それから、私は必死になって車椅子で走った。
最初は軽量化された車椅子に乗るのに戸惑いがあった。
それでも私は、私にできることはこれくらいしかないと思った。
放課後、何度も陸上部の友達と一緒に走った。
皆が私を歓迎してくれて嬉しかった。また、同じように、共に走れる喜びを感じた。
今はまだ、二人が私のことに気づかなくても良い。
自分が走ることで自由になりたかった。
私はまるで怪我をしたことを忘れたかのようにさえ思えてきた。
どんなに辛くても二人の笑顔が見たかった。
三人で一緒にいたい。

気付けば時間が過ぎ去り、私は高校三年になった。
やはり、桧山は学校に来なかった。
それでも良い。
秋ヒマワリを一緒にみたように。私のことをいつか見つけて欲しい。

転機が訪れたのは春の陸上の大会で、私が出場できる運びとなった。
顧問の谷口先生が私のことを図らってくれたみたいだ。
陸上選手と共に車椅子で走ることは異例の措置だった。
私は嬉しくなった。また、大会に出られる
そう思うと、今までの努力が無駄ではなかったと思えた。
桧山にこの喜びを打ち明けたい。
今頃、桧山はどうしているのだろうか。

さらに良い事があった。
ついに、京子と仲直り出来たことだ。
京子は放課後、私が練習する姿を何度も目にしたみたいだ。
そんな私の姿を見て、心を打たれたと聞いた。
京子は『ごめんなさい、本当にごめんなさい』と泣いていた。
私も一緒に泣いた。『また友達でいてくれますか』とささやいた。
親友なのに敬語で伝えてしまうほど、京子との距離と時間を感じた。
不安で怖くて、それでも大切な人を失わずにすんだことに喜びを感じた。
京子は大会の応援に行くからと笑ってみせた。