ほんの一瞬のすれ違いだった。楽しそうな表情と、少しだけ聞こえた笑い声。
気のせいって言われるかもしれない。思い込みじゃないって笑われるかもしれない。
だけど、私の心が言ってるんだ。心の底から、君への気持ちを叫んでるんだ。
ほんの少しだけ合った視線。アニメみたいだなって。こんなことが自分にも起きるなんて、嘘みたいだった。考えただけで、思い出しただけで、心臓が煩くって。
なになに、私の心臓。このままどんどん鼓動が大きくなって、グングン速くなったら死んじゃいそうだよ。
名前も知らない君のことを、どうしてこんなに好きになってしまったのだろう。
すれ違う時に見た彼は、早起きが怠そうで。でも、友達の顔を見た瞬間に緩む頬や下がる目尻がキラキラしていて。「おはようっ」て言う明るい声が私の耳にまっすぐ届いた。
夏服に切り替わった制服は生地が薄くて、少し心許ない気恥ずかしさを孕んでいる。なのに軽やかで心が弾むのは、太陽の光がキラキラ眩しいのと、彼の存在も同じくらい眩しいせいだ。
毎朝向かう最寄駅には、私が通っている高校以外にもいくつかの学校があった。大きな交差点の信号が青になった時、一斉にカラフルな制服たちが交差する。セーラー服に詰襟。ブレザーにプリーツスカート。可愛らしいスカート丈に、キレイに結んだリボン。ちょっと緩めたネクタイに、着崩したシャツ。
私たちの毎日は同じようで、本当は少しずつ違うことを頭のどこかで感じながらも、いつもどこか気だるげで、何か楽しいことはないかと探している。友達との会話。映画やテレビ。スマホのアプリや新しい音楽。そして、恋愛――――。
「おはよう」
友達の紗良からかけられた声に振り返えると、すぐ先にいた三人の男子高校生の楽しげな笑い声が重なった。
半袖のシャツにゆるく締めたネクタイ。太陽の光を受けて、少しだけ茶色く見えたサラサラの髪の毛。
すれ違いざまのその瞬間、どうして視線が外せなかったんだろう。くしゃっと目がなくなるくらいに笑う表情が心に焼き付いて、楽しげに笑った声は耳から離れない。
「どしたの、波留ちゃん?」
交差点の真ん中で彼を見たまま立ち止まる私に、紗良が首を傾げる。それでも私は、彼から視線をはずせない。吸い寄せられるみたいに、視線はピタリと彼にだけ止まって、やけに心臓が音を立てていた。
こんなにずっと見ていちゃいけない。頭の片隅では思うのに、心がいうことをきかなくて。通り過ぎて行く彼を、ずっと目で追い続けていた。
そんな時だった。笑みを浮かべたまま、友達と会話していたはずの彼の視線が私を捉えた気がしたんだ。
あれ。今……目があった?
微笑みかけられたように見えたのは、気のせい?
瞬時に反応をした心臓は、大きな音を立てるものだから、眩暈みたいに足元がふらついてしまいそうになる。
「あ、ほら。信号変わるよっ」
いつまでも動かない私に、慌てた声を出した紗良が手を引き走り出す。
待って。今、ここから離れたくない。
そう思うのに言葉は一つも出てこなくて、手を惹かれるままに足が動き出す。
彼が、離れて……いく――――。
彼との間にできた距離に、心臓が痛くて泣き出しそうになってしまった。
グラウンドが見渡せるベンチに座り、紗良と一緒にランチを摂るのがいつもの習慣だった。
ママが作ってくれるお弁当は、いつも彩がよくて美味しい。いつか自分が親になった時も、こんな風に子供のためにお弁当を作るのだろうか。想像してみてもリアルさは欠片もなくて、口に入れた卵焼きの美味しい甘さに頬を緩めるだけだった。
「ねぇ。花火、見にいくでしょ?」
お昼休みにかわした約束は、週末に神社で行われる花火大会についてだ。
「六時に神社の階段を登ったところでね」
紗良の言葉に頷いて、去年見た花火を思い出していた。お腹の底にずんと響く大きな音。夜空目いっぱいに広がる花びらの輝き。赤、青、紫、黄色。降ってくるような枝垂れ柳。包み込むように大きな菊と牡丹。上がる歓声と人々の笑顔。
一緒に観られたらいいのにな。
名前も知らない、話したこともない男の子相手に、夢見がちな空想を広げていた。
週末になり、お母さんに着せてもらった浴衣に合わせて、髪の毛をアップにしていたら手間取ってしまった。紗良とした約束の時間が迫っている。
「急がなきゃ」
慣れない下駄を鳴らして、神社の階段を駆け上がる。
鼻緒が擦れて、少し痛い。それに、せっかくきれいに着せてもらったのに、着崩れしちゃうかもしれない。
裾や襟元を気にしながらも、紗良が待っていることを思い勢いよく階段を駆け上がった。神社の赤い鳥居が見えてきて、出店の賑やかさが伝わってくる。
あと少し。
階段を上り切ろうとした先に、紗良の姿が見えた。
「紗良っ。ごめん」
右手をあげて、大きく声をかけた時だった。私の横を小学生の男の子たちの集団が、はしゃぎながら勢いよく駆け下りてきた。
その一人にぶつかって、バランスを崩す。
転ぶっ!
