言葉がわからないのは外国だからだと、赤ちゃんユーリは考える。とはいえ、考えるといっても、睡眠の間の空腹感につきうごかされて泣いてる時を除くから、ほんの短い意識がはっきりする時にすぎなかった。

 その上、そんな貴重な時はしばしば初めての子供に興奮して愛情を与えたくてうずうずしている新米パパに邪魔される。

「ユーリ! パパでちゅよ~わかりますか? ユーリちゃんはママに似て美人でちゅね~変な男に引っかかったら駄目でちゅよ~」

 赤ん坊がどんな変な男に引っかかっるのかと疑問は山づみだが、泣いてもおっぱい飲んでも寝てもない貴重な時間はパパタイムだ。

 だがこのパパタイム、ユーリにとっては良い事もあった。

 赤ん坊の記憶力はハンパない。毎日毎日熱心に話しかけるウィリーのお陰と有里の知識とで飛躍的に言葉を理解していった。

 ただ残念なことに、ウィリーもローラもユーリに赤ちゃん言葉で話しかけるので、正確な言葉はなかなか身に付かなかったし、話すのも赤ん坊の舌ではなかなか難しい。 

 それでも一般的な赤ん坊より早くユーリは話し始める。

 ウィリーはユーリの初めての言葉がパパであったら嬉しいなぁと思いつつも、ママには勝てないかなと授乳中の母子をうっとりと眺める。

 ローラもユーリが口を何か言いたそうにパクパクさせる度に、まだ早いかなと思いながらも、ママと呼んでくれる日がくるのを心待ちにしてた。

 両親の期待に背くようだがユーリの初めての言葉は『マンマ』だった。

「マンマ」

 ウィリーもローラもがっかりするどころか有頂天になって喜んだ。

「ウィリー! 今、ユーリちゃんがマンマって! マンマって言ったわ」

 玄関先のベンチに腰掛けて畑の土がついた長靴を脱ぎかけていたウィリーは、片足はいたまま居間に飛び込んでユーリにもう一度話してくれと懇願する。

「マンマ」

 親バカ丸だしで喜ぶ両親に、お腹がすいてると訴えて、マンマと言ってもなかなか通じず、ユーリは間違ってるのかと少し落ち込んだ。

 こうして少しずつ赤ちゃんユーリは言葉を話すようになった。



 季節も春になり暖かくなったので、そろそろ外に出しても良いだろうと新米両親は考えて、産着にタオルに毛布とぐるぐる巻きにして恐る恐る赤ん坊を抱いて家の外に出た。

 暖かい日の光に頬を撫でる少し肌寒い風。 生まれて初めてのお外に、ユーリは興奮して辺りをキョロキョロと眺め回す。

「ほら、ユーリちゃん、おひちゃまですよ」

 丘陵地のくぼみに建つ家のポーチから眺める新世界は、のどかで美しい。

 まだ春が浅いので、畑は耕したばかりの畝が続いてるだけだが、家の周りの菜園には野菜が順調に育っており、ポーチには早咲きのバラが一、二輪咲いている。

 ユーリはこの数ヶ月で、此処が日本ではないとは思っていた。

 しかし、家で夜にロウソクしか灯らない事とか、外国にしてもかなりど田舎? 何か変だと感じる。

 窪みだから他の家は見えなかったが、近所に人が住んでるのは確かだ。ユーリが生まれてから、新米両親を心配して、何人かの主婦が入れ替わり家事や育児を手助けしてたからだ。

 それにしても車の音を聞いた事が無い。

 その疑問は家の脇にある小屋から馬が首を出し、新しく加わった家族を歓迎するように嘶いてるのを見て馬車かと納得……するわけが無い。

『馬車?? たしか宗教的理由で、機械文明を排除した生活をしてる人達がいたはずだけど……』

 不確かな記憶を呼び起こしてるユーリを抱いて、ウィリーは小屋の方に歩いて行く。

 突然、巨大な狼に飛びつかれた!

「フギャ~」

 驚いて泣き出した赤ん坊に、申し訳有りませんとフサフサした尻尾をたらす。

 興味深々な金色の視線で、赤ちゃんを眺めてる巨大な狼に笑いかけながら、ウィリーは一人と一匹を紹介した。

「シルバー、これが僕の娘、ユーリ、可愛いでしょ。ユーリちゃん、これがパパの友達のシルバー」

 銀色巨大な狼は行儀よく頭を下げて『ユーリ、良い名前だ』と挨拶をしてきた。

 狼が挨拶?

 狼が話してる!

 びっくりして泣き出したユーリと『狼が喋って何が悪い?』と問いかけるシルバーの言葉で、ウィリーは我が子が狼と会話できる事に気がついた。

「ユーリちゃんはシルバーの言葉がわかるんだね? 僕の血を引いたんだ」

 嬉しいような、ちょっとややこしい事になる不安を感じながら、ウィリーはユーリをきつく抱きしめる。

 最初の出会いこそぎこちなかったものの、この一人と一匹は凄く仲良くなった。

 ウィリーが焼き餅を焼くぐらいに……

 どちらに焼き餅を焼いてるのかはウィリー自身にもわからなかった。

 狼が話す?

 ここは……

 私の知ってる世界ではないのかも………

 ユーリの疑問は深くなっていく。


「狼と話せる事はパパとユーリだけの秘密だよ。あっ、それとシルバーは狼じゃないんだ。ちょっと大きな犬! ワンワンだよ」

『俺が犬なわけ無いだろう』と誤魔化そうとするウィリーに白けた目線を向けるが、平和な生活を守りたいと熱望する気持ちもわかるシルバーは『ユーリ、秘密にできるよな』とニンマリと鋭い牙を見せて微笑みかける。

「コラッ、シルバー! うちのユーリちゃんを脅すな」

 子牛ぐらいある狼に、キラリとその気になれば一瞬でかみ殺されそうな牙を見せつけられて凄まれても、ユーリは少しも怖くなかった。

 シルバーは狼だし、生きていく為に動物を狩って食べるだろうが、親友の娘を傷つけたりしないと信じられたからだ。

「ワンワン」「ワンワン」とはしゃぐユーリに安心してるウィリーに聞こえないように『ユーリ、お前何者なんだ?』答えによってはただじゃおかないとシルバーはユーリを睨みつけた。

『私はユーリ、ウィリーとローラの子。ただ、前世の記憶があるの』

 金色に光る目を誤魔化す事は出来ない。

 いや、誤魔化したり嘘をつきたくない。

 誤魔化したりしたら、きっと二度と口を聞いてくれなくなる。

 そう直感したユーリは真実を打ち明けた。

『なるほどな、だから少し変わってるのか。まぁ、ウィリーとローラの子だ。変わってて当然だな』

 変わってて当然?

 狼と話せるパパなんて此処でも変わってるの?

 という事は地球?

 喋る狼とかも、ど田舎には隠れ住んでたの?

 シルバーに此処は何処かと尋ねても『ウィリーとローラの家』と答えるばかりで埒はあかず、とりあえずもう少し様子を見るしかない。

『ユーリ、早く走れるようになれ! そうしたらお前は自分の目で世界を見られる』

 なんで歩けないのかと憐れむ目線に、人間が歩けるようになるには一年かかると返事したら、更に憐れみの視線を向けられて、可能な限り速やかにハイハイをマスターするぞと心に誓ったユーリだ。