家に戻ると、玄関先で梨乃と英里紗が待ってくれていた。
ふたりにぎゅうぎゅうと抱きしめられた。
「ありがとうすばるさん」
「…………いえ」
「おかえり!」
「……ただいま」
莉乃がすばるに頬を擦り寄せ、鼻先をくっ付ける。英里紗も同じようにして、おまけにごちんと額もぶつけてきた。
今まで清水にはしょっちゅうされていたことが、その意味が、すばるにもやっと解る。
ただのあいさつのようなものだと思っていたその行動。
仲間に対する親愛の証の行為。
家族だと心から認めてもらえたようで、すばるの目からぽろぽろと涙が落ちる。
英里紗がぐいぐいと手で拭ってくれた。
「泣くなすばる〜」
「勝手に出るんです……」
「移るからぁ〜」
英里紗はすばるが落ち着くまで、またぎゅうぎゅうと抱きしめ続けた。
僕もとその上から莉乃が覆いかぶさって、三人で笑い合う。
「すばるさん、目の色が」
「はい?」
「あ〜ホントだ〜」
「……赤いですか」
「違うよ、赤いけど。……瞳がね、清水君の色だね」
「え?」
「あの子色素濃いめだから黒が強く出てるけど、すばるさん元から薄めだもんね」
「だな〜、ウルフィーと同じ色だな」
「は?!」
「良いね燻した銀! カラコンいらず!」
「いや、逆に着けないとね」
「あ、そうだな!」
徳利を落としそうになって、はと我に返って持ち直した。
落とす前に渡してしまおうと、莉乃に差し出す。
「あ……あの、これたっつんさんが」
「うん? お酒?」
「ありがたーいお神酒です。清水さんが起きたら飲ませるようにって……それから、おまじないのお札……傷口に貼るようにって」
受け取った莉乃はにこにこと笑って、全て心得ているようだった。
「ありがとう」
「これで良くなります……よね?」
「これだけしてダメとかだったら、僕が殺してやる」
「はは……本末転倒です」
「あとは僕に任せて……すばるさんは休みなよ」
「お風呂ためといた!」
「うん、入っておいで」
「…………でも」
「だーいじょーぶ! ゆっくりしてこい!」
「…………はい」
「その前に袋つけてあげよう!」
「……ふくろ?」
「右手、濡れないようにね」
「あ、これ……」
布でぐるぐる巻きの手を持ち上げる。
「ぷふ……グローブしてるのかと思ったよ」
「ですよね……巻き過ぎですよね、これ」
「いいじゃん、鍋つかみいらずじゃん!」
「握れないんで、鍋つかめないですけどね」
英里紗がお風呂で手伝うと言ってくれたが、それは恥ずかし過ぎるので丁重にお断りした。
左手だけで、苦労しながらも、どうにかあちこち洗うことはできた。
ゆっくりお風呂に浸かって、気が抜けると、なんだかお腹が空いてくる。
そういえば何も作ってないから、みんな夕食抜きの状態だ。さっさと上がって準備しようとお風呂を出た。
服を着て洗面台の鏡を覗く。
何度見ても、言われた通りの燻した銀色。
光の当たる角度によっては、そこに青が混ざる気もする。
見慣れないから落ち着かないが、きれいな色なので、確かにカラーコンタクト要らずだなと笑う。
外に出る時は伊達眼鏡でもしてれば目立たないだろう。
帰省する時こそカラコンの出番だなと考える。
清水の色だと言われて嬉しかったのは、なんだか悔しいので黙っておくことにする。
お風呂からキッチンへ行くと、莉乃と英里紗がダイニングでお茶を飲んでいた。
「もっとゆっくりしてくればいいのに」
「いや、お腹空いたなって」
「だよね」
「何か作りましょうか?」
「冷蔵庫をご覧ください」
「はい?」
「ご用意してあります……デリバリーですが」
「わ! ありがとうございます!」
「みんなで食べようと思って待ってたんだよね」
冷蔵庫の中には、白いパックと、透明なケースにはサラダがどどんと積まれて入っていた。
「なんですか? ケチャップの匂い?」
「オムライスだよ」
「わーい! やったー!! 温めます!!」
こくこくと船を漕いでいる英里紗は、途中で食事をやめて莉乃に寝室に連れて行かれる。
待たせて申し訳ないなと思いながらも、待っていてくれたのはとても嬉しかった。
莉乃と続きをゆっくり食べて、すばるも休むようにと声をかけられる。
「……はい、えっと……清水さんの様子を見にいってもいいですか?」
「もちろん……片付けは僕がやるから、もう行っておいで?」
「はい……ごちそうさまでした」
「はい、ごゆっくりどうぞ」
清水の部屋をのぞく。
部屋の中は濃い藍色。初めて清水の部屋に来た時のように、カーテンの隙間から入る、外からの白っぽい灯りがゆっくりと点滅していた。
血塗れのシーツは取り替えられて、清水は長く寝そべっている。
呼吸はしっかり安定しているようで、すばるも安心してゆっくり息を吐き出した。
枕に乗っている頭と耳、首の辺りのみっしりもこもこの毛をわしわしと掴んで撫でた。
ベッドの横にひとりがけの大きなソファを引っ張ってきて、すばるはそこに座る。
すぐに眠気がやってきて、気絶するように眠りに落ちた。
後から様子を見にきた莉乃が、くすくすと笑いながらすばるに毛布をかけて、部屋を出ていく。
目が覚めたのは昼前だった。
ぼんやりとしながら頭の上の時計を逆さまに見て時間を確かめた。
回転の鈍い頭で、その原因が何かと考えようとしても、何も考えられないなと考える。
もうひとつ呼吸の音が聞こえて、そっちをすごい勢いで確かめた。
良く知っているそのリズムに、急速に目が覚める。
すばるがソファの上で丸くなって、肘置きに頭を乗せて寝ていた。
「…………す……!」
声が出そうで出ず、かすかすの息が漏れただけだった。
腹を刺されてから途切れ途切れの記憶の、全部が頭の中を駆け巡る。
布団から出てすばるの方へ向かう。
腹に張り付いているお札と、全裸なことに乾いた笑いが漏れる。
身体がぎしぎしと動きにくかったが、なんとか大きな音を立てないように、取りあえずパンツとズボンをはいたところで力尽きてあきらめた。
ベッドに戻って腰掛け、丸まったすばるの頬を撫でる。
目の下に濃く出ているくまを親指でそっと撫でた。よく眠っているらしく、ぴくりとも反応が無い。
「…………すばるさんのばか……おたんこなす、あんぽんたん……おたんちん……すかぽんたん……」
ふにふにと柔らかい頬を摘んで軽くひっぱる。
「……すき…………大好き…………すごい好き」
ソファから抱き上げて、ベッドに寝かせる。
自分もその横に転がって布団を被った。
すばるの体の冷たさに、ばかちんとつぶやく。
清水の温かさにすり寄ってくるすばるがかわいくてしょうがない。
ぎゅうぎゅうと抱き寄せて、やり過ぎて腹の痛さに脂汗を浮かべてゆっくりと息を吐く羽目になる。
頬を擦り寄せ、鼻先をくっ付けて、額を合わせる。
「…………大好きだよ、すばるさん」
すばるが起きたら、この状態を怒るだろうか、笑うだろうか、泣くだろうか。
そんなことを考えながら、清水は目を閉じる。
腕の中のすばるの温かさが同じになった頃、清水も安心して眠り始める。