「よ、フィアナちゃん! 彼氏は元気かい?」
「どうも! ぼちぼちです!」
「素敵よねえ! 身分を越えた真実の愛。憧れちゃうわあ!」
「あはは……。そんな大したものじゃないですよ?」
「私たちみんな、二人のファンなの! 心から応援しているわ!!」
「あ、ありがとうございます?」
エリアスの記憶喪失、そしてグレダの酒場で行われたアリス一行の大捕り物のあと。街のひとびとの口伝いに、フィアナとエリアスの関係は一気に有名になってしまった。
警備隊が乗り込んだり、エリアスがアリスに啖呵を切ったり、あれだけ派手に動きがあったのだ。そりゃあ、居合わせたひとびとは喜んであの夜の出来事を語った。
「なんでも、エリアス・ルーヴェルト閣下の一目ぼれだそうよ! フィアナちゃんとの出会いが、閣下の氷の心を溶かしたのよ!」
「いやいや! 悪漢に絡まれているフィアナ嬢を助けたのが、二人の始まりだそうさ! あんな美丈夫に助けられたら、誰でも惚れちまうわな!」
「愛する人を庇って怪我を負い、記憶を失ってしまったエリアス様……。けど、愛の力で記憶を取り戻して、土壇場でお店の女の子を救ったの! あぁ~! なんてロマンチックなの~!」
……と、まあ。もともと二人の関係を知っていた常連客はともかくとして、二人のことを知らなかった人々にまで噂が広まったのがいけなかったらしい。話に尾ひれが続々とつきまくり、気が付けばフィアナ本人が目を点にして首を傾げてしまうような、一大恋愛叙事詩が出来上がってしまっていた。
「なんでこうなるのよ!?!?」
今日も今日とて、賑わうグレダの酒場にて。今しがたも「ファンですっ」ときらきらした瞳で握手を求めてきた女子二人組をどうにかこうにかあしらったフィアナが、羞恥のあまりカウンターに突っ伏した。
「身分を越えた真実の愛!? 氷の心を溶かした聖女!? 悪女の魔の手すら跳ねのけた、メイス国きってのミラクルラブストーリー!? 待って待って、みんな誰の何の話をしているのー!?!?」
ちなみに先ほどの二人はフィアナたちのことを、「ラブロマンス小説から抜け出してきたような、憧れで理想のカップル」と称した。本当に誰のことを言っているのだろう。エリアスじゃないが、いますぐ穴を掘って埋まってしまいたい。
そんな風に悶えるフィアナを、同じく求められた握手をファンサービスで乗り切った――「たとえ握手であろうと、私の手はフィアナさんのものですから」とにっこりお断りした――エリアスが、にこにこと嬉しそうに見上げた。
「良いではありませんか、応援されるのはいいことです。まあ、私としては外野に応援されようが軽蔑されようが、フィアナさんさえいてくれればぶっちゃけどうでもいいですが」
「今日もエリアスさんが潔すぎる!!」
頭を抱えるフィアナを前に、エリアスは澄ました顔でエールを呑む。ごくごくと美味しそうにエールをあおると、ぷはっと息を吐いてほほ笑んだ。
「今日もエールが美味しい! お代わりお願いします、フィアナさん」
「はいはい、お待ちくださいね!」
ぷんすかと怒りながら、それでもフィアナはすぐに身をひるがえしてエールを注ぎに行ってくれる。――その背中をエリアスが眺めていると、隣でキュリオが頬杖をついて、顔を覗きこんできた。
「ふぅん? 外野はどうでもいいです、ね? 噂をそれとなーく後押しして、ちゃっかり話が広がるのに貢献しているくせにっ」
「さすが。街一番の仕立て屋さんは、奥さま方の事情にも通じてますね」
否定も肯定もせず、エリアスはピクルスを口に放り込む。爽やかな酸味が口いっぱいに広がり、エリアスは顔をほころばせた。酒も旨ければ、料理も旨い。やはり、ここで過ごす時間は格別だ。
「後押しなんてしていませんよ? 否定もしなければ、肯定もしない。ただ、皆様が楽しく話に華を咲かせていらっしゃるのを、にこにこと眺めているだけです」
「よく言うわよ。マダムたちが都合よく解釈をして自分たちの恋を応援してくれるように、微妙なさじ加減で調整しているくせに。ほんとエリアスちゃんって、ふわっとしているようで、しっかり腹は黒いわよね」
