「おはようございます……」
翌朝。やたら疲れた様子で、エリアスはダイニングに現れた。
きれいな銀白の髪にぴょんと寝ぐせをつけ、宰相としての激務をこなしていた時にも見せたことがない大きなクマを目の下にこさえたエリアス。
ちょうど朝食のためにテーブルを整えていたフィアナは、心配して声を掛けた。
「大丈夫ですか、エリアスさん。昨日はそんなに遅くまで、起きてお店のことを考えてくれていたんですか?」
「ああ、いや。今後の策については、早い段階で見通しがついたのですが……」
言いよどむエリアスは、どうにも歯切れが悪い。
「時にフィアナさん。昨晩は、何か変わったことはありませんでしたか?」
「変わったこと、ですか?」
「訂正します。よく眠れましたか、という意味です」
訝しんだ途端、エリアスがすかさず言い直す。それに違和感を覚えつつ、フィアナは昨晩のことを思い出そうとした。
「そうですね。私も、色々とこれからのことを考えてみようと思ったのですけど……。恥ずかしながら、ぐっすり寝てしまいました」
「……途中、目が覚めたりは?」
「してないと思いますよ……? 朝までこんなに気持ちよく眠れたのはひさしぶりで、おかげさまで今朝は元気です」
ぐっと両手を握って、元気アピールをするフィアナ。しかし、対するエリアスは「なるほど、なるほど……」と、ますます疲れたように言うだけだ。
「あの。私が一番の予備軍だと、理解したうえで言うのですが」
ややあって、珍しく彼はそんな言葉を添えて、不思議な忠告をした。
「フィアナさん。悪い狼さんにパクりと食べられないよう、ちゃんと気を付けるんですよ」
「……え? 待って、エリアスさん。それどういう意味ですか? あ、目をそらした! こら、ちゃんと答えてください! エリアスさん!?」
そうこうしているうちに、全員分のオムレツを焼き上げた母に、フィアナは呼ばれてしまう。それで結局、フィアナは昨夜のことを問い詰めるのを忘れてしまうのだった。
「新メニューを勘案いたします」
フィアナ一家に混ざって朝食を食べ終えた頃。エリアスがそのように宣言した。
父と母、そしてフィアナの間に、つかの間の沈黙が流れる。一拍遅れて、ベクターとカーラは同時に叫んだ。
「スパイスか(ね)……!」
「いったんスパイスから離れようよ、ふたりとも……」
――さて。改めて状況を整理しよう。
事の発端は、大通りに新しくできた異国料理店。そこではスパイスをふんだんに使った料理が振舞われており、その店のヒットがきっかけとなって、街全体でスパイスそのものが一大ブームとなっている。
だが、グレダの酒場は北部の田舎料理とエールを売りにした店だ。当然ながら、異国情緒あふれるスパイスを使うような文化は北部にはない。流行に乗ろうとすると、これまで店が貫いてきた姿勢に反してしまう。
だからこそ父も母も悩み、売上が厳しくともスパイスを使った料理の提供に踏み切らなかった。それを知っているエリアスが、今更「新メニューはスパイスで」などと言い出すわけがない。
そう思って彼を見れば、案の定エリアスはにこやかに頷いた。
「フィアナさんの言う通りです。スパイスは無視。あくまで、グレダの酒場のフィールド内で勝負をすることといたしましょう」
エリアスによれば、スパイスを使った料理を出せば店が流行るのかと言えば、そんな甘い話ではないそうだ。やはり人気なのは、ブームの火付け役となった異国の味。たとえ猿真似であろうと、それに似た味を再現できている店が、客足を伸ばしているらしい。
「つまり、中途半端にスパイスを使ったところでお客さんには見向きもされません。それに元常連さんは、いまは離れていてもいずれ戻ってくる可能性があります。その人たちが帰ってきたときにがっかりしないように、お店のコンセプトは大きく崩すべきではありません」
「だったら、どんなメニューを考えれば……」
「『豊富なエールと、美味しい北部料理』。その魅力を、最大限アピールするメニュー。それこそが、私たちの目指すものです」
質問を待っていたように、エリアスは借りていた店のメニューを取り出した。
「確認です。単にお客さんを増やすだけがゴールではありません。お店のファンを増やし、通ってもらうまでが目標です。尚、元常連の方はいずれ戻ってくる可能性が高いので、目下のターゲットは新規に絞ります。ここまではよろしいでしょうか」
「異議なし」
「異議なし」
「異議なし、です」
