目当ての丘には、小一時間ほどで到着した。
ちょうどオレンジや黄色の可愛らしい花々が見頃を迎えているらしく、穏やかに吹く風に合わせて緑の草の合間でゆらゆらと揺れている。遠目に見ると、色とりどりのカーペットのようだ。
そんな中、フィアナたちはさっそく持ってきたお弁当を広げていた。エリアスが芝生のうえに薄手の毛布を広げてくれたので、そのうえに座って銘々の持ち寄り品を広げる。
あらかじめ話していたように、エリアスは飲み物と、食後のお菓子担当。フィアナはお昼のメインを請け負い、サンドイッチや彩り野菜のマリネ、ころりと丸い形のコロッケなどを用意したのだが。
「ちょっと作りすぎちゃいましたよね……?」
食べ物がぎっちり、みっちり詰まったバスケットを膝に、フィアナは今更のように恥ずかしくなった。
(これじゃ私が、エリアスさんに食べてもらいたくて、頑張ってお弁当を作ってきちゃったみたいじゃない……!)
寸分も間違っていないことを思い浮かべ、フィアナはぷんすかと憤慨した。
そんなお弁当を、エリアスは目をきらきらとさせて覗き込んでいた。
「すごい! すごいです、フィアナさん! これ全部、フィアナさんが作ったんですか?」
「お母さんに手伝ってもらってですよ。さすがに私ひとりじゃ手際が悪いですし」
「けど献立内容は、絶対フィアナさんのアイディアですよね」
「なんでわかったんですか?」
じーんと感極まった様子で見つめるエリアスに、フィアナはたじろいだ。たしかに彼の言うように、お弁当の中身を考えたのはフィアナだ。ここだけの話、夜遅くまで考えに考え抜いた気合たっぷりのメニューだ。けれども一目見ただけで、なぜそれを見抜かれてしまったのだろう。
そうドギマギしていると、エリアスは立てた片膝に緩く寄りかかり、柔らかく微笑んだ。
「だってこれ、私の好きなものばかりが詰まってます」
言われてフィアナは、改めてバスケットを覗き込んだ。
――どうして気づかなかったんだろう。サンドイッチの具材は、エリアスが好きな卵やカリカリベーコン、チーズをふんだんに。ほかにも、食材のチョイスといい、ところどころにハーブを効かせた味付けといい、誰の顔を思い浮かべて作ったのか丸わかりのラインナップとなっている。
ひゅっと息を呑んで、フィアナは飛び上がった。なんだ、このお弁当は。メニューの組み方がお花畑だ。お花畑弁当だ。
「エリアスさん、これは……っ」
「ありがとうございます。すっごく、すっごく嬉しいです」
焦って誤魔化そうとするフィアナを遮るように、エリアスの長い腕がフィアナをそっと包み込む。そのまま、小鳥がついばむようにそっと頬に口付けを落とすと、アイスブルーの瞳でフィアナの顔を優しく覗き込んだ。
「貴女の愛情、いただきます」
真っ赤になるフィアナの隣で、エリアスはさっそく卵サンドイッチに手を伸ばす。ぱくりと大きな口を開けて齧りついた彼は、すぐに感激したように目を丸くした。
「美味しいですっ。味付けまで、私好みです……っ!」
「わかった、わかりましたから! いちいち報告しなくていいですから、たくさん食べてください!」
しっ、しっと追い立てるように手を振れば、エリアスはこくこくと頷く。そして、見ていて気持ちがいいくらい夢中にサンドイッチを食べ始めた。
続いてマリネに手を出し、一口食べて幸せそうに悶えるエリアスの隣で、自身もサンドイッチを頬張りながらフィアナはこっそりほほ笑む。
喜んでいるエリアスは可愛い。何より、そんな彼の表情を引き出したのが自分だということが、たまらなく嬉しい。
(なんていうか……すっかり私も、絆されちゃったな)
気恥ずかしさ半分、呆れ半分、フィアナはそう嘆息する。けれども、彼との距離感が日増しに近づいていくこの感覚は悪くない。――悪くないどころか、ひどく心地よい。
いまの自分たちなら、いっぱしにカップルに見えるだろうか。ほんの少しくすぐったい気持ちを噛みしめながら、フィアナがなんとなしに顔を上げた時だった。
フィアナは息を呑んだ。呑んでしまった。
(キス、してる……)
フィアナの視線の先、二人が座っているのとは少し離れた木陰の下で、カップルらしい若い男女が熱く、それはそれは濃厚に口付けを交わしている。この距離で聞こえるわけもないのに、リップ音や息遣いまで聞こえてしまいそうな熱心さだ。
「フィアナさん? どうかされましたか?」
「い、いえ。なんでも」
食べる手まで止まってしまっていたのがいけなかったのだろう。異変に気付いたエリアスに顔を覗きこまれ、フィアナは慌てて目を逸らした。
〝顔を合わせているだけじゃ嫌なんです。私はもっと、フィアナさんといちゃいちゃラブラブしたいんですっ〟
先日のエリアスの言葉が、どきどきと早まる鼓動の合間に蘇る。
彼の言う「いちゃいちゃ」とは、どこまでを指しているんだろう。あそこにいるカップルのようなことを、彼もしたいと望んでいるんだろうか。
(もしかして、もっと先まで?)
