」
麦わら帽子が飛ばないように押さえながら、フィアナはそのように声を弾ませた。
ちょうどハイシーズンを迎えたところで、通りは観光客でにぎわっている。石畳の道の両側には様々な店が軒を連ね、その店先ではテイクアウトの――いわゆる『食べ歩き』用の軽食を販売している。
まさに目の前で、熱々のソーセージを挟んだパンを受け取った観光客が、嬉しそうに頬張りながら歩きだす。そんな光景を見ていると、エリアスが嬉しそうに指をさした。
「ほら、フィアナさん! あそこの店先、すごく並んでいるでしょう? あそこの魚のフライが絶品なんですよ」
「あの、パンにはさんでいるのがそうですか? うわあ、すごく大きいんですね」
「このあたりの名物ですよ、フィルフィッシュといいます。せっかくなので買いに行きましょう! これくらいの列なら、並び時ですよ!」
「あ、はい!」
笑顔のエリアスに手を引かれ、ふたりはその店でフィルフィッシュのサンドとジュースを買った。広場にあるフリーのテラス席に座ってそれを食べながら湖を眺め、そのあとは通りを歩きながら色んな店を見て回った。
さすがというべきか、エリアスはスカイリークの街に詳しかった。可愛らしい雑貨屋や、お土産屋。それらが集まった通りの先にある、見晴らしのいい展望台。それらを案内しながら、エリアスは終始楽しそうであった。
「たくさん歩きましたねー」
「はい。だからボートに乗って、一休みです」
穏やかな昼下がり。一通り中心街を歩いて満足した二人は、趣向を変えてボートを借りて湖に出ていた。
柔らかな風が吹いて、エリアスの長い髪が揺れる。その手には、オールが二本とも握られている。にこやかにこちらを見つめる彼に、フィアナは首を傾げた。
「ちゃんと休めてます? ボートを漕ぐのも疲れませんか?」
「フィアナさんが目の前で応援してくださるので百人力です。このまま湖を横断することだって出来ますよ」
「……出来ちゃいそうだから言いますけど、やめましょうね。湖横断は」
「残念です。対岸の森で二人きりというのも、なかなかロマンチックですのに」
くすくすと笑って、エリアスがオールを漕ぐ。すいすいと水面が流れて、ボートが滑らかに前へと進む。それを子供のような無邪気な瞳で眺めていたエリアスだが、ふいに何かを思い出したように口を開いた。
「ああ、しかし、いけません。スカイリーク湖にはリッキーがいるんでした。ボートでのんびり横断しては、リッキーのお昼寝タイムを邪魔してしまうかもしれません」
「リッキー? なんですか、それ」
「湖の主ですよ。知りませんか? スカイリーク湖のリッキー伝説」
「聞いたことないですけど」
戸惑いつつ答えれば、きらんとエリアスの目が輝く。そのまま彼は得意げに、ふふんと鼻を鳴らした。
「リッキーは太古からスカイリークに住むカイジュウです。普段は湖の底に暮らしていて、時々長い首を伸ばしては、湖を荒らす不届きものをパクリと食べてしまうのです」
「食べ……っ!? のんびりボート浮かべている場合じゃないじゃないですか!」
太陽の光の反射する湖面を、フィアナは恐々と覗き込んだ。先ほどまであんなに美しく思えた湖面も、その奥にリッキーなるカイジュウがいるのかと思えば、急に薄気味悪いものに思えてくる。
するとエリアスは、愉快そうにひらひらと手を振った。
「大丈夫ですよ。リッキーは穏やかで優しい、いいカイジュウなんです。湖にゴミを捨てたり騒ぎを起こしたりといった悪さをしなければ、人間を懲らしめたりしません」
「随分都合のいいカイジュウですね。そんなのいるんですか、この湖の底に?」
「いると思えば、いる。いないと思えば、いない。伝説とはそういうものです。ちなみに私はいると思っていますよ。その方がロマンがありますから」
「エリアスさんは呑気ですね。私は、もしも湖の底にそんなカイジュウがいたらと考えたら、気が気じゃありませんよ」
顔をしかめて湖を眺めるフィアナに、エリアスがくすりと笑みを漏らす。そうして彼は、懐かしそうに目を細めて同じように湖に視線を移した。
「幼い頃、どうしてもリッキーに会いたくて、両親に強請って何度もボートで湖に漕ぎ出たものです。そうやってボートの縁にかじりついて、湖の底に潜む大きな影をずっと探したものです。……ただの魚をリッキーと見間違えて、ボートから湖に落ちたこともありましたっけ」
「湖に? エリアスさんが?」
「はい。当然うまい泳ぎ方なんて知りませんから、湖に沈みかけて大騒ぎです。幸い、父がすぐに助けてくれましたが、後でこっぴどく叱られました。後にも先にも、あんなにも叱られたのはあの時だけです」
昔のことを思い出してか、エリアスがくすくすと笑う。その楽しげな表情を、フィアナはぽかんと見守っていた。
(エリアスさんがこんなに自分のことを話すの、初めてかも)
家族のことや、幼い日の思い出。記憶にある限り、彼の口からそういったことを聞くのは初めてだ。それはおそらく――これはフィアナの推測だけれども、忙しい両親のもとに生まれたエリアスには、家族の思い出と呼べる記憶がそう多くないのだ。
けれども、少年のように無邪気に輝く視線を湖へと投げかけるエリアスの横顔は、確かに幸せそうだ。それだけスカイリークの町には、少年時代の思い出が詰まっているのだろう。
(嬉しいな。そんな大事な場所に、連れてきてもらえて)
胸の内がほわほわと、温かなもので満ちる。
「そうそう、リッキーと言えば、小さい頃ぬいぐるみを持っていたんですがね。こんぐらいのサイズなんですが」
「それじゃ仔馬サイズじゃないですか、話盛ってません? 続けて?」
にこにこと嬉しそうにエリアスが続ける。それに笑いつつ、フィアナは膝を抱えて身を乗り出す。
そうやって二人は、しばらく懐かしい思い出話に興じたのだった。