その頃のハーヴェイ。
※
ハーヴェイは城を出る時、神官の加護が施された剣と鎧を身に着け、駿馬に乗り近衛騎士十数名を引き連れていた。
しかし、旅立ちから数時間経ち。
灰色のハイエナ――いや、ハイエナを装ったグールの群れに襲われて、ハーヴェイは必死に馬を走らせている。最初、近衛騎士達が反撃したのだが、剣で斬ってもグールは死なず、逆に返り討ちにあって喰われてしまったのだ。
……グールには鉄に弱い反面、一撃で仕留められず、もう一度斬りつけると傷が塞がり、復活してしまう厄介な性質がある。
他国の者なら子供でも知っていて、とにかく逃げて振り切るか一撃で何としても必ず仕留めるのだが、ハーヴェイ達は知らない。今まで結界に守られ、そもそも魔物と接する機会がなかったからである。
だから反撃され、近衛騎士を数人喰われてしまい――何故死なないのか、訳が解らないながらも必死に逃げることしか出来ない。
「何故……どうして、我が国に魔物が!?」
「お、おそらく結界が消えたからかと……」
「まだなのか!? あの後、マリーナ達に再度、結界を張るように父上が命じていただろう!?」
「知りませ……っ、と、とにかく逃げなくてはっ」
我慢出来ずに叫ぶハーヴェイに近衛騎士達が返事をするが、訳が解らないのは近衛騎士達も同じだった。
高位貴族の令息である彼らは、王族を守る剣であり盾だ。しかし、対敵として想定されていたのはあくまでも人である。
その為、王族に怒鳴り返しそうになったが何とか堪え、近衛騎士はとにかく先に進もうとしたが、ハーヴェイはその言葉がまた癇に障った。
「逃げる前に、あの女を捕まえなければ!」
「そ、それはそうなのですが……」
「……あっ! 殿下、あれを!」
そもそも、アガタを連れ戻さなければ王都に帰ることは出来ない。それ故、ハーヴェイが近衛騎士に言い返したところで別の近衛騎士が声を上げ、ある一点を指差した。
その声に、ハーヴェイは顔を上げ――次いで、その青い瞳を大きく見開いた。
彼らの視線の先で、王宮に現れた白い鳥もどきが飛び立つところだった。そしてその背には獣人の男と、出来損ないのあの女が乗っている。
「待てっ……どこに行く!?」
ハーヴェイの制止の声は届かず、アガタ達はエアヘル国の外へと飛び去っていってしまった。それはつまり、ハーヴェイ達はグールのような魔物がいる国外に行かなくてはいけないということだ。
「待て、行くなっ……行くなって、おいっ!? くそっ、出来損ないの分際でっ!」
馬の上から、必死に声を張り上げたが、見る間に鳥もどきは遠ざかり――口汚く罵っていたハーヴェイは、自分がアガタの張っていた結界のおかげでグールから逃げ切れたことに、気づくことはなかった。
その頃の神殿
※
「処罰は、追って沙汰するが……まずは、結界を張り直せ」
エアヘル国王に言われ、大神官はマリーナを連れて――いや、逃げないように腕を掴んで用意されていた馬車に押し込んだ。そして自分も馬車に乗り込んだところで、周囲の様子に気づき顔を引きつらせた。
馬車の周りには、騎士達が控えている。
……それはマリーナもだが、大神官もまた逃げないようにだ。
「まぁ……これだけ守られていれば、安心ですね」
その意図が解らないマリーナに、つい舌打ちしそうになるが――考えてみればこの娘は、アガタより年下だ。それ故、かつての神殿や神官について知らないのである。