考えてしまったが最後、フィアナはぽんっと顔に熱が集まるのを感じた。
……経験はないが、フィアナとて概念としての知識はある。考えるだけで恥ずかしくて死んでしまいそうだが、エリアスとそういうことをするのが嫌かと問われれば、断じてそうではない。だが、何分早すぎる。じゃあ、いつまで待てばいいのかと言われても答えられないが、もう少し時間が欲しい。気がする。
そんな風に赤面するフィアナの頭のなかで、突然声が響いた。
《なにを清純ぶっているんだか。エリアスさんにいちゃいちゃしたいって言われて、ちょっとは期待しちゃったりしたくせにっ》
悪魔フィアナ、降臨である。尖ったしっぽをにょきりと揺らして、悪魔フィアナはいたずらっぽく微笑んでみせる。
《エリアスさんは大人なんだし、黙って全部委ねちゃえばいいの。いくとこいって、メロメロにラブラブしちゃいましょうよ》
《だ、だめよ、そんなの!》
新たな声が乱入した。天使フィアナ、降臨である。
ふわふわの白い羽をぱたぱたと揺らしながら、天使フィアナは両手を祈り合わせた。
《いくらエリアスさんが好きだからって、嫁入り前の娘がそんなことをしてはいけないわ。清く正しく、節度を持ったお付き合いをしなくては》
《はぁぁ? それいつの時代? 大丈夫? 今を生きてる??》
心底呆れ切った様子で悪魔フィアナは首を振る。そして、天使フィアナを意地悪く肘でつついた。
《じゃあ、なに? エリアスさんとは結婚しない限り、このままでいいんだ? 手を繋いで、ハグだけして? それで満足ってこと??》
《そ、そこまでは言っていないけど……》
《エリアスさんかわいそー。せめてチューもさせてもらえないなんて。そんなの、貴方を信用できませんって宣言するようなものじゃない。そんなんじゃ、エリアスさんの心も離れて行っちゃうかもよー?》
《そ、そんな!》
うろたえる天使フィアナを、さらに追い詰める悪魔フィアナ。すると天使フィアナは、そわそわと頬を染めながらぽそぽそと白状する。
《ちゅ、チューはその、許容範囲というか……》
(いいの!?!?)
予想外に早々に折れた脳内天使に、主人格フィアナは思わず突っ込みを入れる。だが、目を白黒させる主人格をよそに、天使フィアナと悪魔フィアナは急に結託してキスを急かし始めた。
《ほらほら。天使さまの許可も下りたわけだし、しちゃおうよ! ぶちゅっと!》
《そ、そうですね。ここは勇気の出しどころです。私たちとエリアスさんが幸せな未来を描くために、ここは一発、キッスをぶちかましてみせましょう》
(そ、そんな……。急にそんなこと言われても、私!!)
――ぷすぷすと頭から湯気が出そうなほど真っ赤になって固まってしまったフィアナを、隣に座るエリアスは不思議そうに見守っている。
だが、ふとフィアナが見ていた方向を確かめた途端、急に彼女がおかしくなってしまった理由をエリアスは察した。
しばしそちらを眺めていたエリアスだったが――やがて小さく苦笑をすると、水筒の栓をきゅぽんと抜き、一緒に持ってきた小さなコップにトクトクと注いだ。
エリアスはそれを、フィアナの前に差し出した。
「どうぞ。ベリーのジュースです。甘酸っぱくて美味しいですよ」
「え? あ、はい。ありがとうございます」
我に返ったフィアナは、礼を言ってジュースを受け取る。こくこくとそれを飲んでいると、エリアスはぽんぽんとフィアナの頭を撫でた。
「あ、あの? どうしたんですか?」
「なんでもありません。ささ、食べましょう。このままでは、フィアナさんの分まで私が食べてしまいますよ?」
にこりと微笑んで、エリアスが次のサンドイッチを手にとる。その笑顔に若干釈然としないものを感じつつ、そのあとは彼と会話を弾ませながら、平穏にピクニックランチを楽しんだのであった。