口々に答えるフィアナ一家に、議長よろしくエリアスは頷く。
「とはいえ、ファンとして定着する前のお客さんは誰もがビギナー、いわば観光客です。『またここに来たいな』と思ってもらうためには、限られた時間のなかで効率よくお店の魅力を知っていただく必要があります」
そこで!とエリアスはエールメニューを指さした。
「初心者向けワガママメニュー、『北部エール飲み比べセット』を提案します」
「飲み比べ??」
「通常よりも小さなグラスを用意し、別々のエール3杯をワンセットとして提供します」
フィアナたちは顔を見合わせた。その中で、代表してベクターが手を挙げる。
「そんなことをしなくても、大きなジョッキを順番に注文して飲んだほうが、たくさん飲めていいんじゃないかな?」
「と、思うからこその逆転の発想ですよ」
気のせいか、エリアスの目がきらんと光る。フィアナはなぜか、罠にかかった獲物を嬉しそうに確認するエリアスの姿をそこに見た気がした。
「いいですね。先ほども申し上げたように、ビギナーさんは観光客です。つまり、初めての場所にきて、右も左もわからない状態です。冒険をしてみたいし、けれども失敗もしたくないし。そんななか、飲み比べセットを見つけるのです」
フィアナは想像をした。慣れ親しんだ味と並ぶ、普段あまり口にしない北部のエール。まさに『お試し』といった風に、少しずつ飲み比べができるお得なセット。
「飲み比べセットは、いわばシンボルです。それがあることで、ビギナーさんもここが豊富なエールを売りにした店だと理解します。おっしゃる通り、ジョッキで飲めばいいんです。ただし二杯目から。飲み比べセットで気に入った味を」
それから、とエリアスは今度は料理メニューを指さした。
「少し手間になりますが、エールにあわせたオススメ料理一覧をつくりましょう。白エールには野菜とソーセージのポトフ。黒エールには若鳥のトマト煮込み。できればイラスト付きで。ボードにでも書いて、壁に掛けておけばいい。そのほうが、季節ごとに変えられます」
「けど、どのエールにどの料理を合わせたって、お客さんの自由じゃない?」
今度はカーラが手を挙げた。すると、エリアスは大きく頷いた。
「おっしゃる通りです。本音を言えば、好きにすればいいんです。何を飲もうが、何を合わせようが、ひとにはそれぞれ好みがあるんですから。ですが! 思い出してください。ターゲットはビギナーさんです。いわば観光客です。初めて訪れた右も左もわからない街で、地図だけ渡され『ご自由に』と言われても、どこに行くか決められますか?」
「たしかに、それは迷っちゃうかもしれないわねえ」
妙に説得力のある言葉に押されて母は頷いた。長い指を絡め、エリアスは不敵にほほ笑む。
「ビギナーさんは、とりあえずコレとコレとコレ。そこさえ押さえておけば、初めてでも十分楽しめる――。観光が成功している街は、必ずと言っていいほど、そういう打ち出しをしています。味を占めた観光客は、二回目からはよりコアな部分を覗いてみたくなる。お店選びだって、同じ心理が働くはずです」
「なるほど……?」
「簡単に取り組めそうでありがたいけど……これだけでお客さんが戻ってくるかな?」
半信半疑と言った様子で、両親は顔を見合わせる。それに、エリアスは苦笑した。
「もちろん、これで万事解決とは思っていません。適宜工夫を重ねていくとして、手始めに取り組んでみませんか?」
「そうだよ! 難しいことじゃないし、出来ることは全部やってみよ?」
フィアナが加勢すると、両親は揃ってぱちくりと瞬きをする。そして「確かにね」と笑いあった。
「ああだこうだ言っていても仕方ないもんね。まずはやってみましょうか」
「そうだね。ひとりでも響いてくれたら、うちとしてはありがたいしね」
「……信じてくれて、ありがとうございます」
両親が口々に賛同するなか、エリアスがこそっとフィアナに囁く。それに首を振ってから、フィアナも囁き返した。
「それより、呼び込みのほうはどうするんですか? 昨日と同じだと、またエリアスさん狙いのお客さんばっかりになっちゃいますよ」
「いい着眼点です」
満足そうに頷いて、エリアスは胸元から一枚の紙を取り出した。
「その解決策には、これを使います」
促されるままに受け取り、フィアナは視線を落とす。そして、一目見て納得した。
「エリアスさん、これ……」
「はい」
悪戯っぽく、エリアスは片目を瞑ってみせた。
「お客さんを呼び込め作戦、今日から本格リベンジです!」