プロローグ  有里ゆり

『人、人、人……! もう! 都会にはうんざりだわ!』


 両親を幼い時に事故で亡くし、祖母に育てられた有里は絵を勉強しようと都会の大学へ進学した。両親の残してくれたお金で大学の授業料は払えるが、生活費は奨学金とバイトだ。

『他のバイト探そうかな……』

 立ちっぱなしのバイトで疲れた足で、とぼとぼと歩きながら有里は愚痴る。夜遅くまでのバイトは、祖母に育てられて早寝早起きの生活習慣が身についた有里には負担が多い。

『ああ、今頃は菜の花畑が綺麗だろうなぁ……』

 都会暮らしに疲れた有里は、故郷の菜の花畑を思い出すが、首を思いっきり横に振る。

『あの家にはもう帰れない!』

 大学に合格した冬、有里を育ててくれた祖母が亡くなった。

 祖母の葬式が済んだ途端、それまで田舎暮らしを嫌がっていた伯父夫婦が、丁度定年になったからとUターンしてきたのだ。入れ違いに大学進学の為に都会に出た有里は、帰る家を失った。

『生活費を稼がなきゃ!』

 都会には山ほどバイトがあるが、引っ込み思案の有里の条件に合うのはなかなか無い。それにバイトの面接は緊張してしまうので、遅い時間帯が嫌で辞めたいと思いながらも、踏ん切りがつかず続けている。


『……誰かついてきてる……』

 ぼやぼやと考えながら歩いてる間に一緒に降りた人は周りに見あたらず、しーんと寝静まった住宅街に有里と後ろからの足音だけが響いていた。

『……もしかして……痴漢……』

 心臓の音がバクバク煩くて頭がボーとなってくる。

 有里は落ち着くのよ! と自分に言い聞かせながら、歩くスピードをあげた。

 後ろの足音は遠ざかり、少し安心した有里はこっそりと振り返る。

 そこには何時もの住宅街が街灯に照らされていた。

『勘違いだったのかな……』

 自意識過剰だ! と恥ずかしくなって、有里はアパートまでの短い距離を疲れも忘れて走り出す。

『あの角を曲がると、下宿のアパートだわ』

 変哲もないブロック塀を曲がった途端、黒い服を着た男が有里に襲いかかった。

 有里の最後の意識に残ったのは 

『やはり痴漢だったんだ!』




 プロローグ 2 死神

『痴漢ではありません』

 ぼんやりしてる有里の耳に、澄んだ声が聞こえてた。

 声の方を見ると、長い白のローブを着た綺羅々しい男が有里を見つめて立っている。

『何処かでコスプレ大会でもあったのかな?』

 あまりに非日常な男の姿に呆れかえったが、一年も都会暮らしをした有里は、コスプレヤーに驚かない。

 しかし、男の言葉に記憶が蘇った!

『痴漢!』

『バイトの帰り道で痴漢にあったんだ!』

 パニックになって叫び続ける有里に手を焼いた男は、叫び声に負けない大声を張り上げる。

『だから痴漢じゃないって言ってるでしょう!』

『……本当に?……』

『ええ、人間と違って私は嘘はつきません。痴漢ではありません!』

『良かった! 痴漢じゃなかったんだ!』

 人間と違うって????


『あなたは強盗に襲われて死亡しました。まぁ、襲われてブロック塀に頭をぶつけて死亡したのですがね。今から、記憶を消去して、次の生に転生してもらいます』


 綺羅々しい死神は淡々と事務手続きを始めようと、何処からともなく書類を取り出した。


『私……死んだの?……嘘……嘘……強盗?……お金なんか持ってないのに……』 

 呆然としている有里の様子に突然の死を受け入れる用意が出来てないのを悟り、死神は眉を顰めた。

『ややこしい事になるかもしれない』


 普通、死神が迎えに行くと人間は死を受け入れ書類にサインして次の生に転生する。

 その時、たまに自分の死を受け入れず転生を拒む者が出る。

 一度請け負った人間が転生するまで死神は休めない。

 出だしからつまずいてるケースに深い溜め息をついた。

 有里で一億人転生で、休暇が貰えるはずだったのだ。

 これにしくじると、また一人からやり直しになる。

 でも、死神は葬式が済めば有里も自分の死を受け入れると、たかをくくっていた。

 後数日の辛抱だと……

 死神は有里の性格を読み間違えた。



『さぁ、お葬式も済んだ事だし、皆様とお別れもできたでしょう。何時までも此処に居てはいけません。次の生を始めましょう!』

 殺人事件の為、なかなか行われなかった葬式も犯人が逮捕されて、やっと終わった。

 これで踏ん切りがついただろうと、晴れやかに声をかけた死神を、ジトーッと有里は見上げる。

『なんか急いでない?』

 ぎくっとしながらも、死神はマニュアル通りにこの一週間繰り返した死と転生のシステムを説明し始める。

『もう、そんなの聞き飽きたわ。記憶を消去して、また一からやり直しなんでしょ。一からって、まだキスすらしてないわ。彼氏居ない歴19年! 痴漢は絶対絶対絶対、嫌だけど……何故、お金も2100円しか持ってないのに強盗殺人なの? そりゃ、私には2100円も2時間のバイト代より高いけど、殺されるぐらいならあげたのに……たった2100円の為に私は殺されたの?』 

『強盗殺人と言っても、貴女が転んで頭をブロック塀に……』

 ギロリと睨まれて、死神は口を閉じた。

 報告書と性格が違うのではと焦っていると、何処からともなく綺麗な声が聞こえる。

『まだなの? 早くバカンスに行きましょうよ』

 パッと現れた、これまた見たことのないような美人が死神にしなだりかかる。

『はは~ん、そ~ゆ~事なのね。美人の彼女とバカンスに行くのね。それで急いでたんだわ!』

 そういう訳ではない! 次の生に転生しないと地縛霊になり、そのうち消滅を迎えると説明しても、頑として受け入れない。

 二人のやりとりを聞いてた女死神が埒があかないと口を挟んだ。

『では、何が望みなの? 絶世の美女に転生する? 金持ちに転生して逆ハーレム作る?』

『ちょっと……そんなのマニュアルに載ってないよ』

 慌てる死神をマニュアル君なんだからと嫣然と笑い飛ばし、有里の方に書類を差しだす。

『望み……』

 少し考えて有里は口を開いた。

『私……田舎でスローライフしたい。都会の人混みや痴漢の恐怖や、まして強盗に殺されるなんて嫌だわ』

『あらあら……』

 簡単じゃないと呟いて、書類をサインしろと促した。

『本当に、田舎でスローライフ?』

『もちろん、ど田舎でスローライフよ』

 サインしながら……『ど田舎?』と疑問を感じたのが有里の本当に最後の意識になるはずだった……