「彦、見て見て!振袖だよ。似合うでしょう?」
かぐやは赤地に桜や菊の花などが誂えた振袖を着ていた。
帯は黒で毬だろうか。こちらにも花びらや繊細な模様が描かれていた。
彼女はくるっと一回転して見せた。照れているのか髪を手櫛していた。
「良く似合ってるよ。そういえば、俺が初めてかぐやと会った時も着物だったな。」
「あれは嫌々着せられていたわ。昔なんて十二単とか着ていたのよ。あれは重かったわ」
かぐやは普段、洋服を着ている。動きやすいジーンズをはくことが多い。
あまりオシャレには拘らないと思っていたが、大学の入学式となると目を輝かせて着物を選んでいた。レンタルではなく、購入した。彼女の涙で買った一着だった。
俺たちのアパートから大学まで徒歩十分ぐらいだった。
見学はいつでも行けたのだが、あまり外で顔を見られるのは避けていた。
受験以来、大学に入ったのはこれで二度目になる。
大学の建物は何棟かに分かれていた。中央には中庭があり、そのまわりを校舎で囲まれていた。中庭を突っ切った奥の校舎の一階には食堂がある。まだ何のメニューがあるのか知らない。入口に入ってすぐのところに講堂いわゆる入学式の宣誓が行われる場所だった。
それは地下にあり、1階は喫茶店になっていて、奥には事務室があった。掲示板にはアルバイトの募集やサークルの勧誘のチラシなど貼ってあった。
今日は新入生が集まるということで周りは人だらけ。今まで、目にしたことがない人の数。スーパーの値引き販売以上の形相だった。でもスーパーとは違い、周りはみんな晴れやかな顔をしていた。
敷地には所々に桜が植えられていて花を咲かせていた。風で花びらが舞い新入生を迎えているような気がした。
迎えられたのは大学の入口付近で待つサークルの勧誘だった。
山ほどの勧誘のチラシを貰った。陸上、剣道、弓道、将棋、歴史研究会、料理、手芸、漫画、など束になるくらいの数だった。これが春の嵐といったところか……。
かぐやも沢山もチラシを貰ったのだろうなと思い横に視線を向けると、彼女はナンパされていた。
「ねぇ、新入生でしょ?髪めっちゃ長いね?テニス一緒にやらない?俺が教えるからさ、一緒に喫茶店で話しようよ」
俺は一つ危惧していたことがある。それはかぐやの美貌だ。第一に髪が地面に着くほど長い。歩くたびに、男性がチラチラと横目でかぐやを見ていた。大学では目立つので、俺がすきバサミで切ろうと提案したが、即答で却下された。俺は自分で散髪していた。ある程度は髪を切ることに自負していたが、猫が獲物を見るような鋭い眼差しで俺に向けたのであえなく萎縮した。顔立ちは端正で綺麗という言葉が形容できる。化粧をしてないところが憎い。やはり、初めて出会った時から日本人形のようだということには変わりない。
そして、ついにナンパされた。
「テニス?よくわからないけど、手毬のようなものかしら」
声をかけてきた茶髪の男性は『面白いこというね』と特に気にした様子もなく、かぐやの肩に触れてきた。俺は今までかぐやに他の男性から言い寄ることがなかったので、かぐやを一人の女性として見てこなかった。十一年も一緒に暮らしている。でも今の状況は、どうやら、腹の底からムカムカしていたことに驚いた。まるで棘が刺さって取れないような感覚。俺はかぐやに嫉妬している。
そんなかぐやはこっちをちらりと一瞥し、俺の傍に近づいてきた。
「この人が私の彼氏なの。同棲しているのよ」
そう言い終えると、俺の腕にかぐやの腕を絡めてきた。
かぐやは何故か笑顔で振舞っている。
「手毬をするなら、かぐやのナンパに成功したかもしれんな」
言い寄ってきた男性はきょとんとしていた。しばらくして、『おい待てよ』と遠くから声が聞こえたが、その場から立ち去るようにして、俺はかぐやと喫茶店に向かった。
「ねぇ、彦、さっき嫉妬していたでしょう?」
喫茶店でかぐやはレモンティーを頼んだ。ストローで氷をかき混ぜていた。カランカランと音がする。
俺はホットを頼んでその湯気を眺めていた。
相変わらずかぐやはニコニコとしていた。
「手毬はないだろう」
「あら、楽しいのよ、手毬は。そういえばあの頃も男性から言い寄られたかしら」
「嫉妬してるんだよ!」
「素直でよろしい」
かぐやは俺のことが好きなのだろうか。それは聞けなかった。