キュリオの声に、非難の色はない。むしろ面白がっているような口ぶりに、エリアスは素直に苦笑した。
「いかんせん『宰相』だなんて、いかつい肩書を背負ってしまっているもんでして」
エリアスの言葉を受けて、キュリオの視線がゆっくり流れる。その視線は、大きなグラスにエールを注いでいるフィアナのところで、ぴたりと止まった。
「まあね」と、キュリオも肩を竦めた。
「面倒よねぇ、地位とか、立場とか。誰を好きになるかに、そんなの関係ないのに」
「ええ、まったくです」
微笑みを返してから、ふと、エリアスは遠い目をした。
「こう見えて、私は強情なんですよ。フィアナさんさえ私を選んでくださるなら、誰に後ろ指さされようがどうでもいい。たとえ宰相という立場と天秤にかけることになっていたとしても、かまわず我を通していたでしょう。……しかし、あくまでそれは私の場合は、です」
ふっと息を漏らして、エリアスは穏やかな瞳をフィアナに向けた。
「どうせ注目されるなら、応援されるほうがずっといい。それでフィアナさんの笑顔が守れるなら、いくらでも利用してやりますよ」
「今日もブレないわね、エリアスちゃんは」
「はい。なんたってフィアナさんは、天使で女神な、マイスウィートハニーですから」
嬉しそうに答えるエリアスに、キュリオは苦笑する。それから、カランとウィスキーの氷を回してからため息を吐いた。
「あーあ。けど、外野かあ。これでも私、真剣にふたりのこと応援しているんだけどなあ。応援されようがされまいが関係ないって言われちゃうと、ちょっぴり寂しいわ~」
「キュリオさんは外野じゃないですよ?」
なにを言っているんだという顔で、きょとんと首を傾げるエリアス。そうして、同じく不思議そうな顔をするキュリオにきっぱりと答えた。
「キュリオさんに、ニースさん。マルスくんに、常連の皆さん。皆さんは、私の友人です。親しい、大事な方々に応援していただけるのは純粋に嬉しいです。いつもありがとうございます」
「エリアスちゃん……」
目を丸くして、キュリオはエリアスを見た。ややあって、彼はバシバシとエリアスの肩を叩いた。
「もう、もう! ほんとに、エリアスちゃんってば憎めないんだから! 記憶が戻っているのを黙っていたって聞いたときは、どうしばいてやろうか、なんて思ったけど! 仕方ないわね、これからもバシバシ応援してあげる!」
「痛い、痛いです、キュリオさん。バシバシされてます、バシバシ」
「お待たせしましたー……。って、どうしたんですか? キュリオさん酔ったんですか?」
エールを手に戻ってきたフィアナが、上機嫌でエリアスをはたき続けるキュリオを見て、変な顔をする。するとキュリオは、しなりと悪戯っぽく頬杖を突いた。
「いやあね、愛情表現よ、愛情表現。あ、でも安心してね? あくまで親愛、友愛だから」
「いえ。別に疑ってないんで、解説結構です」
さっと手を出して、淡々と答えるフィアナ。その向かいで、キュリオをぐいぐいと腕で押しやりながら、エリアスはふと何かを思い出したような――まるで、たったいま思いついたようなさりげなさを装いながら、フィアナを見上げた。
「そういえばフィアナさん。今度の安息日と、その翌祝日。お時間空いていますか?」
「どっちも予定はありませんけど、何かありましたか?」
こてんと首を傾げ、フィアナは即答する。グレダの酒場は、祝日はお休み。このところエリアスの仕事も落ち着いているようなので、もしかしたら彼もお休みかも。実を言えばそんな期待も少しはあり、念のため予定は空けていたのだ。
するとエリアスは、ほっとしたようにうなずいた。
「では、二日間とも私にください。フィアナさんをエスコートします」
「両方ですか?」
てっきり、どちらかの日をデートに誘われるものだと思っていたフィアナは、まさかのお誘いにぱちくりと瞬きをする。
にっこりとほほ笑んだエリアスは、アイスブルーの瞳でまっすぐにフィアナを見上げてこう言った。
「約束を果たすときですよ。――リベンジ・バースデーです、フィアナさん」