そして今は、こんな小娘一人でもいなくなられると困る。
「……あぁ、そうだな」
だから、と大神官はそれだけ答えて、マリーナと共に神殿へと戻った。それから、騎士達には集中したいからと外の警護(という名の監視)だけ頼み、神殿の中へと入った。
※
「大神官!」
「結界が……一体、何が!?」
「あの娘に何かあったのですか!?」
途端に、神官達が駆け寄ってくる。結界が消えたことは皆、感じているようだが、青ざめて大神官に詰め寄ってくるのは大神官同様、アガタが現れる前に結界維持に励んでいた者達だ。
そんな彼らに申し訳なく思いながら、大神官は口を開いた。
「……結界を壊して、出ていった」
「何と!?」
「そんな……」
「それ故、陛下は我ら神官に結界を張り直すよう言われた」
「おぉ……」
「皆様、そんな大げさな……そりゃあ、怠けられなくはなるでしょうが、あの娘一人いなくなったくらいで」
「「「何?」」」
「ひっ……」
途端に、神官達が嘆き悲しむ。
だが、それを見て何も知らないマリーナが窘めるように言うと――刹那、目を据わらせ、低い声で問い詰められて悲鳴のような声を上げた。後退ろうとするが、構わず現実を教えることにする。
「無知な小娘に、教えてやろう」
「「「は」」」
「なっ……いやっ、いやあぁ……っ!」
大神官の言葉と共に、かつて結界維持をしていた神官達が用意していた杖を手にして、マリーナを取り囲んだ。それに合わせて、大神官もまた渡された杖を持つ。
そしてそれぞれ持ち上げた杖で、対精霊の為の魔法陣を描かれた床をつくと――それを合図に、体中の力が吸い上げられ、幾筋もの光となって飛び去っていった。かつて慣れ親しんだ感覚だが、初めて体験するマリーナは耐えられないらしく、その場にへたり込んで今度こそ悲鳴を上げた。
「……怠ける、と言ったな? 逆に問おう。交代とは言え日々、このように身を削ったのだ。少しくらい、楽をしたいと思うのは罪か?」
「あっ……あぁ……っ」
「だが、あの娘がいなくなった今となっては、またこの日々に戻るしかないが……連れ戻すとは言っていたが、それまで我々でどれだけ張り直せることやら」
苦しみに身悶えながら涙を流すマリーナに、と言うより己に言い聞かせるように大神官は呟いた。
何せ元々、ある結界を維持するだけでこうだったのだ。悔しいがアガタがいない今、以前のようにエアヘル国全体に結界を張り直すのは難しいかもしれない。
(さて、マリーナにも杖を渡すか……アガタが戻る可能性は低い。ならば少しでも杖で負担を軽くして、結界維持を長引かせなければ)
やれやれとため息をついて、大神官は他の神官達に指示を出して現状の説明や交代要員の手配をした。
「うわぁ……」
ずっと王宮の部屋に閉じ込められていたのと、常春の国で雪がないのとで自覚がなかったが、ランの服装を見て今はまだ冬だったと気づいた。
だから、と家にあった鞄に母親の服や下着を詰め、見つけた灰色のマントを着て。今度はしっかり鍵をかけて、アガタは生家を後にした。そして、広がる景色に思わず声を上げた。
エアヘル国にも、国境近くは森があったが――それでも道はあったし、所々には集落もあった。
しかしメルの背中に乗り、上から見ているせいもあるが、国の向こうは鬱蒼とした緑だけが延々と続いていた。今のところ集落らしきものは見えないが、獣人達はどこに住んでいるのだろうか?
