「寝込みを襲うなら、もう少し気配を消す練習をした方がいいな」

 急に目をかっと開いた甚八さんが、伸ばしかけていた私の手首を掴んだ。

「い、い、いつから起きてたんですか!?」
「お前が起きる前だ。寒かったから布団借りにお前のところ行ったが、お前はすごい寝相だったな」
「ちょ、ちょっとまってください。私の寝相見たんですか!?」
「ああ。ヨダレ垂らして足おおっぴろげて、女とは到底思えなかったな。さすが食い意地女」

 かぁぁ、と頬が熱を上げるのが分かった。同時に、私の怒りのゲージが最高潮を迎える。

「何なんですか朝から! こんなのに付き合って、お偉いさんにも気を使って、だから胃だって痛くなるしあなたに付き合ってるだけで相当ストレスなんです! 仕方なくついてきたのに、私帰らせてもらいます!」

 キョトンとした顔の彼を尻目に、私は持ってきたバッグに自身の荷物を詰め込んだ。そして、洗面所でさっさと昨日用意してもらった洋服に着替えると、足早に部屋を出て行こうとした。

「おい、待て!」

 手首を掴んだ彼の大きな綺麗な手を振りほどこうとして、思いっきり振った。

「いってぇ」

 玄関口の手すりにぶつかった彼の手は大きな音を立てた。それでも彼はその手を振りほどこうとはしなかった。

「行くな」
「嫌です」
「頼む」
「帰ります」
「悪かった」
「今さら何なんですか」
「お前が必要なんだ」
「私にはいりません」
「そうか、悪かった」

 彼の手はその一言と共に振りほどかれた。彼はそのままどこかに電話を掛ける。私はそのまま離れを出ようとした。………靴がない。それもそのはず、昨日は朝からずっと着物を着ていたのだ。

「ちょっと待ってろ、今すぐ……」

 彼がそう言うが早いか、玄関口の扉がガラガラと開いた。スーツの男が彼の店に置いてきたはずの私の靴を持ってきたのだ。

「愛果様、こちらをご利用ください」
「は、はい……」

 私は訳も分からず自分の靴を履いて、そのスーツの男性に連れられて通用口から旅館の外に出たのだった。