「何度も言っているが、」


 ここは他の客とは離された部屋のようで、行き交うスタッフの邪魔にはならなさそうで助かった。建物自体には古さを感じるが、丁寧に掃除して清潔に保たれているのが分かる。いい店なのだろう。

「落ち着いた言動を心掛けろ。アンヌ嬢が努力しているというのにお前が足を引っ張ってどうする」

 壁際に追い詰められた形になったリックが、自覚はあるのか気まずそうに目を泳がせた。

「まず私もポール氏もお前の家族じゃないし、ここはお前の家じゃない」
「……似たようなもんだろ」

 子供のような言い訳をして、こちらを窺う。
 さも我が家と言わんばかりのあまりにもな自由な振る舞い、目に余るとため息が重くなる。「……指導が必要なのはお前の方だったな」黙っていれば落ち着いて見える容姿をしているだけに、これまでの付き合いから分かってはいてもその落差は大きい。

「浮かれるのは分かる。分かるが、何のために私が同行しているか思い出してくれ。きちんとエスコートをしろ。だがエスコートで手に触れただけでニヤつくんじゃない」
「だってアンの手だよ! あの白魚のような! 綺麗で可愛い手!!」
「うるさい」

 もともと使用人なのだから多少手荒れくらいありそうなものだが、手入れなど彼女の努力の賜物か、それともこいつの惚れた欲目で気にならないだけか。
 両肩を掴んで力説するリックの腕を振り払う。痛む頭を片手で押さえ、このままでは役目が果たせないと舌打ちしそうになるのを堪えた。

「お前はいいよな。手だって口付けだってし慣れてんだろ」
「そりゃあ、」

 今日この日にあの子との時間を取り上げたお前に言われたくはないと、口を突いて出そうになった言葉を飲み込む。

「ダンスでも手を取るし、出掛ければ手も繋ぐだろう。口付けだってもちろん、」

 本当なら今頃はあの華奢な手を引いてカフェにでも入っていたはずだ。
 甘いものを頬張る姿は可愛いの一言に尽きる。目を輝かせてフォークを持って、ハッとして上品に切り分けることを思い出し、だけど一口食べればまた子供のように眩しい笑顔になるのだ。
 思い浮かべただけで胸が甘く疼く。

「……指先や額にくらいは、するよ、いつも」

 私の言葉にリックがぽかんと口を開く。婚約して長いのにと、呆れたような呟きを投げられても。
 仕方がないだろう、あの子にとって私は兄でしかない。こちらがどれだけ想いを傾けたところで、それが現状なのだから。