「俺らは、森の真ん中に住んでるんだよ。不便だが反面、捕まることもない」
「……捕まる?」
「人族だと、奴隷になるのは犯罪者くらいだけどな。人族以外だと、何もしてなくても奴隷商人に捕まると奴隷にされる。獣人は見た目がいいし、力もあるからって人気があるらしいな」
「そんな……」
「アガタ様……貴様、アガタ様はエアヘル国を出たことがないのだ! 少しは考えろっ」
「ん? あ、悪い……けどなぁ」
あっさりととんでもないことを言われ、アガタはショックを受けた。虐げられこそしていたが――エアヘル国では、奴隷制度など聞いたことがない。だから、奴隷(それ)が国外では常識なのだと言われて驚いた。
そんなアガタの様子に気づいたメルが、ランを叱る。しかし、謝りこそしたが悪びれることなく、ランは言葉を続けた。
「人族の国・ダルニア国だと常識だ。お前は人族だけど、こんな便利な鳥もどきと一緒にいて、しかも言うことを聞かせられる。のほほんとしてたら騙されて、こき使われるぞ?」
「あ……」
「鳥もどきはともかく、アガタ様が騙されるだと!? 私が側にいるのに、ありえん!」
「いや、だから。普通の鳥はもちろんだが、魔物も喋らないから……ん? そうなるとお前って、何なんだ?」
「「…………」」
今更ながらに尋ねられて、メルもアガタも黙った。
色々と教えてくれて、親切だとは思う。しかし世の中が物騒だと知った今、メルが精霊だということや、アガタが元聖女だということがバレたらマズいかもしれない。エアヘル国が穏やかな国だと解ったが、虐げられた身としては戻る気がない。そうなると、これからは気を引き締めていかなければ。
「そーそー! その調子……あ、着いたな」
そんなアガタ達に気を悪くすることなく、逆に笑って頷いてくれたランが、前方を指差した。
その方向に、アガタが目を向けると――確かに森の中央が、ポッカリ拓けていた。
「おーい、俺だ! ランだっ……魔物が多いから、この子らに頼んで連れてきて貰ったんだ!」
不意に空からそう声を張り上げたランに、何事かと思ったら――声の先、視線の先で剣や槍を構えている獣人達が見えた。
「無礼な……!」
「メル、ごめんね……大きいから、誤解されやすいのかも。すごく、優しくて頼りになるのに」
「アガタ様のせいではありません!」
「運んで貰った身からすると、嬢ちゃんに同感なんだが……悪いな。魔物もだけど、ここら辺は野盗や奴隷商人も来るんだよ。喋る鳥もどきだけじゃなく、女子供でも人間がいたらどうしても警戒する」
「その鳥もどきはやめろ!」
「……ああ、うん。それは、仕方ないね」
ランの遠慮のない言葉に、メルが憤慨するが――アガタとしては、納得するしかなかった。差別されるわ、捕まったら奴隷にされるわでは、むしろよく思えと言うのが難しい。
「……あれ? それなのにわたしにご飯とか、お金っていいの?」
そこまで考えて、今更ながらに気づいた。それから、ランからは人間に対する警戒や嫌悪をあまり感じなかったことにも。
そんなアガタの疑問にランが軽く目を見張り、次いでやれやれと呆れたように笑った。
「普通の人族なら渡さないと怒るし、むしろこれ幸いと吹っかけるぞ?」
「え……」
「会えたのが、あんたで良かった……あと俺は、蜂蜜の売り買いで里の奴らよりは、人族に会う。だから全員一括りにはしねぇし、恩は返す。それだけだ」
「……そう」
話を聞きながら、アガタこそ最初に会った獣人がランだったのは、幸運だと思った。しかし攻撃こそしないが武器から手は離さず、こちらを睨んでいる獣人の男達を見て、これ以上刺激しない方がいいとも思った。
「気持ちだけ受け取るわ。メル、ランを降ろして行きましょ」
「お待ち!」
だからメルだけではなく、獣人達に聞こえるようにそう言って、立ち去ろうとしたのだが――不意に、知らない女性の声に呼び止められて驚いた。そんなアガタに、いや他の者達にも声の主――獣人の老婆は、臆せず言い放った。
「子供が、変な気を使うんじゃない! 降りといで! あと、あんた達! ランの恩人に、何やってんだい!?」
「……彼女は、ロラ婆。語り部だ……あの婆さんが出てきてくれたら、もう大丈夫だ」
アガタ達だけに聞こえる小さな声で、ランがボソリと言う。
その言葉通り、アガタよりも小柄に見える老婆に従い、男達は武器を下ろしたり、鞘に収めたりした。
(もしかして……ランは皆にもだけど、あのお婆さんにも聞こえるように、大きな声で言ったのかしら?)