今まで好きだと言われたことがない。
嬉しそうにする、かぐやはどう思っているのだろうか。
俺はかぐやのことが好きなのかもしれない。今までかぐやを守るつもりでいた。それは今も変わりない。
彼女が近くにいることで返って安心感を生んでいた。俺の傍にいてくれるだろうと。
かぐやがレモンティーを口にした。俺は思わず彼女の唇を見つめた。
「あのね、彦……」
かぐやは手を組んで、指を広げたり閉じたりしていた。
何か言いたい時にする仕草だった。
神妙な面持ちで俺を見ていた。
「織姫どうしたの?」
かぐやの声を制するかのように隣の席から大きな声を耳にした。
「あれ?財布がない!」
織姫と呼ばれた子はテーブルの下を探したり、喫茶店内をうろうろして歩いていた。
明らかに焦っている。
今にも外に行って財布を探しに行くつもりなのかもしれない。
俺は迷った挙句、彼女の前にゆっくりと歩み寄った。
「財布がなくてお困りですか?」
『はい、どうしよう』と答え、狼狽える彼女は手提げバックを必死で探していた。
「大丈夫、君の願いを叶えてあげる」
「ちょっと彦……」
かぐやは俺に何か言いたそうな顔をしていたが、自分の決心を揺らぐつもりはなかった。
「少し安心したおまじないをかけますね。目を閉じて、織姫さんのサイフを思い浮かべてください」
彼女は不安げに目を閉じた。そのあと彼女に目を開けて貰った。
俺は自分の右手を広げた状態にしてから握りこぶしを作った。
「手のひらを前に出してください」
彼女が差し出した手の上に俺の手を重ね合わせた。
「え?」
俺が手を離すと、彼女の手のひらには薄桃色の財布が現れた。
「さっき床に落ちてましたよ。中身を確認してください」
彼女が確認すると、『大丈夫です、無くなったものはありません』と嬉しそうに答えた。
周りが心配そうにこちらを見ていたので、拍手や『おおっ!』といったどよめきが沸いた。
織姫と呼ばれた女性に何回もお礼の言葉を貰った。
「彦、あなたは手品サークルに入るべきよ」
かぐやの声のトーンが低かった。
彼女は頬杖をついてふてくされていた。
「何か拗ねてない?」
かぐやは赤地に桜や菊の花などが誂えた振袖を着ていた。
帯は黒で毬だろうか。こちらにも花びらや繊細な模様が描かれていた。
彼女はくるっと一回転して見せた。照れているのか髪を手櫛していた。
「良く似合ってるよ。そういえば、俺が初めてかぐやと会った時も着物だったな。」
「あれは嫌々着せられていたわ。昔なんて十二単とか着ていたのよ。あれは重かったわ」
かぐやは普段、洋服を着ている。動きやすいジーンズをはくことが多い。
あまりオシャレには拘らないと思っていたが、大学の入学式となると目を輝かせて着物を選んでいた。レンタルではなく、購入した。彼女の涙で買った一着だった。
俺たちのアパートから大学まで徒歩十分ぐらいだった。
見学はいつでも行けたのだが、あまり外で顔を見られるのは避けていた。
受験以来、大学に入ったのはこれで二度目になる。
大学の建物は何棟かに分かれていた。中央には中庭があり、そのまわりを校舎で囲まれていた。中庭を突っ切った奥の校舎の一階には食堂がある。まだ何のメニューがあるのか知らない。入口に入ってすぐのところに講堂いわゆる入学式の宣誓が行われる場所だった。
それは地下にあり、1階は喫茶店になっていて、奥には事務室があった。掲示板にはアルバイトの募集やサークルの勧誘のチラシなど貼ってあった。
今日は新入生が集まるということで周りは人だらけ。今まで、目にしたことがない人の数。スーパーの値引き販売以上の形相だった。でもスーパーとは違い、周りはみんな晴れやかな顔をしていた。
敷地には所々に桜が植えられていて花を咲かせていた。風で花びらが舞い新入生を迎えているような気がした。
迎えられたのは大学の入口付近で待つサークルの勧誘だった。
山ほどの勧誘のチラシを貰った。陸上、剣道、弓道、将棋、歴史研究会、料理、手芸、漫画、など束になるくらいの数だった。これが春の嵐といったところか……。
かぐやも沢山もチラシを貰ったのだろうなと思い横に視線を向けると、彼女はナンパされていた。
「ねぇ、新入生でしょ?髪めっちゃ長いね?テニス一緒にやらない?俺が教えるからさ、一緒に喫茶店で話しようよ」
