その日、午後から厨房はてんてこまいだった。大口の注文が入ったのだ。それも、かなりの富裕層かららしい。もちろんそれまでなんとなく店先に顔を出していた将太君も、奥に引っ込んだきりだ。
 外国語でご機嫌をとりながら接客を続ける玲那を横目に、ショーケースを磨いていると辺りがざわざわと騒がしくなった。なぜか急に、後方からたくさんの足音が聞こえる。

「モナカチャン、ミーツケタ!」

 その声に振り向くと……えええ、ゲーン夫妻! 私は勢いよく振り返って居住まいを正すと、ショーケースを拭いていたふきんを握りしめたまま彼らに頭を下げた。

「ゲーン様、ようこそおいでくださいました……」
「イイノヨ、モナカチャンはイツモのモナカチャンデ!」

 ゲーンさんはニコニコしたまま私の肩を嬉しそうに叩いた。

「モナカチャン、ワガシヤサンのカンバンムスメダッタノネ!」
「シゴト、イソガシイノにツキアワセタ。ワルカッタネ!」

 つまり、ゲーン夫妻は私の仕事が忙しくて彼らの旅行から抜けたと思っていらっしゃる……? そのとき、慌てた大将が店の奥から姿を現した。

「ようこそお越しくださいました。仰ってくださればこちらから足を向けましたのに……」
「イイノヨ! ワタシタチ、モナカチャンにアイタカッタ!」

 あからさまな困惑の表情を浮かべる大将に、私は苦笑いを浮かべるしかできない。

「モナカチャンのオススメ、イッパイカイタイノ! トテモオイシイ、ココノオカシ!」

 ゲーンさんは大将の手を取ると上機嫌でショーケースを覗き込んだ。

「やっぱり美味しいのは練り切り餡です。ゲーンさんも先のお茶室で召し上がっていたでしょう? 私はあれがやっぱり好きですね」

 私がそう言うと、ゲーンさんはとあるショーケースの中の商品に目を輝かせた。

「コレガイイワ! ホウセキミタイ、キラキラ!」

 それは、赤や黄色の落ち葉に見立てた餡を飴でコーティングしたような、本当に宝石のようなお菓子だった。しかし、初めて見るそれに私は困惑した。もちろん、従業員はここのお菓子を食べることはできないが、どのような材料が使用されているか、どのような味わいかなどは説明できるよう事細かく言われている。しかし、それはどう見ても私も見たことのない和菓子だったのだ。

「コレ、ドンナアジ?」
「えっと………」

 口ごもっていると、後ろから声が聞こえた。

「こちらはまだ試作品でして、彼女も食したことがないんですよ。なので、俺から説明させてください」

 そう私の肩越しに声を掛けてくれたのは、将太君だった。振り返った思いのほか近くに彼の顔があって、心臓がトクンと跳ねた。しかし、彼の満面の笑みに私も安心して、彼に笑みを向けその場を任せることにした。
 ふと立ち上がって見上げた店の先に、甚八さんの姿が見えた気がした。しかし、それは一瞬で少し目を離した隙には誰もいなくなっていたから、きっと目の錯覚だと思った。

 ゲーン夫妻はそのままたくさんのお菓子を購入し、嵐のように去っていった。