そんな疑問が顔に出たのか、ランはニッと口の端を上げ――つられて頬を緩めながら、アガタはメルに言った。
「……メル、一緒に行ってみましょう?」
「解りました」
そう言ってくれると、メルはアガタ達をロラの傍に降ろしてくれた。それから大きさを小鳥サイズに変え、アガタの頭に乗ってきた。
小柄だったが、白髪の上にある耳と尻尾を見ると灰色の、狼のもののように見える。獣人は、実際の獣にはならないそうだが――その動物の性質は引き継がれるらしいので、年齢よりも元気そうに見えるのは、狼の力や瞬発力のせいだろうか? あとはカリスマと言うか、リーダーシップも関係あるかもしれない。
「あの、初めまして……ありがとうご」
「何だい、その隈は!? 顔色もっ……ラン! この子は今夜、あたしん家に泊めるからねっ」
「えっ? あ」
「あー、でもロラ婆。俺が飯食わせるって、約束」
「あんたの恩は、里の恩だからね! 気になるんなら、食材だけ持っといでっ。さ、行くよ!」
「了解ー」
「は、え、は」
「……っ」
お礼も疑問も、更にランの言葉も遮って老婆・ロラは、アガタの手を引いて歩き出した。
今更だが、メルは獣人達の前で喋ることは控えてくれていて――だが、強引に連れていかれるアガタの頭の上で、彼女同様に戸惑っている気配が伝わってきた。
そんなアガタ達を、ランは笑顔で手を振って見送った。
※
「お帰りなさいませ……あの?」
里には、小屋が並んでいて――そのうちの一つに入っていくと、金髪に白い兎耳の若い女性が出てきた。
そしてロラだけではなく、アガタとメルの姿を見て疑問の声を上げる。
もっとも、疑問はアガタもだ。獣人でも、異なる種族のものと結婚すれば親と子供の種族が違う場合があるらしいが、それにしてもロラと全く似ていない。しかも、ロラに対して敬語である。
「さっき、ランの声が聞こえただろう? 魔物を避けて、連れて来てくれた恩人だ」
「まあ……ありがとうございます。私は、コニー。ロラ婆の弟子として語り部の知識を学んでいます」
そう言って、年下のアガタにも敬語を崩さずコニーが挨拶をしてきた。金髪に、光の加減で赤く見える茶色の瞳。しとやかな美女の微笑みに、一瞬見惚れたアガタは慌てて名乗った。
「あ、アガタです。よろ」
「コニー。まずは、食事だ。見た通りだから、蜂蜜づくしでいくよ。あんまり食べてないみたいだから、蜂蜜を入れた麦粥を。あと、風呂も蜂蜜とハーブで用意しておくれ」
「え」
ロラの言葉に、アガタはギョッとした。それこそ商品にするくらいあるのだろうが、食事だけではなくお風呂にまで蜂蜜を入れているとは。しかもいきなり押しかけたアガタに、惜しみなく使うなんて。
だがコニーはまるで動じず、平然と頷いた。
「かしこまりました」
「あ、あり……」
ぐうぅ……っ!