普段履かない下駄ではバランスが取れなくて、態勢を立て直せないまま景色が傾いていく。
落ちるっ――――。
「波留ちゃんっ!」
紗良の焦った声が耳に届いたと同時に、傾いていた視界が途中で止まった。
「あっぶねぇ。大丈夫?」
気がつけば、階段を転げ落ちるかと思った私の体は、手首を掴まれ引き寄せられたあと、抱えられるように受け止められていた。
「だ、大丈夫です」
落ちるかもしれないと焦った感情のまま、助けてくれた相手の顔を間近で見て心臓が大きくドンッと体に響く音を立てた。
これ、大袈裟じゃなくて。その瞬間、ホントに私の心臓は何よりも大きな音を立てていたに違いないんだ。だって、あの日のあの彼の腕の中に、私はしっかりと抱きしめられていたのだから。
感情が洪水みたいに溢れ出す。心臓があの時以上に騒ぎ出し、次いでこのまま止まってしまうんじゃないかというくらいの衝撃を受けていた。あの瞬間の想いが決壊して、感情は制御が利かない。
だってこんなの、運命しかない!
思った瞬間、私の口からは当たり前のように言葉が飛び出していた。
「すっ。好きですっ!」
叫んだと同時に音がして、夜空に花火が上がった。その音は、動き出した自分の心音なのか、夜空に咲いた花火なのかわからない。
見つめあったまま、止まる時間は永遠みたい。
「あ、ありがとう」
突然の告白に動揺していたようだけれど、それでも彼は優しくして言ってくれた。
目の前には、照れくさそうにはにかんだ彼の顔。
次々と咲く花火に見守られるように、私もはにかみ笑った。
気のせいって言われるかもしれない。思い込みじゃないって笑われるかもしれない。
だけど、私の心が言ってるんだ。心の底から、君への気持ちを叫んでるんだ。
ほんの少しだけ合った視線。アニメみたいだなって。こんなことが自分にも起きるなんて、嘘みたいだった。考えただけで、思い出しただけで、心臓が煩くって。
なになに、私の心臓。このままどんどん鼓動が大きくなって、グングン速くなったら死んじゃいそうだよ。
名前も知らない君のことを、どうしてこんなに好きになってしまったのだろう。
すれ違う時に見た彼は、早起きが怠そうで。でも、友達の顔を見た瞬間に緩む頬や下がる目尻がキラキラしていて。「おはようっ」て言う明るい声が私の耳にまっすぐ届いた。
夏服に切り替わった制服は生地が薄くて、少し心許ない気恥ずかしさを孕んでいる。なのに軽やかで心が弾むのは、太陽の光がキラキラ眩しいのと、彼の存在も同じくらい眩しいせいだ。
毎朝向かう最寄駅には、私が通っている高校以外にもいくつかの学校があった。大きな交差点の信号が青になった時、一斉にカラフルな制服たちが交差する。セーラー服に詰襟。ブレザーにプリーツスカート。可愛らしいスカート丈に、キレイに結んだリボン。ちょっと緩めたネクタイに、着崩したシャツ。
私たちの毎日は同じようで、本当は少しずつ違うことを頭のどこかで感じながらも、いつもどこか気だるげで、何か楽しいことはないかと探している。友達との会話。映画やテレビ。スマホのアプリや新しい音楽。そして、恋愛――――。
「おはよう」
友達の紗良からかけられた声に振り返えると、すぐ先にいた三人の男子高校生の楽しげな笑い声が重なった。
半袖のシャツにゆるく締めたネクタイ。太陽の光を受けて、少しだけ茶色く見えたサラサラの髪の毛。
すれ違いざまのその瞬間、どうして視線が外せなかったんだろう。くしゃっと目がなくなるくらいに笑う表情が心に焼き付いて、楽しげに笑った声は耳から離れない。
「どしたの、波留ちゃん?」
交差点の真ん中で彼を見たまま立ち止まる私に、紗良が首を傾げる。それでも私は、彼から視線をはずせない。吸い寄せられるみたいに、視線はピタリと彼にだけ止まって、やけに心臓が音を立てていた。
こんなにずっと見ていちゃいけない。頭の片隅では思うのに、心がいうことをきかなくて。通り過ぎて行く彼を、ずっと目で追い続けていた。
そんな時だった。笑みを浮かべたまま、友達と会話していたはずの彼の視線が私を捉えた気がしたんだ。
あれ。今……目があった?