俺は一つ危惧していたことがある。それはかぐやの美貌だ。第一に髪が地面に着くほど長い。歩くたびに、男性がチラチラと横目でかぐやを見ていた。大学では目立つので、俺がすきバサミで切ろうと提案したが、即答で却下された。俺は自分で散髪していた。ある程度は髪を切ることに自負していたが、猫が獲物を見るような鋭い眼差しで俺に向けたのであえなく萎縮した。顔立ちは端正で綺麗という言葉が形容できる。化粧をしてないところが憎い。やはり、初めて出会った時から日本人形のようだということには変わりない。
そして、ついにナンパされた。
「テニス?よくわからないけど、手毬のようなものかしら」
声をかけてきた茶髪の男性は『面白いこというね』と特に気にした様子もなく、かぐやの肩に触れてきた。俺は今までかぐやに他の男性から言い寄ることがなかったので、かぐやを一人の女性として見てこなかった。十一年も一緒に暮らしている。でも今の状況は、どうやら、腹の底からムカムカしていたことに驚いた。まるで棘が刺さって取れないような感覚。俺はかぐやに嫉妬している。
そんなかぐやはこっちをちらりと一瞥し、俺の傍に近づいてきた。
「この人が私の彼氏なの。同棲しているのよ」
そう言い終えると、俺の腕にかぐやの腕を絡めてきた。
かぐやは何故か笑顔で振舞っている。
「手毬をするなら、かぐやのナンパに成功したかもしれんな」
言い寄ってきた男性はきょとんとしていた。しばらくして、『おい待てよ』と遠くから声が聞こえたが、その場から立ち去るようにして、俺はかぐやと喫茶店に向かった。
「ねぇ、彦、さっき嫉妬していたでしょう?」
喫茶店でかぐやはレモンティーを頼んだ。ストローで氷をかき混ぜていた。カランカランと音がする。
俺はホットを頼んでその湯気を眺めていた。
相変わらずかぐやはニコニコとしていた。
「手毬はないだろう」
「あら、楽しいのよ、手毬は。そういえばあの頃も男性から言い寄られたかしら」
「嫉妬してるんだよ!」
「素直でよろしい」
かぐやは俺のことが好きなのだろうか。それは聞けなかった。
今まで好きだと言われたことがない。
嬉しそうにする、かぐやはどう思っているのだろうか。
俺はかぐやのことが好きなのかもしれない。今までかぐやを守るつもりでいた。それは今も変わりない。
彼女が近くにいることで返って安心感を生んでいた。俺の傍にいてくれるだろうと。
かぐやがレモンティーを口にした。俺は思わず彼女の唇を見つめた。
「あのね、彦……」
かぐやは手を組んで、指を広げたり閉じたりしていた。
何か言いたい時にする仕草だった。
神妙な面持ちで俺を見ていた。
「織姫どうしたの?」
かぐやの声を制するかのように隣の席から大きな声を耳にした。
「あれ?財布がない!」
織姫と呼ばれた子はテーブルの下を探したり、喫茶店内をうろうろして歩いていた。
明らかに焦っている。
今にも外に行って財布を探しに行くつもりなのかもしれない。
俺は迷った挙句、彼女の前にゆっくりと歩み寄った。
「財布がなくてお困りですか?」
『はい、どうしよう』と答え、狼狽える彼女は手提げバックを必死で探していた。
「大丈夫、君の願いを叶えてあげる」
「ちょっと彦……」
かぐやは俺に何か言いたそうな顔をしていたが、自分の決心を揺らぐつもりはなかった。
「少し安心したおまじないをかけますね。目を閉じて、織姫さんのサイフを思い浮かべてください」
彼女は不安げに目を閉じた。そのあと彼女に目を開けて貰った。
俺は自分の右手を広げた状態にしてから握りこぶしを作った。
「手のひらを前に出してください」
彼女が差し出した手の上に俺の手を重ね合わせた。
「え?」
俺が手を離すと、彼女の手のひらには薄桃色の財布が現れた。
「さっき床に落ちてましたよ。中身を確認してください」
彼女が確認すると、『大丈夫です、無くなったものはありません』と嬉しそうに答えた。
周りが心配そうにこちらを見ていたので、拍手や『おおっ!』といったどよめきが沸いた。
織姫と呼ばれた女性に何回もお礼の言葉を貰った。
「彦、あなたは手品サークルに入るべきよ」
かぐやの声のトーンが低かった。
彼女は頬杖をついてふてくされていた。
「何か拗ねてない?」