お礼を言おうとしたが、食事の話題が出たことでお腹が鳴ってしまった。恥ずかしさに、咄嗟に俯いたアガタの頭を、喋れないメルが気遣うように羽根で撫でてくる。
「すぐ支度致しますね」
「……ありがとう、ございます」
そんなアガタに、コニーは優しくそう言ってくれて――顔は上げられなかったが、アガタはようやく遮られずお礼を言うことが出来た。
食べていないという言葉があったので、スープなどシンプルなものかと思ったら――麦を牛乳らしきもので煮て、ハーブらしきものが振ってあった。
「どうぞ……あ、胃が驚かないように、ゆっくり召し上がれ?」
「はい」
コニーの言葉に頷いて、湯気を立てるそれを掬ってアガタは口に運んだ。途端に蜂蜜とミルクの優しい甘さ。それからハーブの味と温かさが、口いっぱいに広がった。
「……おいしい……」
味だけでも美味しかったがアガタが久々に食べる、温かい食べ物だった。見た目はリゾット、食感はコーンフレークという感じか。
ついがっつきそうになったが、先程コニーに言われたことを思い出し、ゆっくりしっかり味わう。ハーブらしきもの、と思ったのはシナモンのような匂いと味がして、アガタは前世のある食べ物を思い出した。
「八つ橋……」
「? おかわりもありますからね」
「はい」
頷きながら気づけば木の器が空になり、その後二回おかわりした。そしてお腹いっぱいになったところで、アガタは奥の部屋――トイレらしきものと、たらいが置いてあるところへと連れていかれた。
「さあ、お風呂に入りましょうね」
そう言うと、コニーは食事を作る時に一緒に用意していたのか、湯気を立てる鍋を数回持ってきて床においたたらいに注いだ。そして先程、ロラに言われた通りはちみつを数匙、あとラベンダーのような香りのするオイルを垂らした。
服を脱ぎ、まずは体を洗うことにする。
……実は、エアヘル国の王宮では夜遅かった為という理由で、数日に一度冷めたお湯で体や髪を洗うだけだった。かろうじて石鹸もあったが、月に一度しか与えられないので少しずつ使っていた。
しかしここでは、蜂蜜を入れて石鹸まで作っているらしい。
渡された石鹸を今までのことを考えて少しずつ使おうとしたが、それを見たコニーが躊躇せずタオルで泡立て、擦ってきたり髪を洗ってきたので恐縮しつつも甘えることにした。そして洗い流したところで、再度オイルの香りがするお風呂に浸かったら、一気に体が熱くなった。あまりの心地好さに、全身から力が抜ける。
「あったかい……それに、いい匂い……」
「これも、語り部の知恵なのですよ……さあ、泡を流しましょうね」
「え……あ、はい……」
何だか、ハーブを前世の地球のように使っていると思った。
引っかかったが、お風呂で身も心も温まっているうちに、思考がふやけて――気づけば、アガタはお風呂で寝落ちしていた。
※
メルは、黙って鳥のフリをしていた。そしてぐっすり眠っているアガタが、食材を運んできたランにより、寝台に運ばれるのを見ていた。
「……ヤツハシ、かい」
それから、アガタが呟いた言葉にロラが反応していたことも。
お腹いっぱい食べて、お風呂に入って――次の日、アガタが目覚めたのは昼近くで。しかもあれだけ食べたのに、起きた途端にお腹が鳴った。
「……すみません」
「いいんですよ。お風呂と睡眠のおかげで、目の下の隈も薄くなりましたし……逆に、朝ご飯を食べていないですしね? お昼は少し、お肉も食べてみましょうね」
「えっ!?」
「鶏肉の蜂蜜生姜焼きですよ」
グウゥ……。
コニーの言葉に、お腹の音が元気に返事をする。恥ずかしさに赤面すると、コニーは「今、焼いてきますね」と言って寝室を出ていった。
「……アガタ様」
「メル? おはよう……喋るの我慢してたよね、ごめんね?」
「それはいいんですが……昨日のアガタ様の呟きに、あの老婆が反応していて」
「呟き?」
「ヤツハシ、という言葉に」
