清水は静かにゆっくりと横向きに寝転んで、片腕で肘を突いて手の上に頭を乗せる。
すぐ目の前にいるすばるの横顔を見つめた。
伏せられたまつ毛とすっとした鼻筋に視線を移していき唇へ辿り着く。
連鎖的にいつか味わった柔らかい感触を思い出してうっとりとため息をついた。
その気配にちらりと目線を横にしたすばるが飛び起きる。
「…………っくりしたぁ……!」
「んふふ……すばるさん」
「何してんですか! 脅かさないで下さいよ!」
「だってなかなか帰ってこないから、迎えに来ちゃった」
「……え? 今何時ですか?」
腕時計を確認すると19時を過ぎたところ。
そのまま文字盤が見やすいようにすばるの方へ向ける。
「うわ! え?! もうこんな時間?」
背後を見るとハイジが腕を組んで壁に寄り掛かっていた。
すばるは困った顔全開で、無表情のハイジを見上げる。
「ハイジさん、教えて下さいよ」
「声はかけたぞ」
「……あれ?」
「……一時間前に『はい』と返事をした」
「あ……」
少し前にそんなことがあったような気もするが、すばる的にはほんの5分かそこらの感覚だ。
ああと息を吐いて、両手で顔をごしごしと擦った。そういえば目が乾いてしぱしぱする。
完全に集中力が切れて、身体から力が抜けていく。
そうなって初めて肩や腰が凝り固まってぱんぱんに腫れている感じがした。
身体を捩ってごきごきと音を鳴らす。
「すごいことになってるんだけど、あっち……何発撃ってんの」
清水が目をやった先にはぼろぼろになった小さな紙製の的、床には一面に白っぽい小さな球が、クリスマスのイルミネーションのように散らばっている。
エアガンのライフルを使って射撃の練習を始めたのは午後になってから。
途中少しの休憩以外は、すばるはコンクリート製の床に腹這いの格好だった。
見るに見兼ねたハイジが下に毛布を敷いてくれたが、直接触らなくても腹の辺りが冷んやりしているのがわかる。
「うう……片付けます……」
空になればせっせとBB弾を詰め直して、用意してもらったのは5千発分、そのほとんどが10メートル先の床の上に散っていた。
ほうきで集めてちり取りで回収する。
清水が手伝い、ハイジは離れた場所で空のガス缶をぽいぽい袋に放り込んでいた。
「……こんなに撃ちますかね」
「すばるさんがやったんでしょ?」
「…………面白いんですよねぇ」
「ふーん」
「無心になるってこんな感じなんですかね」
「むし?」
「無心ですよ、何も考えない感じです」
「ああ、俺、鉄砲の良さはわかんないや」
「あらぁ……残念です」
片付けが済んで、三人でエレベーターに乗り込み、地上に向かう。
静かなモーター音が聞こえる中、ハイジの低音が重なった。
「明日は実弾でやるぞ」
「え?! ほんとですか?」
「今日のようにバカみたいに撃てないから集中しろ」
「バカって言うな!」
「……もっと練習しなくていいんですか?」
「今日がその練習だろう」
「いや、ほら、もっと……走り込みとか、ボール拾い的な」
「何の部活なの」
「地道な、下積み的な……」
「それは実践しながらできる」
「はぁ……なる、ほど?」
「走りたいなら他所で走り回ってろ」
「おい、アホの子みたいに言うなよ!」
「お前はうるさいから来るな」
「お前がうるさくしてんだよ!」
「清水さんホントうるさい」
「……ぎゃふん!」
くすくすと笑うすばるが堪らなく可愛くて、それでも自主規制を強いて手を繋いでいくに留める。
すばるに向かってにっこり笑い返すと、それを見ていたハイジが苦み走った顔になる。
「これからピザでパーティーしようって。帰りに買って帰ろう?」
「あ……すみません。遅くなっちゃって」
「気にしなくていいって。毎食作ってくれるのはホントありがとうだけど」
「はい……」
「もうちょっと外に慣れたら外食とかもすればいいし。ね?」
「はぁ」
「ハイジも来いよ、ピザなら良いだろ?」
「……ビール」
「いっぱいあるよ?」
「……おう」
事務所に寄らず、そのまま暗くなった町へ出る。
