「甚八さん、陽臣さんと連絡取れませんか?」

 その日帰宅したのは、夜11時を過ぎていた。甚八さんはまだダイニングでノートパソコンをカタカタと打っていた。甚八さんは私の声に驚いて、ぴくっと肩を震わせた。

「陽臣と、か? 何で今更……」
「渡したいものがあって」
「返したいものがあるならべつに気にしなくていい。兄さんが人に物を貸すなんて思えないしな。あげたつもりのものを返される惨めさは、俺もよく知っている」
「あの時、惨めだったんですか……」

 甚八さんはしまった、という顔をしたけれど、すぐに視線をパソコンに戻す。

「借り物じゃないんですよ。ただ、おいしく食べてほしいだけ」

 それは伊万里様に練り切り餡を渡したい一心だった。甚八さんはそのまましばらくパソコンに向かっていたが、やがて口を開いた。

「分かった。兄さんに伝えておく。それよりお前、飯は?」
「え? 甚八さんまだ食べてないんですか? もしかして待っててくれたとか……」

 しまった。浮き足だっていたけれど、彼にとって私は家政婦にすぎない。作れないなら、連絡くらい入れればよかった。

「ごめんなさい、簡単なものでよかったら今から作るので……」
「いや、俺はいい。お前は食ったのか?」
「私は、たくさん味見してきたので大丈夫です」
「……そうか」

 甚八さんはそのまま黙ってパソコンのキーボードをカタカタ叩いた。私はキッチンに向かうと、おにぎりでも作ろうと急いでお米を研いだのだった。