「っ!?」
前世の言葉に、ロラが反応していたことに驚く。そして驚きのあまり、小声で話す為か肩に乗ってきたメルが羽根で叩いてきていたことに気づくのに遅れた。
「そう、ヤツハシ……それは、異世界の言葉だろう?」
「……ロラ、さん」
「コニーが、昼食の支度をしている間に……そっちの喋る鳥についても、聞かせてくれるかい?」
「……はい」
「アガタ様!」
「大丈夫よ……それにメルにも、話さなくちゃだし」
驚いたが、それよりもロラから『異世界』という言葉が出たことが気になる。だから観念し、バレたからと喋ることを隠さなくなったメルを宥めて、アガタは話し出した。
自分が、エアヘル国の結界を維持していた聖女で――だが、婚約破棄された時に異世界人だったことを思い出し、精霊であるメルの力を借りて逃げてきたのだと。
「アガタ様……そうだったんですか」
「ごめんね、黙ってて」
「いえ……逆に、それだけショックを受けたということですよね? 逃げ出せて、本当に良かったです」
「その通りさ……なるほど。エアヘル国は『ブラックキギョウ』だったんだね」
「!? あの、どうしてその言葉を? あと、ヤツハシと……もしかして、ロラさんも?」
一緒に話を聞いていたメルは怒らず、逆に気遣ってくれた。そしてロラもまた、納得したように頷いた。
ヤツハシだけではなく『ブラック企業』まで出てきたのに、ロラもまた転生者かと思ったが――アガタの視線の先で、ロラは首を横に振った。そして、思いがけないことを言い出した。
「いや……あたし『は』違う。だが、初代語り部が異世界の、おそらくあんたと同じ異世界の、二ホンからの転生者だったんだ」
それは代々、語り部にのみ伝えられてきて――それ故、まだ修行中のコニーは知らないのだとロラは言った。
元々、獣人はもう少し南の、人族の国と呼ばれる・ダルニア国の近くに住んでいたと言う。
しかしランが話していた通り、獣人は人族以外ということと見た目や身体能力のせいで、人間に捕まって奴隷にされるようになった。
その時、このエアヘル国近くの森に逃げ込もうと決めたのが――初代語り部であり、異世界からの転生者だった。
「彼女は今までになかった知識をたくさん、教えてくれた。料理や香草の使い方に、蜂蜜を育てる養蜂。それと、取れた蜂蜜の使い方なんかを教えてくれた。おかげであたしらは食べられるものが増えたし、金を稼ぐ術も覚えた」
「ああ、だから……」
食事やお風呂で知識もだが、おもてなしに溢れた感じが日本のようだと思った訳だ。同じ国なだけではなく、生まれ育った時期も近い気がするが、異世界からの転生なのでこちらとの時間にズレがあるのかもしれない。
そう納得したのが顔に出たのか、ロラは満足そうに笑って言った。
「あんたが満足したなら、何よりだ。彼女は今は作れなくても、いずれ機会があればって色んな料理や技術を口頭で伝えてくれたんだが、それらの完成形が頭にあるのは転生者だけからね。百五十年くらい前の話だから、あたしも初代には実際会ってないし」
「……そうなんですね」
「そうなんだよ。ただ、そもそも転生者だって知らないと知識の出どころの説明が出来ないから、代々の語り部と……あと、ランにだけは教えてるんだけどね」
「ランさんに?」
語り部に伝えられるというのは解る。しかし何故、ここでランの名前が出てくるか解らない。
「ここからは、本人からじゃないと……聞いてるだろう? ラン、出ておいで」
「ああ」
「っ!?」
「アガタ様!」
それ故、アガタが戸惑っているとロラが不意に声をかけ――それに応えて扉代わりの布を捲り、ランが出てきたのに驚いた。
メルは気づいていたのか、即座にアガタの肩から降りて彼女を庇うように前に出て、しかもアガタの身長くらいの大きさになって羽根を広げた。
そのもふもふ越しにアガタが視線を向けると、ランは気まずそうに右頬を掻きながら言った。