微笑みかけられたように見えたのは、気のせい?
瞬時に反応をした心臓は、大きな音を立てるものだから、眩暈みたいに足元がふらついてしまいそうになる。
「あ、ほら。信号変わるよっ」
いつまでも動かない私に、慌てた声を出した紗良が手を引き走り出す。
待って。今、ここから離れたくない。
そう思うのに言葉は一つも出てこなくて、手を惹かれるままに足が動き出す。
彼が、離れて……いく――――。
彼との間にできた距離に、心臓が痛くて泣き出しそうになってしまった。
グラウンドが見渡せるベンチに座り、紗良と一緒にランチを摂るのがいつもの習慣だった。
ママが作ってくれるお弁当は、いつも彩がよくて美味しい。いつか自分が親になった時も、こんな風に子供のためにお弁当を作るのだろうか。想像してみてもリアルさは欠片もなくて、口に入れた卵焼きの美味しい甘さに頬を緩めるだけだった。
「ねぇ。花火、見にいくでしょ?」
お昼休みにかわした約束は、週末に神社で行われる花火大会についてだ。
「六時に神社の階段を登ったところでね」
紗良の言葉に頷いて、去年見た花火を思い出していた。お腹の底にずんと響く大きな音。夜空目いっぱいに広がる花びらの輝き。赤、青、紫、黄色。降ってくるような枝垂れ柳。包み込むように大きな菊と牡丹。上がる歓声と人々の笑顔。
一緒に観られたらいいのにな。
名前も知らない、話したこともない男の子相手に、夢見がちな空想を広げていた。
週末になり、お母さんに着せてもらった浴衣に合わせて、髪の毛をアップにしていたら手間取ってしまった。紗良とした約束の時間が迫っている。
「急がなきゃ」
慣れない下駄を鳴らして、神社の階段を駆け上がる。
鼻緒が擦れて、少し痛い。それに、せっかくきれいに着せてもらったのに、着崩れしちゃうかもしれない。
裾や襟元を気にしながらも、紗良が待っていることを思い勢いよく階段を駆け上がった。神社の赤い鳥居が見えてきて、出店の賑やかさが伝わってくる。
あと少し。
階段を上り切ろうとした先に、紗良の姿が見えた。
「紗良っ。ごめん」
右手をあげて、大きく声をかけた時だった。私の横を小学生の男の子たちの集団が、はしゃぎながら勢いよく駆け下りてきた。
その一人にぶつかって、バランスを崩す。
転ぶっ!
普段履かない下駄ではバランスが取れなくて、態勢を立て直せないまま景色が傾いていく。
落ちるっ――――。
「波留ちゃんっ!」
紗良の焦った声が耳に届いたと同時に、傾いていた視界が途中で止まった。
「あっぶねぇ。大丈夫?」
気がつけば、階段を転げ落ちるかと思った私の体は、手首を掴まれ引き寄せられたあと、抱えられるように受け止められていた。
「だ、大丈夫です」
落ちるかもしれないと焦った感情のまま、助けてくれた相手の顔を間近で見て心臓が大きくドンッと体に響く音を立てた。
これ、大袈裟じゃなくて。その瞬間、ホントに私の心臓は何よりも大きな音を立てていたに違いないんだ。だって、あの日のあの彼の腕の中に、私はしっかりと抱きしめられていたのだから。
感情が洪水みたいに溢れ出す。心臓があの時以上に騒ぎ出し、次いでこのまま止まってしまうんじゃないかというくらいの衝撃を受けていた。あの瞬間の想いが決壊して、感情は制御が利かない。
だってこんなの、運命しかない!
思った瞬間、私の口からは当たり前のように言葉が飛び出していた。
「すっ。好きですっ!」
叫んだと同時に音がして、夜空に花火が上がった。その音は、動き出した自分の心音なのか、夜空に咲いた花火なのかわからない。
見つめあったまま、止まる時間は永遠みたい。
「あ、ありがとう」
突然の告白に動揺していたようだけれど、それでも彼は優しくして言ってくれた。
目の前には、照れくさそうにはにかんだ彼の顔。
次々と咲く花火に見守られるように、私もはにかみ笑った。