翌朝、フィアナは鏡に全身を映して入念にチェックしていた。
(髪型良し、スカート良し、カバン良し、合わせる靴も良し)
以前、「いつか、必要になるときが来るかもしれないからっ」と、キュリオがコーディネートしてくれたスタイルに身を包み、フィアナはくるりと鏡の前で回る。さすがは街一番の仕立て屋、センスがいい。自分で着といてなんだが、いくらかサマになっている気がする。
(まさか、本当にこんな日が来るとは思わなかったな)
そのように内心呆れつつ、自分が言い出したことなのだからと腹を括る。そして、まだ時間には少し早いが、フィアナは家を出て、待ち合わせを約束した噴水広場を目指した。
〝私の一日、もらってくれませんか……っ!?〟
今できる精一杯の想いを乗せ、フィアナがそう告げたあと。エリアスはしばらく、ぽかんと驚いた顔でフィアナを見下ろしていた。
――この時、幸せの供給過多により、エリアスの脳は一時的に著しく処理速度を落としていた。そのため彼はなかなか返事をよこさなかったのだが、そうとは知らないフィアナは無反応のエリアスに焦り、必死に言いつのった。
〝私、なんでもします。お姫様抱っこも受け入れますし、あーんして欲しければあーんもします。ね、猫耳は……少しハードルが高いですが、本当にエリアスさんが見たいなら頑張ります。エリアスさんの望みを、出来るだけかなえたいんです〟
〝なんでも……、なんでも!?〟
ようやく頭の処理が追いついたらしい。ぎょっとしたように目を見開いたエリアスは、ぼっと沸騰するように顔を赤くすると、勢いよくそっぽを向いた。
突然の奇行に、フィアナは訝しんで眉根を寄せた。
〝あの? エリアスさん??〟
〝す、すみません。少々、邪な方の私が出てきてしまいまして……〟
〝はい? ヨコシマ?〟
意味が分からず、ますます首を傾げるフィアナ。だが、ふとエリアスが顔を赤くした理由に思い当たると、自分も負けず劣らずリンゴのように顔を赤くし、慌てて両腕で身体をかき抱いた。
〝ちょ、ちょっと!? まさか、なんでもって、そういうコトを考えたんですか!? 最低!! えっち!! エリアスさんのエロリアスさん!!〟
〝んなっ!? 違います、誤解です! ……そりゃ、ほんの少し、ほんの一欠けら、そんなことも考えたかもしれませんけど。けど!! 誤解です!!〟
ちなみに、このときエリアスが思い浮かべたのは、あくまで先日の『秘密の夜』のような無防備で甘々なフィアナの姿がメインだった。そもそも、その夜のことを覚えていないフィアナには、説明しようもないことであったが。
〝と、とにかく! そういうわけですから、私にしてほしいこと、考えといてください。いいですね。くれぐれも、親にも話せる範疇にしてくださいよ〟
念押しをしつつ、フィアナはぷいとそっぽを向く。そのまま、小走りに奥へと退散しようとしたのであったが――。
〝決めました!〟
長い腕が、行く手を阻む。通せんぼをされたフィアナは、恐る恐る彼を見上げる。すると、ほのかな熱を湛えたアイスブルーの瞳が、まっすぐにこちらを見つめていた。
〝デートがしたいです、フィアナさん〟
顔を覗き込み、彼はそう言ってほほ笑んだ。
(それで、今日がデートになったんだけど……)
噴水広場に到着したフィアナ。しかし、せっかく到着したというのに、フィアナは当たり前のように先にいて待っているエリアスの視界に入らないように、影に隠れて頭を悩ませていた。
(デートって……なに?)
目下の悩みは、それであった。
もちろん、フィアナとて『デート』の意味は知っている。付き合っている男女、もしくは気になる異性とふたりきりで遊びに出かければ、それすなわちデートである。
しかし、概念云々は置いておくとして、具体的にはデートと普通のお出かけだと何が違うのだろう。現在進行形で言うならば、今のように相手が先に待ち合わせ場所にいた場合、何と言って合流するのが正しいデートなのだろうか。
(ああぁあ……。こんなことなら、デートのいろはについても、先にキュリオさんに聞いておけばよかった……)
そのように、物陰でひとり後悔した時だった。
「フィーアナさんっ」
「みぎゃあ!」
いつかのように背後から急に呼びかけられ、フィアナは飛び上がった。振り返ったところでほわほわとほほ笑むのは、言わずもがな、エリアスである。
ばくばくと心臓が嫌な跳ね方をしている胸を押さえて、フィアナはどきまぎと聞いた。
「にゃ、な、なんで!?」
「前にも言いましたよね。髪の毛一本からだろうと、フィアナさんを見つけてみせるって」
にこにこと答えるエリアスに、フィアナは脱力した。そういえば、彼はそういう男だった。
というか、「おはようございます」とにこやかにほほ笑むエリアスは、あまりにいつも通りだ。緊張して、あれこれ悩んでいた自分が馬鹿らしくなるほどだ。
デートって言っても、そんなに身構えなくてもいいのかな。
若干拍子抜けしつつ、安心をするフィアナ。そんな彼女を見下ろして、エリアスは感動したように目を潤ませた。
「フィアナさん……今日の水色のワンピース、すっごくお似合いです。私のために、おめかししてくれたんですね」
「そんなこと言って、エリアスさんは私が何着てたって大絶賛するじゃないですか」
「当たり前です!! 天使で女神でマイスウィートハニーなフィアナさんに、似合わないものなどありません! フィアナさんが舞踏会に出席したなら、たとえ身にまとうのがボロ布であれ、その夜の主役として輝くことになるでしょう!」
「出来ませんし、仮にそんな事態に陥ったらさすがに着替えさせてください」
呆れて答え、じとっとエリアスを睨む。
ここまではいつも通り。――どこまでも、いつも通りだったのだが。
「ただ、それはそれ、これはこれです。……今日も明日も明後日も、フィアナさんは可愛いです。けど、私のためにおめかしをしてくれたフィアナさんは、特別に可愛いです。――愛おしくて、ぎゅって、抱きしめたくなっちゃいます」
ひゅっと息を呑んで、フィアナは硬直した。抱きしめたくなっちゃうどころか、その言葉の通り、エリアスの長い腕にすっぽりと体を包まれてしまったからだ。
「だ、抱き、抱き……っ!?」
「はい、有言実行です。今日の私たちは、デートですので」
顔を真っ赤にして慌てるフィアナに、エリアスはふにゃりと幸せそうに笑う。
そのまま自然に手を握ると、「行きましょうか」とエリアスは腕を引いた。
デートって、やっぱり全然いつも通りじゃないな、と。今日一日、自分の心臓が持つかどうか心配になりながら、フィアナはそんなことを思ったのだった。