社長室を出ると、なぜかそこに和装姿の甚八さんがいた。

「大丈夫だったか?」
「はい? 大変喜んでくれましたけど」
「そうか、良かった」

 そう言うと甚八さんは背を向けてすたすたと歩き出す。

「ちょ、待ってくださいよ」

 私は慌てて彼の背中を追いかけた。

「お前、今日の予定は?」
「午後、またここに来ますけど……」
「あのなぁ。ひやひやさせんなよ、俺がどんだけお前のこと……」

 甚八さんははっとして口をつぐんだ。

「なんでもない、今のは忘れろ。ところで……」
「ジンパチ! オヒサシブリネ!」
「ア、モナカチャンもイッショナノネ!」

 エレベータホールの向こうから現れたその陽気な声の主は、もちろんゲーン夫妻だった。

「お久しぶりです、ゲーンさん」

 甚八さんが営業スマイルを浮かべてそう言ったので、私は隣でペコっと頭を下げた。

「来日されていたんですね」
「ソウナノ。ハルオミにヨウジガアッテネ。ツイデニネリキリ、カイニイク!」
「ぜひ鶴亀総本家にお立ち寄りください」
「アア、ソウサセテモラウヨ、モナカチャン」
「……タクサンハナシタイケド、イソイデイルノ。マタネ!」

 ゲーン夫妻は仲良く寄り添って去っていく。が、ふと立ち止まって私たちを振り返った。

「ジンパチ。カノジョノテをハナシテハイケナイヨ」

 そう言ってゲーンさんは奥さんとつないだ手を掲げてみせた。

「はい」

 そう言った彼は、もうゲーン夫妻は見ていないのに、なぜか隣にいた私の手をさっととり、強く握った。