「……俺も、なんだ」
「えっ?」
「だから……俺も、異世界からの転生者なんだ」
「「え」」
「もっとも、享年十七歳の女子高生だったから初代様みたいに、大した知識はなくて……味見くらいしか、出来ないんだけどな」
「いや、俺……いえ、わたしは大往生だったけど。食堂のオヤジだったから、わたしも食事のことくらいしか言えないかな」
「……ありがとな。改めて初代様、すげぇな」
「うん」
思いがけない発言にアガタだけではなく、メルも声を上げた。
そして、更に続けられた内容に――前世の口調が出てしまうくらい動揺したが、年齢は関係ないのでそう言って慰め、ランが初代の多岐に渡る知識のすごさを褒めるのに大きく頷いた。
話が終わったタイミングで、コニーから食事が出来たと声がかかった。メルは黙って鳥のフリをし、ランもせっかく来たからと一緒に食べることになった。
「今日も、美味しい……」
鶏肉を噛みしめながら、アガタはしみじみと呟いた。
生姜焼きというだけでも美味しいのに、蜂蜜を加えることで柔らかさと甘さ、コクが出て更に美味しくなっている。しかも、一緒に米までついていて驚いた。皆、普通に食べているがおそらく、初代語り部が見つけて獣人達に広めたのだろう。
(生姜焼きにはお米よねぇ)
昨日の夜と今日の昼で、アガタは今までのエアヘル国での十日くらい――いや、量はそうだが以前は肉など出されなかったし食欲もなかったので、それこそ両親と死に分かれて以来の満足感だった。今、思えばパンだけで十年以上とは、栄養面的にも酷いブラック企業だ。
(これでまた、頑張れる)
お風呂も入れたし、疲れも取れた。あとは『お礼』をして、メルとまた旅立とう。
ここはとても居心地が良いが、昨日の様子を見る限り人間の自分がいては、獣人達を不安にさせてしまう。それでは、駄目だ。
そう思っていたアガタの耳に、思いがけない言葉が届いた。
「俺も行く」
「……えっ?」
「ダルニア国に行くんだろう? 昨日までの感じだと、しばらくエアヘル国には行かない方が良さそうだ」
ランの言葉に、今までは結界で守られていたのに、魔物が現れたという話を思い出した。神官達がいるのでいずれは復旧すると思うが、確かにしばらくは様子見の方がいいだろう。
「でも、ラン……捕まらない? 大丈夫?」
「ああ。フード付きの外套を着れば、耳も尻尾も隠れるし。ダルニア国にも蜂蜜の買い手はいるからな。それこそ、アガタの身の振り方が決まるまで面倒見てやるよ」
「……ありがとう。助かる」
元々面倒見は良さそうだが、同じ転生者ということで更に気にかけてくれたのかもしれない。今まで箱入り娘状態だったので、ランの申し出は本当にありがたかった。肩に乗ったメルも、拗ねたように羽根を膨らませているが、止めてはこないので同じ気持ちらしい。
「もう行くのですか? あと、一晩……いえ、数日くらいしっかり食べて、休んだ方が」
「いえ、十分お世話になりました。本当に、ありがとうございます」
優しいコニーが引き留めてくれたが、甘えてはいけない。そんなアガタの気持ちが伝わったのか、ロラは笑って頷いてくれた。
「解ったよ。ただ、弁当くらいは持っていきな。ありものだけどね」
「ありがとうございます! あの……お礼に、結界張らせて貰っていいですか?」
「「「えっ?」」」
お金のない(むしろ、これから貰うことになっている)元聖女のアガタに出来ることは、これくらいだ。
目には見えないが、精霊はエアヘル国だけではなく世界中にいる。だから理論上は、エアヘル国を出ても結界を張ることは可能な筈だ。
(ランやロラさんが驚くところを見ると、結界については知識がないのね……エアヘル国独自のものなのかしら?)
と言うか、理論的には可能だが実はエアヘル国以外では出来ないとか――言ってから心配になりメルを見ると、大丈夫というように頷いてくれた。
※
里を出る理由を書き加えました。