来るときは明るかったのに、すっかり変わってしまった町の風景を見て、すばるはううんと唸った。
すっかり習慣付いて、無意識のままヘッドフォンを取り出し、耳に詰める。
「……くるりは」
「は? 呼ばないよ、めんどくさい」
「え? そんなぁ……予定がないなら来てもらいましょうよ」
「呼んでも莉乃と英里紗がいるから来ないって」
「どうしてですか?」
「くいものにされるから」
「からかわれる的な意味で?」
「まぁ、半分は?」
「もう半分は?」
「そのままの意味で」
「うわぁ……」
「ピザ屋に寄るからこっち……ハイジは荷物持ち」
「解ってる」
ピザ以外にも色々買い込んで、温かいうちに食べたいから急いでマンションに戻った。
ハイジが訪れるのは久々で、莉乃と英里紗のテンションも高い。
賑やかに食べていると途中から達川も参加してさらに賑やかさが増す。
人の声を聞きながら、お腹が膨れたのも加わって、すばるはソファでうとうとし始めた。
「……すばるさん? 眠いの?」
「……だいじょうぶです」
「がんばったから疲れちゃったよね」
「すばるちゃん体幹凄いな〜、こんなふかふかの上で体育座りで寝てるよ〜」
「……ねてません」
「眠いならお布団行こう?」
「……ねむくない」
「目ぇ開いてないけど」
「…………ねむくない!」
「うわ! 驚きのかわいさ!……じゃあ、ほら、ごろーんしよ、ごろーん」
肩を抱き寄せるようにすると、何の抵抗もなくすばるは清水の膝に頭を乗せる。
もぞもぞと身体を縮めて丸くなった。
すぐに落ち着いてすうすうと気持ち良さそうな寝息を立てる。
「……ちょっと! 見てみんな!! こんなにかわいいとか、なに?! パラダイス?!」
「……お前の頭の中身がな」
「はは! どうとでも言うが良い」
「いやぁ、ホントかわいいね〜」
「達川は見るな! すばるさんが穢れる」
「いやぁ……しみちんの変貌ぶりが怖いわぁ」
「しみちん言うな!」
「んでハイちゃんどうよ〜すばるちゃんの塩梅は」
「……悪くない」
「出ました! ハイちゃんの『悪くない』! もう見習い卒業?!」
「助手にしておくのも惜しいな」
「え?! 本気?」
「狙撃手に向いてる」
「は?! マジで言ってんの?!」
「今度の仕事に連れて行く」
「……ハイジ」
「……行かせたくないなら今のうちだ」
「やぁ……すばるちゃんそんな?」
「集中が長く続く、勘も、精度も良い……物覚えも早いしな」
「おお、ベタ褒めね」
「本人も向いてるのが解ってる……止めさせたいなら急げよ」
全員の視線が清水に集まって、その清水は膝の上のすばるの顔を見ていた。
さらさらと前髪をかき分けながら頭を撫でる。
「…………決めるのは俺じゃない。やるもやらないも決めるのはすばるさんだよ」
「……いいのか」
「話はするけど……それを決めるのもすばるさんだね」
他人の生殺与奪の権をその手に握ること、自分も誰かに握られる惧れのあること。
巡りが悪ければ知り合いだろうが標的となり得ることもある。
それらを飲み込んでも生きる意志を持てること。生きていけること。
人であることを奪っておいてなお、清水は未だ迷う。
『まだ戻れる』猶予はあると、希望を持ってしまう。
楽しく過ごせば過ごすほど『まだ』と思ってしまう。
「……こんなとこじゃ休めないね。お布団行こうか」
ソファから抱き上げて、部屋に連れて行く。
布団を広げて、ゆっくりとその上に寝かせた。
体勢が変わって、冷たい布の感触に、すばるは薄らと目を開いた。
「ああ……起こしちゃった。お布団だよ、すばるさん」
掛け布団でくるむと、もごもごと奥へ引っ込んでいこうとする。
その前に頬を撫でて口付けた。
「……さけくさい」
ぐいと押し戻されてふふと清水は笑う。
「……おやすみ、すばるさん」
返事のような、そうでないような息を漏らして、すばるはそのまま寝入ってしまった。
添うように寝そべって、半分布団に隠れたすばるの顔を、眠くなって目を閉じるまで、清水はいつまでも見つめた。
思った通り、翌朝はすばるのお説教から始まる。